
小説家を名乗りながら名作と言われる文学を避けてきた著者が、自身に鞭を振るうつもりでバイクツーリングの目的地を地方の文学館と決めて走る。バイク小説家がツーリングと文学の魅力を綴る書き下ろしエッセイ、文学ツーリングシリーズ。第5回 御坂峠 天下茶屋 「太宰治文学記念室」(山梨県南都留郡富士河口湖町)
目次
バイク小説家がバイクで行く【目的地を地方の文学館にしてみた】
第5回 御坂峠 天下茶屋「太宰治記念室」(山梨県南都留郡富士河口湖町)
6月のとある週末。僕はSV650Xと共に山梨県の御坂峠を目指していた。土曜日であり、混雑することを予測して、なるべく早い時間に自宅を出発した。今日はオフのつもりで道中を楽しもうと思い、すべて下道で行くと決めた。
誰もが知っている小説家「太宰治」の作品を、僕はまともに読んだことがなかった。その昔「走れメロス」を教科書で読んだような記憶が微かに残っている程度である。読んでみようと思った。「人間失格」はタイトルから読む気が起こらなかったので「走れメロス」を購入した。この文庫は「走れメロス」の他に全部で10編の小説が収録されている短編集だった。そんなことも知らなかった。最初の小説「富嶽百景」から読み始めた。
創業から91年、由緒ある峠の茶屋
今向かっている御坂峠に「天下茶屋」という1934年創業の、今も甘酒やほうとうなどを振る舞う、由緒ある峠の茶屋がある。その二階に「太宰治文学記念室」がある。
太宰は1938年の9月から三ヶ月、ここにこもって執筆に勤しんだ。「富嶽百景」は、ここに滞在していたときの出来事を書いた私小説であり、彼の代表作の一つだ。
静岡市清水区から国道52号線を北上する。新東名高速道路の高架下を過ぎたあたりで右折して、県道75号線を芝川方面へと進む。正面に富士山がいて、連続する緩やかなカーブの中、時々顔を出してくる。富士川を渡って白糸の滝の方へ向かい、国道139号を越えて富士ミルクランドを過ぎたあたりで右折する。朝霧高原の内側を、草原の広がる気持ちの良い景色のなか、県道71号線を北上していく。そのまま走ると富士五湖の一つ西湖の南側、国道139号線「道の駅なるさわ」の西側に出る。なるべく混雑する主要道を避けて景色を楽しめるルートを選んだ。
トンネル開通前の御坂峠
御坂峠は河口湖から甲府へ抜ける峠道である。だけど1967年に新御坂トンネルが開通してから、あまり利用されなくなってしまった。天下茶屋もその峠道にあり、新トンネル開通後の10年間は休業を余儀なくされたという。
自分も新御坂トンネルはときどき通っていたけど、この旧道、御坂峠は今まで走ったことがなかった。国道137号線から御坂峠へ右折したところで「天下茶屋本日営業」という看板が目に入った。しばらく曲がりくねった山道を進む。細い道だけど荒れている印象はなかった。視界がひらけて雰囲気のある大きな木造建造物が右手に見えた。天下茶屋だ。
建物の前に立つと、道路の向こうには絶景が広がっていた。
大きな富士山が真正面に構えている。この絶景が、天下一茶屋と呼ばれるようになった所以であり、のちに天下茶屋と新聞で紹介されるに至る。
天下茶屋に滞在する前の太宰の生活は荒廃していた。それは、太宰の生涯で最も荒んでいた時期だと言われている。津軽の実家との関係、婚約者のこと、他の女性たちとの関係、若い取り巻きたちとの関係で、実生活も精神も荒み、堕落していた。それをみかねた先輩小説家の井伏鱒二が、先に滞在していた御坂峠の天下茶屋に呼び寄せたのだ。
太宰と井伏鱒二
太宰と井伏は師弟関係にあった。太宰や彼の親族らも井伏の作品を好んで読んでいた。一方井伏も、太宰の書くものに心底惚れ込んでいたようだ。
天下茶屋での滞在以降、太宰の作風は洗練され、心身と共に安定していく。そうして、昏迷していた前期作品から安定の中期の作風へと転換していった。天下茶屋での滞在は、そんなきっかけをつくった場所であり、井伏鱒二は、太宰と彼の作品を救った恩人だと言っても過言ではない。
天下茶屋に入り、縁側の席に案内された僕は、ほうとう鍋を注文した。鍋が来る前に二階の文学記念室を覗いた。
「富嶽百景」で登場した火鉢があった。太宰がここで実際に使用していた火鉢だ。木枠の窓からは富士山が見えた。
「富嶽百景」の名セリフ
「富嶽百景」の主人公は、富士を「あんな俗な山」と毛嫌いしている。毎日「富士と湖」という完璧に出来過ぎた景色を見せられてうんざりしている。
主人公が河口湖村の郵便局まで荷物を取りに行った帰りのバスの車内での出来事を、こんな風に書いている。
バスの車掌が「皆さん今日は富士がよく見えますね」と言うと、乗客が一斉に富士の方を見た。「わあ」とか「やあ」とか車内がざわつくなかで、隣の老婆だけは富士に一切見向きもせず、むしろ反対の山路に沿った断崖をじっと見つめている。その姿に心地よくシビれた彼は、共感も兼ねて老婆と同じように崖の方を眺めていた。そのとき、老婆が細い指で路傍の一箇所をさして「おや、月見草」と言う。バスはさっと過ぎてゆくのだが、チラッと一目見ただけの月見草の花弁の鮮やかさが、彼の目に消えずに残った。
家庭料理、ほうとう
ほうとう鍋が自分のテーブルに運ばれてきた。
少し前にバイクイベントで話をした山梨県在住のライダーに聞いたところ「ほうとうは、家で食べるものだから外では食べない」と言っていた。なるほど。今食べているほうとうも、まさに家庭料理そのものだ。食べ始めは薄味だと思ったものの、食べ進めていくうちに、たくさんの野菜が煮込まれて生み出されたやさしくて複雑な味わいをしっかり感じとることができた。
太宰治の文学碑
天下茶屋の道を隔てた向こう側の山道を少し歩くと文学碑がある。1948年、太宰治の自殺を受け、井伏鱒二が中心となって建立されたものだ。
富士が一望できるひらけた台地に建っていた。
「富士には月見草がよく似合ふ 太宰 治」
文学碑には「富嶽百景」から井伏が撰文したこの言葉が刻まれている。そして石碑の裏側には「惜しむべき作家太宰君の碑のために記す …」と始まる井伏鱒二の言葉が刻まれていた。
満たされたお腹が落ち着いた僕は、SV650Xに乗って天下茶屋を後にした。
富士山は雄大で美しい。一方、日暮れどきに崖の岩影にひっそりと咲く月見草も美しい。雄大か、控えめか、の違いはあるけれど、どちらも同じように美しい。そんな気持ちを、太宰は「富士には月見草がよく似合ふ」という言葉にして残したのではないか。どちらも美しい、と。
思いを馳せながら富士吉田へ
僕は、御坂峠を下って、行きとは違うさらに細い道路へ入った。「富嶽百景」の中で、主人公が富士吉田の町で青年たちと酒を飲み交わし、文学談義に花を咲かせるシーンがある。天下茶屋から富士吉田へ行くのに、たぶんこの道を通ったのではないかと思われる三ツ峠登山口のあたりを通り抜ける細い山道を、僕はSV650Xと共に下っていった。
太宰治が通ったであろう道に思いを馳せて。
エンジョイバイク
オートバイを楽しもう
作:武田宗徳
出版:オートバイブックス(https://autobikebooks.wixsite.com/story/)
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