
オートバイと関わることで生まれる、せつなくも熱いドラマ
バイク雑誌やウェブメディアなど様々な媒体でバイク小説を掲載する執筆家武田宗徳による、どこにでもいる一人のライダーの物語。
Webikeにて販売中の書籍・短編集より、その収録作の一部をWebikeプラスで掲載していく。
いつかの朝焼け
眠れぬ夜
美咲はパイプベッドから起き上がり、小さな冷蔵庫を開けて缶ビールを手に取ったが思いとどまり、再び冷蔵庫に戻した。
「…ますます眠れなくなるじゃない」
一人呟いて、再びベッドに潜り込んだ。アルコールが入ると美咲は興奮して眠れなくなる体質だった。それに、今日は、ただでさえ興奮していた。時間はもう深夜二時を回っていた。
美咲はベッドから手を伸ばし、サイドテーブルの上に置いてある手紙をとった。ベッドに横になったまま声に出して読んだ。
「misaki様 初めまして。先日、青山であなたの洋服を買った者です。実は、あなたの服を買ったのは三回目なのです。ハガキを出そうと思いながら、時間が経ってしまいました。かわいすぎず、カッコよすぎず、絶妙なバランスの「カッコかわいい洋服」がすっごく私好みです。うまく伝えられたかどうか心配ですが、ファンの一人として、これからも影ながら応援しています。無理をせずにがんばってください」
読み終えると両手で持っているその手紙を顔に押し当て、寝返りを打った。
「ファンだって……」
そう言って、美咲はもう一度手紙を見た。思わず顔がにやけてしまう。
美咲はオリジナルブランドを営んでいる洋服のデザイナーだ。自分で生地を買って、洋服を作って、お店に置かせてもらうまでの全てを一人でやっている。大きな夢に向かってスタートしたばかりだった。今日、生まれて初めてのファンレターが届いた。美咲はうれしくて仕方がなかった。
「ダメダメ。明日は朝から打ち合わせだっていうのに」
手紙をサイドテーブルに戻し、布団を頭からかぶった。目を瞑ってしばらく動かずにいたが、胸の鼓動は治まらなかった。
眠れないでいた。美咲はベッドから起き上がって着替えを始めた。シンプルだがシルエットの気に入っているオレンジ色のTシャツに、お尻の形がよく見えるジーンズを履いた。簡単に化粧をした。チェックの半袖シャツを羽織り、財布とサングラスを持ってアパートを出た。
アパートの駐車場にライトブルーのミニが停めてある。昔のミニだ。美咲が東京に住まずに神奈川県の郊外に住んでいるのはこれに乗りたかったというのもあった。美咲は東名厚木インターに向けて、走り出していた。
一年前の今日
深夜の高速は静かだ。いや、正確に言えばうるさいのだろう。ミニのエンジン音は悲鳴を上げているし、たまに追い抜いていくトラックの排気音も腹に響く。だが、深夜という時間は一般的に活動していない時間のはずで、それだからか騒音の中にもひっそりとした静けさを感じる。漆黒の闇がそう感じさせているのかもしれない。
美咲はぼんやり考えていた。眠れないほど興奮していたのは、もう一つ理由があった。美咲は一年前の今日のことを思い出していた。
隆という男と海を見ていた。太平洋から太陽が顔を出す時刻で、朝焼けが見事だった。
隆は自分のバンドの自主制作CDのレコーディングを終えたばかりだった。美咲は友人のためにパーティー用の洋服を一着作り終えたばかりだった。二人は深夜に落ち合って、隆は赤い大型のオートバイで、美咲はライトブルーのミニで東名高速に乗ってここまで来た。
「一年後の今日もさ、この時間にここに来ようよ」
美咲はまぶしい光に目を細めて言った。
「それまで付き合ってるかな、俺たち」
「別れていても、私、来ようかな」
「ドラマみたいなこと言ってんなよ」
隆は背を向け、防波堤の上から降りた。
美咲は嫌な予感がしていた。お互いの夢に向かって進んでいくのに、お互いの足を引っ張り合っているのではないか。隆もそのように考えているのではないか。「お互いのために別れよう」と隆が言い出すのも時間の問題ではないか。今の隆のセリフからも、それは感じられたことだ。
美咲の「別れていても、私、来ようかな」というセリフは、半分本気だった。
沼津を過ぎた。朝が近づいているという気配は感じられるが、まだ空は明るくない。音楽もラジオもかけず、ただ走り続けていた。美咲はダッシュボードからキャスターマイルドをとると、百円ライターで火をつけた。隆もキャスターマイルドだった。隆と別れてから、美咲は煙草を覚えてしまった。
相良牧の原インターで東名高速を降りた。空がうっすら明るくなっている。473号線を南下する。御前崎を目指している。
今日というこの日に、御前崎に行くか行かないか、最後まで迷っていた。いっそのこと今日という日が何の日であるかを覚えていなければよかった。そうすれば、迷うことなく行かずに済んだ。一年間忘れないでいたから、迷うことになるのだ。
海のすぐそばにあるホテルの駐車場にミニを駐車し、美咲は車の外に出た。季節はもう初夏だが、外はひんやりしていた。手を組んで、伸びをした。ノンストップでここまで来たのだ。一睡もしていないのだ。しかし、不思議と疲れや眠気は感じていなかった。
道路を横切って防波堤へ登った。満潮の時刻なのだろう。防波堤に波がぶつかっているほど、すぐそこまで海水がきている。地平線は幻想的な色に染まっている。太陽はまだ顔を出していないが、空はオレンジからブルーへのグラデーションで鮮やかだ。前よりも綺麗だ。二人でこの景色を見たい。美咲はシャツの胸ポケットから煙草を取り出そうとしたが、やめた。
来るはずの無い彼
隆はいない。来るはずがない。だが美咲は小さな可能性に期待していた。来るはずがないとわかっていながら、反面、来る可能性はゼロではないと思っている自分がいる。そのほんの小さな可能性に期待した。
あの大きなごつごつした手を思い出していた。その手でたまに頭をなでてくれた。とても幸せな気分になれた。いつも爪を短くしていて、「ギターを弾くから」と言い訳でもしているように言っていた。
あの手でまた頭をなでてもらいたい。「よく来たな」「よく今日を覚えてたな」そう言って頭をなでてくれることを想像していた。
いつの間にか太陽は完全に昇っていた。美咲は駐車場へ戻っていた。
「何やってんだろ、私」
そう呟いて、ミニの運転席に腰を下ろした。エンジンをかけ、シートベルトをすると、美咲はグランドホテルの駐車場をあとにした。
来た道をもどる。海沿いだが高い防波堤で海は見えない。涙を拭った。
左カーブにさしかかった。法定速度を守っている。カーブの向こうから排気音が聞こえてきた。と思った瞬間、一瞬にして何かとすれ違った。
美咲ははっきりと見た。赤い大きなオートバイだった。独特な形をした白いヘルメットは、確かアメリカ製のシンプソンだったか。
隆だ。
Uターンしようか。
だが美咲はUターンできないでいた。その間、美咲は考えていた。
別れてからまだ一年も経っていない。隆も自分のやりたい事がようやく形になり始めてきたころではないか。今、会っても、果たしてお互いのためになるだろうか。
しばらくして、美咲はもっと重要な事に気付いた。それは、隆が今日ここに来た、という事実だ。それだけで十分ではないか。そう思えてきた。何故ならその事実は、美咲にある決心をつけさせたからだ。
私がどうしても彼が必要だと思った時は、その時は、何も迷うことなく、意地をはる事も恥を感じる事もなく、素直に会いに行ける。そう決心がついた。
美咲はミニのアクセルを踏み込んだ。さあ、帰ろう。
今日は朝から打ち合わせだった。今から帰っても約束の九時には間に合うだろう。
美咲は、何かもやもやしたものがすっきりしたように感じていた。自分の今の仕事に専念していけるような気がした。もう眠れない夜などないのではないか、と思った。彼が必要だと思ったときは会いにいける、と思いながら、自分はもう二度と彼に会いに行かないのでは、とさえ思った。
自分の夢の実現に向けて、今はそれだけを考えてやっていける。
涙は乾いていた。
朝日がまぶしい。美咲は持ってきたサングラスをかけた。
美咲は窓を開けた。潮風が車内に入り込んできた。夏の匂いを感じた。
胸ポケットから煙草とライターを取り出すと、外へ向かって勢いよく投げ捨てた。
<おわり>
出典:『バイク小説短編集 Rider's Story 僕は、オートバイを選んだ』収録作
著:武田宗徳
出版:オートバイブックス(https://autobikebook.thebase.in/)
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