
ツーリングマップル中部北陸版担当の内田一成さんによる、キャンプツーリングコラム。アウトドアやオートバイとの付き合いが長く、バイク誌・登山誌などでも活躍してきた内田さんの、キャンプツーリングにまつわるさまざまなエピソードをお届けします。今ではあり得ないような無茶な企画バナシに始まり、自然との対峙の仕方、焚き火や料理、ギアや各種ノウハウなど、多岐にわたるお話は、どれも興味深いものばかり。読めばきっと、外に出たくなるはず。
著・内田一成第2話 アウトドアのバイブル『遊歩大全』
オートバイとの出会い
ぼくがオートバイに乗り始めた40年あまり前は、オートバイに対する世間の目は厳しく、オートバイに乗ることイコール「暴走族」と見なされるような時代だった。
品行方正な高校生だった(笑)ぼくも、当然、オートバイには興味がなかった。高校に入ってのめり込んだのは登山で、休みになると山に通っていた。
ところが、ぼくの生まれ育った町は、関東平野が太平洋に出合う鹿島灘の一角に位置し、目立つ山といえば遠くにポツンと「キスチョコ」を置いたように見える筑波山くらいで、本格的な山へ行くとなると、バスと電車を乗り継いで何時間もかけなければならなかった。
そんなある日、仲の良かった同級生が原付二種のオートバイを買って、遊びに行こうと誘いに来た。スズキの90ccの「バンバン」というファットなタイヤを履いたレジャーバイクで、そいつに二人乗りして海岸を走った。弓なりの海岸が100kmあまりも続く鹿島灘を自由自在に走って移動できることに感激した。
同時に、体全体で風を感じて走る爽快感がとても新鮮だった。なにしろヘルメットの装着はまだ義務付けられておらず、ノーヘルで良かったのだから、その開放感は今とは比べものにならなかった。
そのオートバイ初体験で僕が真っ先に思ったのは、「オートバイがあれば、山へ行くことが楽になる」ということだった。行動範囲が飛躍的に広がることを想像して、すぐにでもオートバイを手に入れたくなった。
その頃僕は、登山用具の購入費用と夏休みに北アルプスへ行くための費用として、けっこうな額を貯めていた。それで自動二輪の免許を取り、オートバイの頭金とした。
残念だったのは、ちょうどぼくが16歳になった年から、小、中、限定なしの排気量別免許がはじまってしまったことで、仕方なく中型限定の免許を一発試験で取りに行った。
情報提供元 [ Route! Powered by TOURRING MAPPLE ]
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