【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】
ラオスの首都ビエンチャンを出発!
タイの国境の町ノンカイからメコン川を渡ったものの、ラオス側の川港タドゥアの税関では、RMX250Sを引き取ることができなかった。ラオスは国が開かれつつあるとはいっても、まだ鎖国同然で自由に旅することはできない。首都のビエンチャンを一歩出るのにも、旅行許可証が必要なのだ。その旅行許可証が取れた時点で、RMX250Sを引き取れるという。だがバイクでの旅行許可証はまったく前例がないのだ。
ノンカイまで迎えにきてくれたスズキ・ラオス副社長の張元靖浩さんの車で30キロほど離れた首都のビエンチャンへ。ビエンチャンは人口40万人の落ち着いた町だ。メコン川に沿って市街地が細長く延びている。
メコン川にほど近い「サムセンタイホテル」に泊まった。1泊20米ドル。ラオスの通貨はキープ(1キープは約0.2円)だが、タイ・バーツ、米ドルは、そのまま使えた。 バイクでの旅行許可証を手に入れるための役所まわりが始まった。外務省、内務省、対外経済関係省…と、各省庁をまわったが、その壁は厚い。
「これでは、もう無理だ」と何度か、諦めかけたが、そのたびにスズキ・ラオスの張元さんに助けてもらった。
張元さんのおあかげもあって、ラオス政府はじまって以来という、バイクでの旅行許可証を発行してもらった。対外経済関係大臣、内務大臣両大臣の署名の入った10数枚から成る書類だ。このバイクでの旅行許可証を持ってメコン川のタドゥア港に行き、RMX250Sを引き取った。税関のゲートを出る時は感激の一瞬だ。
▲1992年の大晦日。スズキ・ラオスのみなさんと新年を祝って乾杯!
1993年1月1日、ビエンチャンを出発。古都ルアンプラバンに通じる道を北へと走る。抜けるような青空が広がっている。遠くには青い山影が見える。高床式の家々。刈り取りの終わった水田。道を横切る水牛。すげ笠をかぶり、釣竿と魚籠を持った子供たちが、水田の中の溜池へと歩いていく。のどかな田園の風景だ。
ラオスの古都ルアンプラバン
ビエンチャンから北に400キロ走り、ルアンプラバンに着いた。メコン川とその支流カーン川との合流点に位置するルアンプラバンはラオスの古都。山あいのこじんまりとした町だ。
その昔はムアンサワー、後にシェントーンと呼ばれたこの地に、ランサーン王国が建国されたのは14世紀。それがルアンプラバンの王都としての歴史の始まりだ。聖なるプシー丘に登って町を見下ろす。旧王宮の国立博物館を見学し、隣り合ったワットマイ(マイ寺院)を参拝。ワットマイ本堂の黄金のレリーフは見事なもので、釈迦の生涯が描かれている。
ルアンプラバンから北へ。メコン川沿いに30キロ走ると、パクウー村に着く。メコン川とその支流ウー川の合流点にある。村の中を走り抜け、ウー川の河畔に出た。川幅は100メートル以上はある。船外機のついた渡し船がウー川を行き来している。
何人かの人たちの力を借りて、RMX250Sを渡し船に乗せた。渡し船はエンジンをかけ、川岸を離れる。大きく転回しようとした瞬間、RMXはバランスを崩し、川の中に落ちてしまった。
「あー、これで、インドシナ一周も終わりか」と思った瞬間、船頭をはじめ、川岸にいた何人もの人たちが川の中に飛び込み、力を合わせてRMXを川岸まで引き上げてくれた。水を切り、しばらく天日で乾かす。そのあとで、エンジンのスターターをキックした。すると5,6発目のキックでエンジンがかかった。
「よかった!」。
再度、RMXを渡し船に乗せ、今度は無事に対岸に渡ることができた。
ベトナム国境のタイチャン峠
北部ラオスの中心地、ムンサイに到着。中国雲南省にも近いこの町は、「アジア最奥」の感がする。ここから北西に進路をとれば中国国境だが、それとは逆の北東にRMX250Sを走らせ、ベトナム国境へと向かった。
朝もやの道を走る。点々と山地民の集落を見る。子供たちが道路を遊び場にしている。ブタが多い。イノシシのような顔をした黒ブタで、放し飼いにしている。ニワトリも放し飼いだ。RMXのエンジン音に驚いて、バタバタッと飛んでいく。ラオスのニワトリは空を飛ぶ。
やがて峠にさしかかり、峠道を登るにつれて雲海を見下すようになる。
ビエンチャンから770キロ走り、ベトナム国境のタイチャン峠に到達。峠上にベトナム側の国境事務所と国境警備隊の建物があった。ここではすぐさま国境警備隊長のタインさんのところに連れていかれた。
パスポートとビザ(入国査証)を見せると、「このビザではハノイには行けない」と言われた。ベトナムは旅行者の陸路での入国を認めていないからだ。ビザにはハノイのノイバイ空港か、ホーチミンのタンソニュエット空港から出入国するようにと書かれている。それを承知でここまでやってきたのだ。
タインさんはぼくのパスポートをあずかり、ライチャオ省の省都ライチャオと無線電話で連絡を取ってくれた。その夜は、国境警備隊の宿舎で泊めてもらった。夕食もごちそうになった。ポロポロのご飯と炒めた豚肉、それと青菜のスープ。ラオスでは粘っこい糯米が主食だが、国境を越えると米が変わった。食後は小さなカップで緑茶を飲んだ。
翌朝は6時半に起床。峠の空気はキリリッと冷たい。朝日が昇る。ラオス側は一面の雲海だが、峠の上空は抜けるような青空。桃の花がほころびかけていた。
昼すぎになって、ライチャオから返電がきた。陸路でのベトナム入国は認められないというもの。「もし、カソリを通したら、ワタシはコレだよ」といって、タインさんは首を切る真似をする。「もはや、ここまで」、といったところだ。
タインさんにパスポートを返してもらい、ラオスに戻った。ラオス側の国境の役人は、「ハノイに行けなかったのか」と、同情するような顔つきで、フリーパスで国境を通してくれた。来た道をムンサイの町まで戻り、さらにルアンプラバンから首都ビエンチャンまで戻るのだった。
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