【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】
▲バンコク中央駅のフォアランポーン駅前を出発
タイの首都バンコクを出発
「インドシナ一周」をしようとタイのバンコクにやってきたのは、1992年8月25日のことだった。だが日本から送り出したRMX250Sのタイ税関での引き取りは困難をきわめ、結局、引き取ることができないまま、いったん日本に帰った。
再度、バンコクにやってきたのは1992年12月13日のことで、今回はうまくバイクを引き取ることができた。それだけに天にも昇るような気分。
RMX250Sのキック一発、小気味よい2サイクルのエンジン音があたりに響く。
「頼むぞ、RMXよ!」
「インドシナ一周」のタイ編にはカメラマンの迫坪直樹さんが同行してくれた。
カソリがRMX250Sで前を走り、迫坪さんはタイスズキが用意してくれた150ccバイクで後を走る。目指すのはラオス国境のメコン川だが、その前に1泊2日でバンコク周辺をぐるりと走りまわる。
バンコクから北へ80キロの古都アユタヤへ。14世紀から400年つづいたアユタヤ王国の都だ。アユタヤに着くと、まっさきに日本人町跡に行く。江戸時代前期の御朱印船貿易で栄えた日本人町には、最盛期には数千人もの日本人が住んでいたという。
王宮跡や博物館、いくつもの寺院を見てまわり、アユタヤを出発。次にミャンマー国境に近いカンチャナブリに向かう。タイ中央部、チャオプラヤ川流域の平野を走る。広い。行けども行けども、はてしなく広がる水田。それはまさにアジアの穀倉地帯の風景だ。
強烈な日射し。炎天下を走りつづけるので、暑さと乾きで、のどが焼けつくようだ。頭がクラクラしてくる。町に着くと、冷えたコーラを買ってゴックンと一気に飲み干し、ひと息ついた。
平原のかなたに、ゆるやかな山並みが見えてくると、ミャンマー(ビルマ)国境は近い。カンチャナブリの町に到着。町並みを走り抜け、クワイ川の河畔へ。
ひと晩、クワイ川に浮かぶバンガローに泊まった。日が落ちる。残照を浴びて、まっ赤に燃えるクワイ川を眺めながら、川岸のレストランで夕食。タイ製ビールを飲みながら、タイの名物トムヤム(何種類もの香辛料の入ったスープ)、カオパット(焼き飯)を食べた。
翌日は映画『戦場にかける橋』ですっかり有名になったクワイ川にかかる泰緬鉄道の鉄橋をRMXで渡った。そのあと戦争博物館を見学し、連合軍の共同墓地で手を合わせた。
国境の町、ノンカイへ
1泊2日で400キロほど走り、バンコクに戻ってきた。今度はラオス国境の町、ノンカイを目指してバンコクを出発。北に100キロほど行くとサラブリの町に着く。ここで国道1号と国道2号に分かれ、国道2号でノンカイに向かう。
サラブリの町を出ると、前方に山々が見えてくる。タイの「母なる流れ」チャオプラヤ川と「アジアの大河」メコンの水系を分ける山並みだ。
平地から山地に入り、峠を越えた。イサーンと呼ばれるタイ東北部に入ったのだ。
イサーンに入ると、泣きが入る。前方にはまっ黒な雨雲。やがて土砂降りの雨が降り出す。国道2号の路肩にRMXを止めて雨具を着ようとしたのだが、路肩はツルツル滑り、そのままRMXともども道路下に転落してしまった。RMXのアクセルを目いっぱいふかして脱出しようとするのだが、もがけばもがくほど赤土が車輪にからみついてくる。迫坪さんと2人がかりで、渾身の力をこめてRMXを道路上に押し上げた。
国道2号をさらに北へ。イサーン最大の町ナコンラチャシマに着くと道を間違え、カンボジア国境の近くまで行ってしまった。だが、それがうれしくて、「おー、カンボジアか」と、壮大な気分になってくる。
コンケン、ウドンタニという大きな町を通り、バンコクから600キロ、国道2号の終点ノンカイに到着した。すぐさまアジアの大河メコン川へ。タイとラオスを分けるメコンの河畔に立った時は、迫坪さんに言われてしまった。
「カソリさん、もうすこし、うれしそうな顔をして下さいよ」
しかし、それは無理というものだ。もちろん、ノンカイに到着してうれしい。だが、それ以上に、胃がキリキリ痛むような緊張感、圧迫感にさいなまれてしまうのだ。
「あー、とうとう、ノンカイまで来てしまった…」
というのが、ぼくの正直な気持ちなのだ。
「迫坪さん、メコン川を渡らないですむのなら、このままバンコクへ引き返したいよ」
と、思わずそんな言葉が、ぼくの口をついて出る。
ノンカイから対岸のラオスに渡れるようになったのは、つい近年(1989年)のことでしかない。ラオスは鎖国同然の国だった。メコン川対岸ラオスは、あまりにも遠い国。ましてやバイクでメコン川を渡ることなど、考えられなかった。バイクでラオスに入れるかどうか、ラオスを走れるかどうかわからなかったが、それに挑戦しようと思ったのだ。 RMX250Sを目にしたヨーロッパ人の旅行者がやってきて、
「ほんとうにバイクでメコン川を渡れるの?」
と、疑わしそうな目つきで聞いてくる。
ぼくだって、自信はなかった。メコン川を渡ることができるのか。もし渡れたとしてもラオス側で、うまくバイクを引き取ることができるのか。さらにラオスは首都のビエンチェンを一歩出るのにも旅行許可証が必要な国だが、バイクでの旅行許可証が取れるものなのがどうなのか。
いくら「ノーテンキ・カソリ」だとはいっても、覆いかぶさってくる重圧があまりにも大きくて、ノンカイ到着を喜ぶ余裕を失くしていた。
国境の町ノンカイでひと晩泊まる。
夜が明けると、「もう、やるしかないんだ!」と、開き直る。
タイスズキから紹介されたサンティパブ社に行くと、ありがたいことにRMX250Sの通関手続は、すべてサンティパブ社がやってくれた。さらに、スズキラオスの副社長、ラオス生まれの張元靖浩さんが、わざわざノンカイまで来てくれた。張元さんはビエンチェンまで同行してくれるという。ついにラオスへの道が開けた。
カメラマンの迫坪さんと別れると、RMX250Sとともにフェリーに乗リ込み、メコン川を渡った。ラオスに入国したのは1992年12月25日のことだった。
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