
→Vストローム250で行く「鵜ノ子岬→尻屋崎2021」(5)
【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】
街を見て実感する東日本大震災からの10年
3月16日。「サンファンヴィレッジ」の朝食を食べ、7時30分に石巻を出発。「牡鹿半島一周」の開始だ。県道2号で風越峠を越えて牡鹿半島に入っていく。
牡鹿半島の西海岸には入江が連続するが、最初の入江の桃浦漁港でVストロームを止めた。漁港はすっかり整備され、新しい岸壁が完成している。震災直後の桃浦漁港の惨状を思い浮かべたが、東日本大震災から10年が過ぎたことを改めて実感するのだった。
高台に移された県道2号も完成している。高台移転した新しい家並みもできている。その入口には「小網倉浜団地」のように、団地名のついた表示板が立っている。
牡鹿半島の中心地、鮎川に到着。東日本大震災で町は壊滅したが、ここにきて復興の速度を上げている。鮎川は大津波に襲われただけでなく、東日本大震災の震源地に近いこともあって、大地震での揺れもひどかった。震災直後は、ほかでは見られないような道路の陥没や段差、亀裂ができていた。
金華山への船が出る鮎川だが、ここはかつては日本の捕鯨基地。捕鯨でおおいに栄えた。そのような鮎川の町には「ホエールタウンおしか」が完成し、捕鯨船も見られる。
鮎川を出発し、牡鹿半島南端の御番所公園へ。展望台からは、目の前に横たわる金華山を眺める。金華山の最高峰は金華山(445m)で、山名が島名になっている。
山鳥渡からコバルトラインに入った。牡鹿半島の稜線上を行く快適なワインディングロード。石巻市から女川町に入り、大六天の展望台から女川湾を見下ろした。
女川から石巻に戻った。震災から10年目にして、県道240号の日和大橋までのかさ上げ工事は完成。石巻漁港の魚市場に寄っていく。魚市場周辺には水産会社の加工場が建ち並んでいる。大津波で激しくやられた石巻漁港の復興は遅れた。1年たっても2年たっても浸水がつづき、悪臭の漂う魚市場とその周辺だった。
それが今ではすっかり蘇り、活況を呈している。
石巻漁港から日和大橋を渡って日和山へ。旧北上川沿いの堤防は完成している。日和山への登り坂からは、旧北上川が見下ろせる。
日和山山頂の鹿島御児神社を参拝し、旧北上川の河口一帯を見下ろす。新しい橋の架橋工事が進んでいる。日和山下の門脇小学校は震災遺構で残され、「南浜津波復興祈念公園」が開園した。
日和山を下りると、石巻港ICから三陸道に入った。鳴瀬奥松島ICを過ぎたところが料金所。三陸道は八戸JCTから鳴瀬奥松島ICまでの区間が無料供用中。鳴瀬奥松島ICでは国道45号に接続している。
三陸道の春日PAでVストローム250を止め、「牛たん定食」を食べた。これぞ仙台の味。三陸道から仙台東部道路に入り常磐道へ。仙台東部道路の岩沼ICから常磐道の山元ICまでの4車線化は3月6日に完成し、仙台東部道路は全線が4車線になった。常磐道もいわき中央ICまでの4車線化が進んでいる。
常磐道を南下し、いわき勿来ICを目指す。その途中、南相馬鹿島SAでVストローム250を止めた。ここではど迫力の「相馬野馬追」像が目を引く。南相馬市の雲雀ヶ原で繰り広げられる「神旗争奪戦」のシーンが思わず目に浮かぶ。
ここでは「なみえ焼きそば」を食べた。濃厚ソースと極太麺の「なみえ焼きそば」は、一度食べると、また食べたくなるような味だ。
「なみえやきそば」で元気をつけて、南相馬鹿島SAを出発。常磐道の「広野→いわき中央」間の4車線化が完成している。
いわき勿来ICで常磐道を降りた。国道289号から国道6号に入り、いよいよ鵜ノ子岬へ。JR常磐線の勿来駅近くの「ファミリーマート」で大好きな「焼きプリン」を食べ、左手の勿来海岸を見ながら走り、17時、鵜ノ子岬に到着。「鵜ノ子岬→尻屋崎」の往復1895キロを走り終えた。鵜ノ子岬の東北側の勿来漁港にVストローム250を止め、東北太平洋岸最南端の岬の風景を眺めるのだった。
東北と関東を分ける鵜ノ子岬を後にすると、いわき勿来ICで常磐道に入り、北関東道経由で東北道を南下。佐野SAで夕食。ここでは「鵜ノ子岬→尻屋崎」の往復走破を祝い、ちょっと贅沢してレストランで「佐野ラーメン」を食べ、デザートの「クリームあんみつ」を食べた。
東北道の久喜白岡JCTで圏央道に入り、最後は海老名南JCTで新東名に入り、22時20分、終点の伊勢原大山ICに到着。ここから我が家までは5分ほど。東日本大震災から10年目の「鵜ノ子岬→尻屋崎2021」が終わった。Vストローム250よ、ご苦労さん!
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