
→Vストローム250で行く「鵜ノ子岬→尻屋崎2021」(3)
【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】
復興を印象づける景色
3月14日。夜明けとともに起きる。外を見ると、前日につづいてザーザー降りの雨。ガックリ…。山田のうみねこ温泉「湯らっくす」で朝食。前夜、三陸鉄道の陸中山田駅前のスーパーで買ったコッペパンとバナナを食べ、コーヒー牛乳を飲んだ。「さー、がんばろう!」と気合を入れて、6時、宿を出る。ここまで3日間、同行してくれた渡辺哲さんと陸中山田駅前まで行き、そこで別れた。渡辺さんはいわき市に帰っていく。
山田から国道45号で宮古へ。ブナ峠を越え、豊間根を過ぎると宮古市に入る。宮古湾岸の巨大防潮堤は完成している。
宮古に到着すると、宮古漁港に行く。漁港を取り囲む巨大防潮堤も完成している。宮古漁港の魚市場前の岸壁には大型漁船がズラリと並んで停泊している。その光景は復興中の宮古を印象づけるものだった。
宮古から国道45号で田老へ。雨は雪に変わる。チラチラ舞う程度で路面に積もるほどではない。宮古を過ぎると雪に降られるのは、「鵜ノ子岬→尻屋崎」ではよくあることだ。ボソボソ降る雪で走れなくなり、「グリンピア三陸みやこ」に泊まったこともある。
田老は東日本大震災以前は、総延長2433メートルの巨大防潮堤で囲まれていた。城壁のような巨大防潮堤は「世界最強」といわれ、旧田老町は「津波防災の町」宣言をした。この巨大防潮堤が町を守ってくれるものと誰もが信じていた。
しかし今回の「平成三陸大津波」では、まったく役にたたなかった。高さ30メートルを超える大津波は海側の巨大防潮堤を一瞬のうちに破壊し、内陸側の巨大防潮堤を乗り越え、185人もの犠牲者を出した。
田老の防潮堤は二重構造で、中心点から東西南北の4方向に延びるX字型をしていた。そのうち残ったのは内陸側の2方向だけ。 田老は「明治三陸大津波」、「昭和三陸大津波」につづいて、今回の「平成三陸大津波」でも町は全滅した。
大津波によって破壊された防潮堤の一部は震災遺構として残された。6階建の「たろう観光ホテル」も震災遺構として残され、見学できるようになっている。
付け替え工事の終わった国道45号沿いには店が建ち始め、新しい家も建ち始めている。国道45号を右に折れ、坂道を登ると、高台移転した新しい田老が見られる。造成地を埋め尽くして瀟洒な家々が建ち並んでいる。
宮古市から岩泉町に入ると、小本温泉に寄っていく。ここは東日本大震災の後、営業を再開するかのように見えたが、結局、廃業湯になった。三陸海岸では本格的な温泉で、ここには何度か泊まっているだけに残念でならない。
田野畑村に入ると、国道45号から海沿いの県道44号に入っていく。県道44号は絶景ルート。観光船が出る田野畑港の前を通り、三陸鉄道の田野畑駅でVストローム250を止めて小休止。ここからは岬めぐりだ。弁天崎、北山崎、黒崎と岬めぐりをするはずだったが、県道44号は通行止。う回路を登っていくと、路面には雪が積もり、ツルツル滑って登れない。「岬めぐり」は断念し、来た道を引き返して国道45号に戻った。
国道45号で田野畑村から普代村に向かっていく。国道45号最高所の閉伊坂峠を越えようとしたのだが、峠道はズボズボの雪なので断念し、三陸道の尾肝要トンネルを走り抜けた。とはいっても、トンネル内のアイスバーンで転倒したらどうしようとヒヤヒヤだ。幸いにも尾肝要トンネルには凍結箇所もなく、無事に走り抜けられた。
普代村に入ると、三陸鉄道の普代駅前でVストローム250を止めた。雪は雨に変わった。身を切られるような冷たい雨でガタガタ震えたが、雪よりはまだましだ。
普代漁港の大田名部は巨大防潮堤によって、大津波から守られた。普代の巨大防潮堤は高さ11.6メートルの大津波をはじき返し、大田名部の集落に被害は出なかった。普代川河口の高さ15.5メートルの巨大な水門は、普代の町を大津波から守った。
普代も大津波の常襲地帯で、明治三陸大津波(1896年)では302人、昭和三陸大津波(1933年)では137人の死者を出している。しかし今回の平成三陸大津波(2011年)では、巨大防潮堤と巨大水門のおかげで大津波による死者はゼロだった。
国道45号で普代村から野田村に入る。大津波で大きな被害を受けた野田村だが、ここでは海岸一帯に海と町を分ける公園ができている。野田漁港の水門は完成し、延々と延びる巨大防潮堤も完成している。道の駅「のだ」で昼食。「磯重」を食べた。ホタテとウニを卵とじにしたもの。タコの酢の物がついている。いやー、生き返った。
久慈に到着。久慈では三陸道の建設工事が急ピッチで進んでいる。いままでの久慈道路は三陸道の一部になり、久慈ICから上がるようになっている。次の久慈北ICで三陸道を降り、国道45号を北上したが、久慈北ICからはさらに侍浜南、侍浜、洋野有家、洋野宿戸、洋野種市の各ICを通って青森県境を越え、階上ICで青森県内の三陸道にドッキングする。久慈から北の岩手県内の三陸道は全線開通が目前。
国道45号を北上し、岩手・青森県境を越えた。八戸に到着。八戸市内に入ると雨は止んだ。ほっとしたのもつかのま、三沢まで来ると雪が降り出した。路面に積もるほどの雪ではないので助かった。
三沢から国道338号で下北半島を北上。六ヶ所村から東通村に入り、東北電力の東通原子力発電所を過ぎたところで、尻屋崎への快走路、県道248号を行く。路面には、ほとんど雪は積もっていない。シャーベット状になった雪に滑らないように気をつけて走り、津軽海峡沿いの県道6号に出た。
三菱マテリアルのセメント工場を過ぎると、尻屋崎入口のゲートに到着。尻屋崎はまだ冬期閉鎖なので、尻屋の集落から尻屋漁港まで行き、尻屋漁港の岸壁にVストローム250を止め、そこを「鵜ノ子岬→尻屋崎」の往路編のゴールにした。鵜ノ子岬から968キロ走っての尻屋崎到着だ。
この日の宿は、むつ市の国道279号に面した石神温泉。すぐさま大浴場に直行。湯にどっぷりとつかり、冷えきった体をあたためた。湯から上がると、生ビールで乾杯。地獄から天国に昇ったかのような気分。2杯目の生ビールを飲み終えたところで夕食。「味噌貝焼定食」を食べた。ホタテの貝を使った味噌貝焼は下北半島の郷土料理だ。
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