【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】
アメリカには道がない!?
「サハラ砂漠往復縦断」(1987年~1988年)を終えた翌年、ハスラー50(水冷)を走らせて「日本一周」。その翌年の1990年には、「日本一周」で2万キロを走ったハスラー50をアメリカのロサンゼルスに送り、「世界一周」を開始した。
アメリカを走りはじめてまず困ってしまったことは、「アメリカには、道がない!」ということだ。
「え、ウソでしょ。世界で一番、自動車交通の発達した国、アメリカにどうして道がないのですか?」といわれそうだが、ないものはないのである。より正確にいうと、ハスラー50で走る道がないのだ。
アメリカはフリーウェイが発達している。日本でいうところの東名や名神といった高速道路だ。中央分離帯のある片側2車線とか3車線の道で、出入口はすべてインターチェンジ。それを西部ではフリーウェイといい、東部ではエクスプレスウェイなどといっている。日本だったら、高速道路以外に、たとえば東名だったら、並行して国道1号が通っている。いわゆる下道だ。ところがアメリカには、その下道のたぐいがないのだ。
アメリカンの道路網というと、大陸を東西に横断し、南北に縦断する高速道路のインター・ステーツ・ハイウェイ網がある。これは50ccバイクでは走れない。次にUS1号などの連邦ハイウェイ網がある。日本でいえば国道だ。その次にカリフォルニア州道1号などのステーツ・ハイウェイ網がある。これは日本でいえば県道だ。このUS道と州道を走り継いで、大陸を横断しようとした。そのUS道も州道も、いきなり高速道路になってしまうケースがしばしばあるのだ。
ロサンゼルスを出発し、カリフォルニア州道1号を北に100キロほど行くと、オックスナードという町に着く。町の手前から州道1号はいきなりフリーウェイに変わった。ほかに道がないので、フリーウェイになった州道をそのまま走ったが、その先でカリフォルニア州道1号はUS101号に合流する。交通量は格段に増え、もうこれ以上は無理だと判断し、インターチェンジまで来たところで、フリーウェイを降りた。
海沿いの小道を走ったが、“Road End"とか“Road Closed"の看板にぶつかって行き止まりになったり、一方通行の逆方向の道になったり、または住宅街に迷い込んで“Not Through Street"を走り、グルグルまわったあげくのはてに、また、もとの場所に戻ってしまったりと、さんざんだ。おまけにそのような道は“Stop"の連続。それは日本の一時停止とは違って、4方向全部が一時停止。交差点に先に入った車に通行の優先権がある。
「こんなことをしていたら、大陸横断どころか、サンフランシスコにだって、着けやしない。フリーウェイを走る以外に方法はない」
ロサンゼルスから北に150キロのサンタバーバラに近づいたところで、ぼくは覚悟を決めてフリーウェイに入った。とはいっても、3車線、4車線の高速道路をハスラー50で走る恐怖感といったらない。すぐわきを30トンの大型トレーラーが轟音をとどろかせて去っていく時など、風圧で吹き飛ばされそうになる。巨大な車の流れに巻き込まれ、激流に飲み込まれてさまよう小舟のようなものだ。
サンタバーバラの町の手前で、案の定というか、ハイウェイ・パトロールのパトカーに捕まった。
「What are you doing? 」(何してるんだ!)と、警官に怒鳴られた。
「あー、世界一周に出発したばかりだというのに…。罰金か」
フリーウェイの入口には“PEDESTRIANS、BYCYCLES、MOTER-DRIVEN CYCLES PROHIBITED"(歩行者、自転車、原付、通行禁止)と書かれている。
ぼくは警官に平謝りであやまった。
「今、世界一周Around the World)中なんですよ。大陸を横断(Coast to Coast)して、ニューヨークまで行くところなんです」
というと、2人の警官の態度は急に変わり、表情がやわらかくなった。
「オー、ソウカ。Coast to Coastナノカ。Around the Worldナノカ」といって、許してくれたのだ。さらにそのまま、フリーウェイを走ってもいいという。
「ただし、いいかね、フリーウェイは55マイル(88キロ)で走らなくてはならない。キミのバイクは55マイル、出るだろうね?」
そういいながら、ハスラー50のスピード・メーターをのぞきこむ。スピード・メーターの目盛りは、60キロまで刻まれているが、“60"という数字を見て、「OK! キミのバイクは60まで出るんだな。グッド・ラック!」といって、ハイウェイ・パトロールの警官は手を振って見送ってくれた。もちろんその60がマイル標示ではなく、キロ表示であることを百も承知の上でのジョークなのだが。このあたりがいかにもアメリカ人らしい。
「ロサンゼルス~ニューヨーク」間では、この後7回、ハイウェイ・パトロールに捕まった。だが、同じようなやりとりの結果、一度も罰金を取られることはなかった。8回とも全部、許してくれたのだ。アメリカ人の心の琴線には“Around the World"よりも、“Coast to Coast"の方が響くようだ。
ロッキー山脈の峠越え
カリフォルニア州からネバダ州を通って、ユタ州に入り、州都のソルトレークシティーに到着。ここからはUS40号を行く。だが、町の東側に連なるワサッチ山脈越えが大変だ。町を見下ろす山々は、まるで屏風のようにそそりたっている。そのため、山脈を越えるルートはごく限られ、US40号はI(インターステーツ)80号と一緒になってこの山並みを越えている。
I80号はアメリカの高速道路網の中でも最重要のルートといっていいほどで、サンフランシスコからソルトレイクシティー、オマハ、シカゴ、クリーブランドを経由しニューヨークに至る。交通量も多い。
「よーし、こうなったら賭だ!」とばかりに、一番交通量の少ない夜明け前をねらってI80号を走る。思ったとおりで、車はほとんど走っていない。だが、ワサッチ山脈の登りにさしかかるころには夜が明け、片側4車線のフリーウェイは、あっというまにかなりの交通量になった。
「悪いな、ハスラー」
と、何度もハスラー50に声をかけ、馬にムチを入れるような感じであえぎあえぎ登り、ワサッチ山脈を越えた。I80号と分岐するUS40号に入ったときは、「フーッ」と、大きく息をして、胸をなでおろすのだった。
ロッキー山脈の麓の町、スチームボートスプリングスにやってきた。いよいよロッキー山脈の峠越えが始まる。アメリカ横断の最大の難関だ。
まず最初にラビットイヤー峠を越える。きつい登りで、ギアを3速、2速に落とし、登りきれなくなるとローギアを使う。ラジエターの温度計のニードルを見つづけ、要注意のレッドゾーンに入りかかるとハスラー50を止め、エンジンを冷やすのだ。峠までの間で4回休み、標高9426フィート(2828m)のラビットイヤー峠を越えた。
ラビットイヤー峠を下ると、コロラド川の源流に出る。そこからバーソウッド峠に挑戦。峠下のウィンターパークの町のフィリップ66のスタンドで給油したあと、
「どうか、ハスラーのエンジンがもちますように!」
と、祈りたくなるような気分で峠道を登り始める。
バーソウッド峠の登りは、ハスラー50にとっては心臓破り。途中で、何度も、何度も止め、エンジンを冷やした。そのたびに、「ゴメン、ゴメン」と謝った。峠までの間では10回以上も止めてエンジンを冷やし、ついに標高1万1307フィート(3392m)の“コンチネンタル・ディバイド(大陸分水嶺)"碑の立つバーソウッド峠に到達した。「ハスラーよ、これで、もうミシシッピー川まで、ずっと下り坂だ。きつい坂道を登ることも、峠を越えることも、ないからな。ご苦労さん!」
と言葉をかけて、休ませてあげるのだった。
バーソウッド峠を下る。際限のない下りが延々とつづき、コロラドの州都デンバーまで一気に駆け下っていく。デンバーからはカンザス州の大平原を走り、セントルイスでミシシピー川を渡り、東部に入っていく。
アパラチア山脈を越え、ワシントンを通り、「アメリカ横断」のゴール、ニューヨークに到着。ロサンゼルスを出発してから21日目、7066キロ走ってのゴールだった。
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