
【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】
東日本大震災の発生から10年目の2021年3月11日、「鵜ノ子岬→尻屋崎」に旅立った。
我が相棒のVストローム250を走らせ、午前6時、東京の日本橋に到着。『ツーリングマップル関東』を担当している中村聡一郎さんがぼくを待ち構えてくれていた。中村さんに見送られて日本橋を出発。箱崎ランプで首都高に入り、常磐道を北へ。9時、常磐道のいわき勿来ICに到着。9時15分、鵜ノ子岬に到着した。
鵜ノ子岬は東北太平洋岸最南端の岬。ここから目指す尻屋崎は、東北太平洋岸最北端の岬になる。東日本大震災によって引き起こされた大津波は、日本の歴史上でも最大級のものたが、その被災地の東北太平洋岸の全域を見てまわる「鵜ノ子岬→尻屋崎」なのだ。2011年3月11日14時46分、三陸沖で発生したマグニチュード9.0という世界最大級の超巨大地震は大津波を引き起こし、想像を絶する被害をもたらした。
地震発生から1時間もたたずに、高さ10メートルを超える大津波が東北の太平洋岸の全域を襲った。最大波高は綾里湾(岩手)で記録した40.1メートル。震災直後のテレビニュースの画面を食い入るようにして見つづけたが、真っ黒な壁となって猛烈な勢いで押し寄せる大津波が家々や田畑を飲み込み、道路を飲み込み、ものすごい数の車を飲み込んでいくシーンには言葉を失った。
大津波に追い討ちをかけるようにして、今度は原発の爆発事故が起きた。東京電力福島第一原子力発電所の1号機、2号機、3号機、4号機が次々と爆発。レベル7という史上最悪の原発事故になってしまった。
震災のその後を自分自身の目で
大津波で壊滅的な被害を受けた東北の太平洋岸を自分自身の目で見てみようと始めたのが「鵜ノ子岬→尻屋崎」。今回の「鵜ノ子岬→尻屋崎」は第26回目になる。
鵜ノ子岬の北側、福島県の勿来漁港を出発すると、「奥州三関」のひとつ、勿来の関址に行く。ここには八幡太郎義家こと源義家の騎馬像が建っている。勿来の関址は高台にあるので、大津波の被害を受けることなかった。国道6号に出ると、JR常磐線の勿来駅前を通り、常磐バイパスに入る。常磐バイパスの4車線化は東日本大震災後に完成した。
植田から海沿いの県道239号を行く。常磐共同火力発電所と隣り合って、IGPCの最新鋭の火力発電所が完成している。この先の県道239号はいわき市でも最後まで通行止区間として残ったが、今ではきれいな2車線の道になっている。防災緑地も完成している。臨海工業地帯を走って小名浜に向かったが、今では大津波の痕跡はまったく見られない。
小名浜では大規模な商業施設の「イオンモール」が目に飛び込んでくるが、これは東日本大震災後に工事が始まり完成したもの。小名浜の人気スポット「いわき・ら・ら・ミュウ」を歩いたが、ここには1階、2階に何軒かのレストランがあるのでオススメ。2階では「3・11いわき市の東日本大震災展」の展示を見られるが、とくに目を引いたのは再現された避難所の生々しい様子。被災されたみなさんは、ダンボールで仕切られた狭いスペースで何日も何日も過ごされた。
▲「いわき・ら・ら・ミュウ」内の「3・11いわきの東日本大震災展」
小名浜から「岬めぐり」を開始。三崎の展望台からは小名浜を一望する。ここは我が定点観測ポイントで、震災後の移り変わっていく小名浜の様子を見続けている。このようなカソリの定点観測ポイントは「鵜ノ子岬→尻屋崎」間には、何ヵ所かある。
つづいて竜ヶ崎、合磯岬、塩屋崎、富神崎と岬をめぐったが、これらの岬は中之作漁港、江名漁港、豊間漁港、沼ノ内漁港とセットになっている。しかし、これらの漁港は風評被害でまだ本格的な操業はできず、どこも閑散としている。東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故は、いまだに深刻な影響を福島県の太平洋岸の浜通りに与え続けている。
県道382号で新舞子浜を走り、夏井川を渡る。夏井川にかかる磐城舞子橋は震災後、段差ができて長い期間、通行できなかった。今ではその痕跡も残っていない。
今晩泊まる四倉舞子温泉「よこ川荘」の前を通り、四倉で国道6号に合流。道の駅「よつくら港」で昼食。「海鮮釜めしともりそばセット」を食べたが、そばのうまさが際立っていた。
▲国道6号の道の駅「よつくら港」の「海鮮釜めしともりそばセット」
四倉からは海沿いの県道395号を行く。この道は旧国道6号。国道6号の久之浜バイパスが完成したので県道になったのだ。波立薬師のある波立海岸の防潮堤工事は終わり、きれいな海岸線になっている。久之浜では大津波にも残った奇跡の秋葉神社で、東日本大震災の慰霊祭が始まろうとしていた。
▲波立薬師のある波立海岸。防潮堤が完成し、きれいな海岸線になった
久之浜の町を走り抜け、国道6号に合流。広野町を通り、楢葉町に入る。この広野と楢葉の町境が長い間、通行止地点で、警察車両が国道6号を封鎖していた。それも、今ではまるで幻だったかのように思えてくる。楢葉町に入ると、道の駅「ならは」があるが、ここは再開してまだまもない。道の駅「ならは」の再開は楢葉町の復興に弾みをつけた。
木戸川河口の天神岬の展望台から太平洋岸を眺めると、楢葉の町役場に隣り合った「楢葉町コミュニティセンター」での「東日本大震災」の慰霊祭に参列する。大地震発生時刻の14時46分に1分間の黙とう。そのあと松本町長の式辞を聞いた。
楢葉の町役場からは国道6号を北へ。楢葉町と富岡町の町境を通過。ここも長い間、通行止地点になっていた。道路左側にはパトカーが常駐していたが、ここで折り返さなくてはならなかった。富岡町に入ると、中心街を走り抜けたところに富岡消防車があったが、国道6号が通行できるようになっても二輪車の通行止はつづき、ここで折り返さなくてはならなかったのだ。その富岡消防署も今では取り壊されて、更地になっている。
富岡町から大熊町、双葉町と町境を越えていくが、国道6号は今はまったく問題なく全線が走れる。規制の連続だった国道6号だけに、夢のような気もする。
▲国道6号で富岡町から大熊町に入る。今は国道6号の全線が走れる
双葉町では、中心街で国道6号を左折し、国道288号を行く。国道288号の規制が解除され、県道35号まで走れるようになった。阿武隈山地の山裾を走る県道35号を今度は南へ。大熊町、富岡町、楢葉町、広野町と走り、いわき市に戻ってきた。
今晩の宿、四倉舞子温泉の「よこ川荘」に到着。ここで地元、楢葉町の渡辺哲さんと、毎年、3・11には被災地を走っている古山里美さんに合流。湯に入り、夕食を食べ終えると、部屋での飲み会開始。ビールや日本酒を飲みながら、『ツーリングマップル東北』の2021年版を開き、福島・太平洋岸の浜通りを熱く語り合うのだった。
▲「よこ川荘」の女将さんが作った3年ものの「ラッキョウ」は絶品!
【ウェビック バイク選び】
■【Vストローム250】の新車・中古車を見る
この記事にいいねする