前回:SX200Rで「サハラ砂漠縦断」(1987年~1988年)第3回目

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

復路でのサハラ砂漠縦断開始!

アガデスからタマンラセットまでが、サハラ砂漠縦断(復路編)の最大の難関だ。その間は900キロ。「ホテル・サハラ」の中庭で、SX200Rの整備をする。エアークリーナーのエレメントをガソリンで洗い、薄くオイルを塗っておく。キャブレターをはずすと、フロート・チャンバーをはずし、パンク修理用のポンプでエアを吹きつけ、パイプやジェット類の掃除をする。スパークプラグは交換する。チェーン調整をし、砂対策として、チェーンのオイルをふきとっておく。

それが終わると、ガソリンスタンドに行き、オイルフィルターを交換し、オイルも交換する。最後に35リッター・タンクを満タンにする。食料も用意した。といっても、パン1本、チーズ1箱、タマネギ1個、デーツ1キロと、これだけだ。それと、2リッターの水。準備万端整ったところで、ポリスでパスポートにスタンプをもらった。

1988年2月12日、10時にアガデスを出発。240キロ先の、アルリットを目指す。アルリットまでは、アイール山地西側に、一筋の舗装路が延びている。水の一滴も流れていないワジ(涸川)を何本も渡る。涸川の周辺には、比較的草木が多いので、そこではラクダやヤギ、ヒツジ、ロバなど家畜と暮らす遊牧民のトアレグ族を見かける。

▲サハラの遊牧民のトアレグ族

▲自家製のチーズを売っている

▲トアレグ族のラクダが行く

一晩、アルリットのキャンプ場に泊まったが、猛烈な砂嵐に見舞われた。翌朝、キャンプ場を出発。ポリスに立ち寄り、ここでもパスポートにスタンプをもらい、アルリットの町を離れていく。この時の心細さといったらない。大海に一人、小舟で乗り出していくようなものだ。

町を出ると舗装路は途切れ、砂道に変わる。アルリットはウラン鉱山の町で、1970年代初期に始まったウラン鉱山の開発とともにできた新しい町。ウラン鉱山のボタ山を過ぎると、一木一草もない大平原に入っていく。360度の地平線に囲まれた世界。砂はそれほど深くはない。

▲一望千里のサハラ

前夜の猛烈な砂嵐で、すっかり砂をかぶったルート(轍)は、今にも消えんばかりの頼りなさ。ほぼ1キロおきに点々と置いてある道標のドラムかんが唯一の命綱だ。

▲サハラ砂漠縦断路の道標で小休止

アルリットを出てから2時間ほどすると、また砂嵐になった。最初のうちこそ幾筋もの筋となって地面を這うように流れていた砂が、まるで地吹雪のように荒れ狂って吹きまくるようになる。そのうち、舞いあがる砂で、視界はほとんどなくなる。

砂嵐がおさまるまで、じっとしていればよかったものを無理に走ったものだから、石ころのゴロゴロした岩砂漠地帯に入ったところでルートを見失ってしまった。
「しまった!」
頭から冷水をぶっかけたれたような衝撃を受ける。
SX200Rを止め、そのかげで、じっとうずくまっている。猛烈な勢いで、砂がたたきつけてくる。生きた心地はしない。
2時間あまりたって、砂嵐はだいぶおさまった。近くの小高い岩山に登り、あたりを見渡すと、砂煙のかなたにドラムカンの道標が見えるではないか。
ドラムカンの方向を目指して、SXを走らせる。2キロあまり走っただろうか。道標にたどり着いたときは、
「助かった!」
とばかりに、その場にヘナヘナッと座り込んでしまった。

アルリットから140キロほど走った地点は、きわめつけの難所。ズボズボの砂が1キロ以上にわたってつづく。あたりには打ち捨てられたサハラ縦断の車が10台あまり見られた。

サハラではオアシスから遠く離れたこのようなところでトラブルを起こせば、車を捨てる以外に方法はない。そこはまるで「車の墓場」。それを象徴するかのように、鉄製の十字架が立っていた。

▲ここはサハラの「車の墓場」

このディープサンドの難所では、手前からスピードを上げ、トップギアで砂の海に突っ込んでいく。スピードが落ちてくるたびにギアをすばやくシフトダウンさせ、最後はローギアまで落とし、両足で砂を蹴りながら前進する。「車の墓場」を乗り越えたときは、「やったぜ!」とガッツポーズだ。

午後、ニジェールとアルジェリアの国境に到着。ニジェール側のアッサマカの食堂では、冷たい水を飲むことができた。そのあと肉汁をかけたご飯を腹いっぱい食べた。

▲ニジェールとアルジェリアの国境に到着

▲アルジェリア側のサハラ砂漠縦断路の道標

国境事務所で出国手続きを終えると、アルジェリア側へ。
一面の砂原を数キロ走ったところに、ニジェール・アルジェリア両国の国境を示す白いポールが立っている。そこからさらに数キロ行くと、アルジェリア側の国境事務所に着く。入国手続きを終え、きつい砂道をさらに数キロ走ると、アルジェリア側の国境の町、インゲザムに到着だ。
「アガデス→タマンラセット」間の一番の難所を突破した。

ガソリンスタンドで35リッター・タンクを満タンにすると食堂で夕食を食べ、野宿するのだった。

タマンラセットに到着だ!

翌朝は、まだ暗い6時半に起き、7時には出発する。タマンラセットまであと400キロ。これが最後の難関だ。
インゲザムの町はずれには、無数の白いテントが並んでいた。その数は数百。すべて南のマリやニジェールからの難民たちだ。
7時の気温が18度。風が冷たい。インゲザムを出てまもなく日の出。地平線から昇る神々しい朝日に、思わずSX200Rを止め、手を合わせた。

次第に砂が深くなる。インゲザムから40キロの地点が、タマンラセットまでの間での一番の難所。ゆるい勾配の登り坂がつづくが、そこがとくに砂深い。2速でも走れず、最後はギアをローにまで落とし、両足で砂を蹴りながら登る。息苦しくなるとSX200Rを止め、ギアをニュートラルにし、肩で大きく息をする。

砂地獄を抜け出したところで朝食。パンにチーズをはさんで食べ、生のタマネギをかじり、デーツを3、4個食べる。最後に水筒の水を一口、飲む。

9時、気温19度。サハラは一転して、砂砂漠から岩砂漠へと変わった。あちこちにモニュメントのような岩山が見える。見事なオブジェの世界だ。

10時、気温20度。強烈な洗濯板状のコルゲーションになる。腹わたがちぎれるような振動だ。

12時、気温25度。2月のサハラだから、気温はそれほど上がらないが、目が痛くなるくらいに日差しは強い。色が飛び、すべてがまっ白に見えてくる。そのため砂深いところと、そうでないところをみきわめるのが難しくなる。ルートの選択ができないままディープサンドに突っ込み、スタックしたこともある。

14時、気温27度。ホガール山地に入っていく。巨大な岩山がボコ、ボコッと、まるで積木細工のようにのっている。砂が少なくなり、走りやすくなった。

▲ホガール山地に入っていく

▲やった、舗装路だ!

タマランセットまであと60キロという地点で、ピストから舗装路になった。思わず「やった!」と、SX200Rに乗ったまま、拳を空に突き上げた。タマンラセットへの舗装路を走る。難関を突破したこともあって、雲の上を飛んでいるかのような、浮き浮きした気分だ。

夕方、タマンラセットに到着。「ホテル・タハット」に泊まった。タハットとはホガール山地の最高峰(3003m)。シャワーを浴びると、頭は砂でジャリジャリだ。3日ぶりにひげを剃り、さっぱりした。ホテルのレストランで夕食にする。スープに、ソーセージ、ハム、それにライスがついている。デザートはケーキ。久しぶりの食事らしい食事に、タマンラセットに到着した喜びをかみしめるのだった。

▲タマンラセットの「ホテル・タハット」

▲サハラのオアシス、タマンラセットを歩く

SX200Rよ、地中海だ!

タマンラセットを出発。北回帰線を越え、700キロ北のオアシス、インサーラへ。

▲タマンラセットからインサーラへ

▲インサーラまであと240キロ

▲無人のサハラにポツンとある食堂

▲「サハラ食堂」でパンと肉汁を食べる

▲インサーラに到着

▲砂丘の上からインサーラを見下ろす

▲インサーラからレガンへ

インサーラからレガンに向かった。なつかしのレガン。
往路編サハラ砂漠縦断でマリ国境のボルジュモクタールに向かった時のシーンが、思い出されてくる。こうして、生きて戻ってくることができたことをありがたく思うのだった。

▲レガンに戻ってきた。ここは往路編のサハラ砂漠縦断路の出発点

レガンから地中海へ。アルジェリア第2の都市、オランを目指す。2月下旬の寒いサハラとの戦いだ。SX200Rで切る風は、体を突き抜けるような冷たさ。天気は悪く、日中になっても、それほど気温は上がらない。途中の通り過ぎたオアシスでは、子供たちと一緒になって砂丘に登ったりした。

▲サハラのオアシス、イグリの町

▲子供たちと一緒に砂丘を登る

▲砂丘の上からオアシスを見下ろす

▲ここはサハラのバス停。砂丘の前でバスを待つ人

▲SX200Rにはサハラの砂丘がよく似合う

▲サハラの砂が流れていく

サハラの二大砂丘群のひとつ、グラン・エルグ・オクシデンタル(西方大砂丘群)が、ものすごい勢いでサハラ砂漠縦断路に迫ってくる。

アルジェリア西部の中心都市、ベシャールに近づくと、前方にはアトラス山脈の山並みが見えてくる。川には水が流れている。橋がかかっていないので、水しぶきをあげて川渡りをした。アガデスを出発して以来、初めて見る川の流れ。日本では川に水が流れているのはあたりまえのことだが、サハラでは水の流れていない川があたりまえなのだ。川の流れを見て、「あー、サハラが終わってしまった…」と、実感した。

▲ここはサハラのオアシス、タギット

▲「ラクダに注意!」の標識

▲サハラのオアシスのナツメヤシ

▲川に水が流れている!

▲ベシャールに到着。サハラが終わった!

ベシャールからアトラス山脈を越える。寒さは、いよいよ厳しくなった。ギニア湾岸では夜になっても30度を超える蒸し暑さ、サハラの南では40度を越える猛暑だった。暑さに慣れた体に、アトラス山脈の寒さがこたえた。

▲アトラス山脈に入っていく

▲アトラス山中の町の市場

アトラス・サハリアン、アトラス・テリアンと、アトラス山脈の2本の山並みを越えると、サハラとはまるで違う緑したたる風景が目の前に広がる。緑の絨毯を敷きつめたかのような牧場。そのかたすみには、マーガレットやキンセンカなどの色とりどりの野花が咲いていた。

1988年3月2日。ギニア湾のコトヌーを出発してから26日目に、地中海の港町のオランに着いた。

▲オランに到着

▲オラン港を見下ろす

中心街を走り抜け、地中海を見下ろす高台に立った。
「SX200Rよ、地中海だ!」

▲SX200Rよ、地中海だ!

「コトヌー→オラン」の復路編「サハラ砂漠縦断」は5225キロになった。

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