前回:SX200Rで「サハラ砂漠縦断」(1987年~1988年)第2回目

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

熱帯雨林の村

コートジボアールの首都アビジャンからガーナに入ると、熱帯雨林の村、ヤレヤ村に何日か滞在した。ここでは熱帯雨林の中で暮らす村人たちの生活ぶりを見た。

▲コートジボアールの首都アビジャンを出発

▲ガーナの熱帯雨林の村、ヤレヤ村

▲ヤレヤ村の子供たち

ヤレヤ村はアブラヤシで囲まれている。そのアブラヤシから、村人の好物のヤシ酒がつくられる。
ヤシ酒づくりがおもしろい。ヤシ酒用にアブラヤシを1本倒し、マーガリンを固めたような樹芯から樹液を取るのだ。ストローで樹液をポトポトと、器に落とす仕組みになっている。熱帯雨林の高温多湿な気候が樹液を適度に発酵させるので、まる1日かけて器がいっぱいになる頃には、甘味と酸味がほどよく調和したヤシ酒ができあがっている。ビールよりも弱い酒で、アルコールの度数は2、3度といったところであろうか。

▲ヤシ酒をつくっている

より強い酒が欲しくなるのは人間の自然の欲望のようで、森の中の水場の近くでは、蒸留酒を作っている。200リッターのドラム缶にヤシ酒を入れ、栓をすると、下から火を焚く。沸騰してくると、ヤシ酒は蒸気になり、ドラム缶上部の螺旋状の銅製パイプの中に入っていく。銅製パイプは水の中を通っているので、冷やされたヤシ酒は液体になり、ポリタンクの中に落ちていく。ある程度、取ると、ドラム缶の底近くの栓を抜き、残りは捨ててしまう。

▲森の中の蒸留酒製造所

200リッターの醸造酒のヤシ酒から20リッターほどつくられる蒸留酒のヤシ酒は「アペテシ」と呼ばれているが、火をつけると、ポッと青白い炎が燃え上がるほど強い酒。それをチビチビ飲むのではなく、一気に飲み干す。ウイスキーよりも強い酒で、60度ぐらいの度数はありそうだ。

▲出来上がった蒸留酒を飲む

アペテシのつまみには、アブラヤシの幹に巣食うアココノというカブトムシの幼虫をひとまわり大きくしたような虫を食べる。それを串刺しにして塩焼きにする。見栄えは良くないが、味は抜群の良さ。口にふくむとプチュッとつぶれ、さっぱりとした脂分とかすかな甘味が口の中に広がる。それがまた、頭がクラクラするほど強いアペテシによく合っている。

▲ヤレヤ村のアブラヤシの林

▲アブラヤシの実。これが村の収入源

▲アブラヤシの実を臼で搗いてヤシ油を取る

ヤレヤ村での主食はキャッサバとヤムイモ、タロイモの芋類と料理用バナナのプランタイン。プランタインは青いうちに食べるが、バナナというよりもイモ。熟してもうまくない。これらの芋類とプランタインの皮を包丁で剥き、鍋で茹で、臼で搗いて餅にする。その餅をフーフーという。

▲夕食の準備。キャッサバの皮を剥いている

▲茹でたキャッサバを臼で搗いて餅にする

フーフーの食べ方は次のようなものだ。
出来上がったフーフーをホウロウの器に入れ、別のホウロウの器に汁を入れる。汁の中にはトウガラシやタロイモの若葉、タニシのような貝、沢ガニ、ドウモと呼ぶアブラヤシの幹につくキノコなどを入れる。フーフーと汁の入った器を真中に起き、男女の別なく、みんなで囲む。フーフーを手づかみで取り、それを手の中で丸め、汁をつけて食べるのだ。

熱帯雨林のヤレヤ村を後にすると、ガーナの首都アクラを通り、トーゴからベニンに入る。ベニンのギニア湾岸の港町、コトヌーが復路編のサハラ砂漠縦断の出発点だ。

▲ガーナの首都アクラの市場を歩く

▲トーゴの首都ロメのココヤシ林

▲ベニンの海岸のココヤシ林

「サハラ砂漠縦断」、復路編の開始!

1988年2月6日午前6時。サハラ砂漠を目指し、出発だ。ギニア湾に面したコトヌーの町は、まだ暗い。いよいよ、復路編での「サハラ砂漠縦断」が始まった。

SX200Rのエンジンをかけ、はるか遠くの地中海を目指し、北へと走る。
うっすらと、夜が明けてくる。湿気をたっぷり含んだ朝靄をついて走る。我慢できないほどの蒸し暑さなので、Tシャツ一枚という格好だ。

▲ベニンのコトヌーから北へ。復路編の「サハラ砂漠縦断」の開始

▲蟻塚の前で記念撮影

▲荒野に咲く花

北上するにつれて、空に向かってスー、スーッと伸びるココヤシは姿を消し、バナナも消えていく。風景は熱帯雨林からからサバンナへと変わる。それとともに空気は乾き、緑が薄れていく。乾期なので木々は葉を落とし、日本の冬枯れの景色を見ているかのようだ。
ニジール国境の町マランビルに近づくと、綿花を満載にしたトラックと頻繁にすれ違う。このあたりには綿花畑が多い。収穫したばかりの畑のあちこちに、綿花を積みあげた白い山ができていた。

コトヌーから国境の町マランビルまでは700キロ。風景はサバンナからステップ(草原地帯)へと変わっていく。それとともに、暑さが一段と厳しくなる。猛暑を避けるようにして、町の入口の食堂に入った。冷たいコーラをガブ飲みし、サラダとステーキの昼食を食べた。満腹になったところで、国境に向かった。

ベニン側の出国手続きは簡単だったが、ニジェール川にかかる橋を渡り、ニジェール側に入ると、そうはいかない。荷物を全部、調べられる。こういう時は我慢が肝心。
「な、なんで、こんなに…」
と、心の中で怒っても、その怒りを顔に出してはいけないのだ。

▲ベニンとニジェールの国境を流れるニジェール川

国境でトラブルを起こしたら、それこそ入国できない場合もある。調べが終わるのを気長に待つしかないのだ。
忍耐のかいがあり、パスポートに入国印をもらった。「それ行け!」とばかりに、首都ニアメーに通じる舗装路を走り始める。40度近い、焼けつくような暑さに、タフなSXのエンジンも焼けつき気味だ。
草原のかなたにまっ赤な夕日が落ちると、やっと、しのぎやすくなる。SXのエンジン音も生気をとり戻したかのように、弾んで聞こえる。そのまま夜道を突っ走り、コトヌーから1000キロ、ニジェールの首都ニアメーに到着した。

サハラ砂漠の玄関口、アガデスに到着!

ニアメー出発の朝は、砂嵐の様相だ。サハラ砂漠から吹きつけてくる冷たい砂まじりの風で、空はベールで覆われたようにうす暗い。降り注ぐ砂で視界は悪く、車はライトを灯けて走っている。

▲ニジェールの首都ニアメーを出発。アガデスへ!

ニアメーからサハラ砂漠のの玄関口、アガデスに向かう。北に向かうにつれて、サハラから吹きつけてくる風は、次第に冷たさを増す。
ドッソ、ドゴンドゥチ、ビルニンコンニという町々を通っていくが、そのたびにポリスに出頭し、書類に書き込み、パスポートにスタンプをもらわなくてはならない。それをしないと、道路を遮断した検問所のチェックにひっかかり、町まで戻されてしまう。

▲ドッソの町に入っていく

▲バオバブの木の下で

▲おもしろい形をした穀物倉が並んでいる

ナイジェリアとの国境の町、ビルニンコンニでは、「エセンス(ガソリン)、エセンス!」と、闇のガソリン売りの呼び込みの声がすごかった。ニジェールのガソリンは、日本とほぼ同じで、1リッターが240CFAフラン(約120円)前後。ところが産油国のナイジェリアから入ってくる闇ガソリンは、その半値で売られていた。

しかし、闇ガソリンの評判はよくない。水増しガソリンをつかまされる危険性があるというのだ。ほんとうに水で増したガソリンなのだという。水増しガソリンが恐くて、ガソリンスタンドで給油した。「ニアメー→アガデス」間では一番大きな町タウアでは、「ガラビ・アデール」というホテルに泊まった。町歩きが楽しかった。

バスターミナルでは、「ニアメー、ニアメー!」とか、「アガデス、アガデス!」といった客引きの呼び込みの声でにぎやかだ。バスといっても、マイクロバスが中心で、トヨタのハイエースが大活躍している。

市場内で床屋をみつけた。アガデスからのサハラ縦断に備え、髪をばっさり切ってもらおうと、店を構えた床屋に入った。というのは、アフリカでは、木などの下で店を開く露天の床屋が一般的だからだ。バリカンで、それこそ丸坊主に近いくらいに、短くしてもらった。こうしておけば、サハラの直射日光を浴びても、ヘルメットの中で頭が蒸れることもないし、ヘルメットからはみ出た髪が目の中に入るようなわずらわしさもない。

夕方の礼拝の時間になると、町のあちこちにあるモスクや屋内、屋外の礼拝所に人々は集まり、東のメッカに向かって祈る。ニアメーでもそうだが、ニジェールに入るとイスラム教一色になり、キリスト教の影は薄くなる。

タウアを出発し、アガデスに向かう。集落は次第にまばらになり、雑穀畑がいつしか消え、ラクダをひきつれた遊牧民を見かけるようになる。
「タウア→アガデス」間の最後の町アバラックには、ラクダ市が立っていた。アバラックを過ぎると、風景はステップ(草原地帯)からサハラ(砂漠)へと、急速に変わっていく。

▲緑がみるみるうちに少なくなっていく。サハラが近い!

▲アガデスまであと385キロ

▲木陰でひと休み

タウアを発った日の夕方、アガデスに到着。その名も「ホテル・サハラ」に泊った。ニアメーから1000キロ、コトヌーから2000キロのアガデス到着だ。

▲アガデスに到着。町のシンボル、モスクの塔

▲アガデスの目抜き通り

▲アガデスのガソリンスタンド

▲アガデスの「ホテル・サハラ」に泊まる

▲アガデスの夕日

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