
【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】
4月13日、「北海道一周」の第4日目。みついし昆布温泉「歳三」の朝湯に入り、朝食を食べ、8時に出発。国道235号で静内に戻る。三石町と静内町は合併して今は新ひだか町になっている。JR日高本線の静内駅前でジクサーを止めたが運休中。「鵡川~様似」間の日高本線は廃線が決定的だという。
▲みついし昆布温泉「歳三」の朝食。「サケのバター焼き」が美味!
北海道からまた1路線、鉄道が消えていく。 静内の真歌公園に行き、「松浦武四郎記念碑」を見る。探検家、松浦武四郎の蝦夷地踏査の足跡は北海道遺産。ここはシャクシャイン城址で、アイヌの英雄、シャクシャインの像が建っている。「シャクシャイン記念館」もある。
隣り合った「新ひだか町アイヌ民俗資料館」にはアイヌの外洋船「イタオマチブ」が展示されている。シャクシャイン城址の展望台からは、足下を流れる静内川と静内の町並みを見下ろす。
▲静内の真歌公園のシャクシャイン城址展望台からの眺め。静内を一望!
静内からは浦河を通り様似へ。JR日高本線の終着駅、様似駅前でジクサーを止めた。様似では「蝦夷三官寺」の等澍院に行く。明治になると国の保護を失い廃寺に追い込まれたが、今では再興を果している。
様似からは国道336号→道道34号で強風の襟裳岬へ。岬周辺の台地に樹木は見られない。まるで敷つめられたかのような笹が地面を這い、笹原の中を一筋のアスファルト道が延びている。このあたりはカシワやミズナラの茂る樹林地帯だったということだが、伐採で荒野に変り、強風に舞って砂が飛ぶようになった。
今は盛んに植林がおこなわれている。
襟裳岬はいつも通りの「風の岬」だ。ジクサーが強風で吹き飛ばされるのではないかと心配になり、風をよけるようにして岬の土産物店のすぐ前に止めた。土産物店は閉まり、襟裳岬に人影はない。強風をついて遊歩道を歩いていく。明治22年に設置された襟裳灯台の前を通る。
毎年、5月から8月にかけては海霧が押し寄せる襟裳岬だが、この日は抜けるような空の青さ。
襟裳岬突端の展望台に立った。そこからさらに沖合いまで、岩礁が点々とつづいている。その風景は、まさに「日高山脈、ここに尽きる!」というようなもの。この沖合いの岩礁地帯はゼニガタアザラシの生息地で、11月から4月にかけて見られるということだ。
襟裳岬では風速15メートル以上の日が年間200日を超え、台風並みの風速30メートル、40メートルの日も珍しくないという。襟裳岬は日本でも一番の「風の岬」。襟裳岬の「エリモ」は、岬を意味するアイヌ語の「エンルム」に由来するという。
襟裳岬を出発し、日高から十勝に入る。黄金道路(国道336号)の全長4941メートルのえりも黄金トンネルを走り抜ける。広尾で昼食。食堂「丸美」で「豚丼」を食べた。さすが十勝の豚丼、タレのしみ込んだ豚肉は美味。ボリューム満点だ。
広尾からさらに国道336号を行く。交通量極少。我が道を行くという気分でジクサーを走らせる。十勝川を渡り、広大な十勝の平原を行く。国道336号から道道1038号に入り、北太平洋の海岸線を行く。海岸スレスレの道。目に残る北太平洋の海の風景。 釧路からは国道44号で厚岸へ。
▲広尾からの国道336号は交通量極少。我が道を行くという気分で走れる
▲道道1038号で北太平洋の海岸線を行く。海の青さが目に残る
厚岸では町中を走り抜けて愛冠岬の展望台に立った。断崖がストンと海に落ちている。厚岸の町に戻ると、「蝦夷三官寺」の国泰寺に行く。これで北海道遺産「蝦夷三官寺」の3寺をめぐった。
▲厚岸の「蝦夷三官寺」の国泰寺。これで「蝦夷三官寺」はすべてまわった
今晩の宿はJR根室本線厚岸駅前の「ホテル五味」。夕食には厚岸名物カキのフライが出た。刺身とニシンの焼魚、それと花咲ガニの鉄砲汁の夕食だ。
▲厚岸駅前の「ホテル五味」の夕食。厚岸名物のカキのフライが出た
翌朝は「ホテル五味」の朝食を食べて出発。国道44号を走り始めたが、あまりの寒さに思わず「キャーッ」と声が出た。冬用のジャケットを着ているが、それでも我慢できないくらいの寒さ。天気は崩れ、雪が降り出した。北海道の春は厳しい。
根室では清隆寺に行き、北海道遺産の「千島桜」を見る。東京ではとっくに花の季節は終わっていたが、ここではまだまだ先のことで蕾も見られない。開花は5月中旬。日本で一番遅い桜だ。
根室から日本本土最東端の納沙布岬へ。珸瑤瑁(ごようまい)水道の水平線上には北方領土の島々が見えている。貝殻島まで3・7キロ。平べったい島は水晶島。白い納沙布岬灯台は北海道最初の洋式灯台だ。
▲日本本土最東端の納沙布岬に到達。水平線上には北方領土の島々が見えている
根室半島を一周して根室に戻ると、厚床から国道243号を行く。奥行PAでジクサーを止めたが、ここでは簡易鉄道標津線の奥行臼駅跡と線路跡、駅逓所を見る。「北海道の簡易軌道」は北海道遺産。旧奥行臼駅逓所は国指定の史跡。「駅逓所」は北海道の開発とともに発展をとげた。
簡易鉄道標津線は平成元年に廃止になるまでの56年間、走りつづけ、奥行臼駅は別海の南の玄関口になっていた。当時のディーゼル機関車と乗客を乗せた「レールバス」が残されている
▲簡易鉄道標津線の奥行臼駅跡。ここは別海の南の玄関口になっていた
国道244号で標津を通り、根室と北見境の根北峠を越える。ここでも雪に降られたが、路面に積もるほどではないので助かった。
▲標津の「亀代食堂」で昼食。「鮭ちゃんちゃん焼き定食」を食べる
蝦夷地の北海道は明治2年(1869年)、従来の七道(東山道・東海道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)にならって「北海道」と改称され、石狩、後志、渡島、胆振、日高、十勝、釧路、根室、北見、天塩の10ヵ国に分国された。
今回の「北海道一周」では旧国境を強く意識してまわったが、北海道には根北峠のように両国の国名の合成名が多い。狩勝峠は石狩・十勝の国境、石北峠は石狩・北見の国境。天北峠は天塩・北見の国境だ。北海道にはその後、11ヵ国目の千島国ができた。
網走では網走刑務所を見る。網走、樺戸、空知、釧路、十勝の「北海道の集治監」は北海道遺産になっている。
▲網走を流れる網走川。この川を渡ったところに網走刑務所がある
網走からは国道238号を行く。サロマ湖畔を走り、湧別、紋別、興部と通り、雄武のオホーツク温泉「ホテル日の出岬」に泊まったが、朝から晩まで厳しい寒さとの戦いの連続だった。
オホーツク温泉「ホテル日の出岬」の大浴場と露天風呂の湯につかって生き返った。湯から上がるとレストランで夕食。生ビールを飲み干したあと、「雄武カレー」を食べた。2切れのサケとホタテの入ったカレーだ。
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