【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

▲首都高での事故にもめげずに鵜ノ子岬に到着。DR-Z400Sの強さを見せつける。このあと「鵜ノ子岬~尻屋崎」の往復3000キロを走った

ケニー佐川さんの「側壁への衝突、落下。高架でのバイク事故は何故おこるのか!?」を読ませていただいた。ゾッとするような事故例だが、ぼくも首都高の側壁に激突したことがある。2013年3月9日、スズキのDR-Z400Sで「鵜ノ子岬(福島)→尻屋崎(青森)」を走ろうと、5時に神奈川県伊勢原市の自宅を出発。東名高速から首都高に入り、3号線から都心環状経由で6号線に入ったときのことだ。

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小菅JCTから常磐道の三郷料金所に向かう直線路で、事故を起こすようなところではない。ぼくはそのとき追い越し車線を100キロ前後で走っていた。すると、突然、走行車線を走っていた大型トラックが方向指示器も出さずに、車線変更してきたのだ。目の前での出来事。トラックのバックミラーの死角にぼくが入っていたのかもしれない。大型トラックに激突するのを避けるため、急ブレーキ、急ハンドルで首都高の側壁にぶつけた。幸いにもその側壁は高く、側壁を飛び越えて落下することはなかった。
右45度ぐらいの角度で側壁に激突すると、今度は左45度ぐらいの角度で本線上に吹っ飛ばされた。最後はパニックブレーキを使ったせいか、逆向きになって追い越し車線にたたきつけられて停止した。事故原因となった大型トラックは速度をゆるめることもなく、そのまま走り去った。

ぼくが助かったのは後続の大型トラックが止まってくれたおかげだ。同じく100キロ前後で走っていたので、よくぞ止まってくれたと心底、感謝した。さすがプロの運転手さん。その運転手さんは、トラックを止めると、「おい、大丈夫か~!」と言って駆け寄ってきてくれた。一緒になってDRを起こしてもらい、車の流れを止めて路肩へ。さすがにオフ車は強い。DRにはたいしたダメージはない。エンジンはかかるし、いつも通りのエンジン音をあたりに響かせた。
トラックの運転手さんは「すぐに救急車を呼ぶからな。頑張れよ!」と言ってくれた。だが百戦錬磨のカソリ、さすがというか、全身強打にもかかわらず、どこも骨折はしていない。それだけを確認すると、トラックの運転手さんに「大丈夫です!」と一言いって、深々と頭を下げた。この大型トラックの運転手さんは我が命の恩人だ。

このあとカソリ、どうしたかというと、身体を突き抜けるような激痛に耐えてDRを走らせた。首都高→常磐道を走り、いわき湯本ICで『U400』(クレタ)の谷田貝さんとカメラマンの武田さんに落ち合った。2人はすごく心配してくれたが、ここでも「大丈夫、大丈夫!」と笑い飛ばし、1日かけての林道取材を終えた。
林道取材を終え、谷田貝さん、武田さんと別れ、往復3000キロの「鵜ノ子岬→尻屋崎」を走り終えたのだ。

この首都高での事故の後遺症は大きかった。全身を強打したが、とくに左膝をやられ、まったく曲がらない状態になった。ぼくはこの時点までサッカーをやっていたが、事故の影響で好きなサッカーを止めざるをえなかった。事故から7年以上たった今でも、正座はできないままだ。
 
この事故の教訓だが、どんな場合でもバイクに乗ったら、自分の身は自分で守るしかないということをあらためて教えられたことだ。それと最後の最後まで、諦めてはいけないということも教えられた。首都高の側壁に激突し、吹っ飛ばされても、どうすればダメージを減らせるかを路面にたたきつけられるまでずっと考えていた。事故は一瞬の出来事だが、まるで時間が止まったかのように、いろいろなことを考えられるものなのだ。
事故原因の大型トラックは走り去ったが、これでもし死亡事故にでもなっていたら、きっとハンドル操作を間違えて側壁にぶつけたという、単なる自損事故でかたずけられたことだろう。

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