
【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】
北海道、本州、四国、九州の日本本土の東西南北端をめぐる「日本16端紀行」は西日本編と東日本編の2分割でまわった。本州最西端の毘沙ノ鼻と九州の4端はすでにまわったので、残るのは四国の4端と本州最南端の潮岬になる。
9月17日午前3時30分、小浜温泉(長崎県)の温泉ホテル「うぐいす屋」を出発。Vストローム250に「さー、行くぞ!」とひと声かけて走り出す。国道57号で諫早へ。諫早からは長崎道→大分道と高速道を走りつなぐ。大分県に入った萩尾PAで夜が明けた。
日出JCTで東九州道に合流。大分の町並みを過ぎた大分宮河内ICで高速を降り、国道197号で佐賀関へ。佐賀関到着は7時30分。小浜温泉から4時間、299キロを走っての九州横断だ。
8時発の国道九四フェリーに乗船。船内の自販機でカップヌードルを買って、それを朝食にした。フェリーは九州と四国を分ける豊予海峡を横切り、四国最西端の佐田岬のすぐ近くを通っていく。9時15分、三崎港に到着。四国に上陸すると、すぐさま四国最東端の佐田岬に向かった。
佐田岬の駐車場に到着したのは9時40分。遊歩道を歩き、佐田岬突端の佐田岬灯台に着いたのは10時10分。そこから豊予海峡対岸の九州を眺めた。高島がはっきりと見える。その向こうの佐賀関半島は青く霞んでいる。
▲佐田岬の案内板
佐田岬の周辺には点々と岩礁がある。数百メートル先の小さな標識灯のあたりが黄金バヤ。ここは瀬戸内海有数の難所だが、岩礁の周りは魚たちの格好のすみかで、タイやサワラなど高級魚の一本釣りの好漁場になっている。
佐田岬からの眺めを目に焼き付けたところで、三崎港に戻った。三崎港到着は11時30分。2時間15分をかけての「三崎港~佐田岬」の往復だ。三崎港からは九州側と同じ国道197号を行く。まさに国道フェリーで、海をまたいで2本の国道をつないでいる。国道197号は起点が高知で、大分が終点になる。
さー、次は四国最南端の足摺岬だ。
三崎港を出ると、細長く延びる佐田岬半島の稜線上を行く。道の駅「瀬戸農業公園」で小休止し、12時20分、佐田岬半島入口の八幡浜に到着。佐田岬から八幡浜までは54キロ。この数字からも佐田岬半島がいかに細長く延びているかがよくわかる。
八幡浜からさらに国道197号を行き、大洲北只ICで松山道に入る。そして南へ。宇和島北ICまでが松山道で、そこから津島岩松ICまでが宇和島道路になる。津島岩松ICからは国道56号を南下する。
高知県境に近い道の駅「みしょうHIC」で昼食の「オムカレー」を食べ、県境を越えて14時45分、高知県の宿毛に到着。宿毛からは海沿いの国道321号を行く。太平洋を眺めながら絶景路を走り、15時45分、土佐清水に到着。ここから四国最南端の足摺岬に向かう。
土佐清水からは海沿いの県道27号を行く。今ではこの県道27号が足摺岬へのメインルートになっている。中浜、大浜、松尾と通っていくが、この一帯は昔からカツオ漁の盛んな漁村だった。カツオ漁は文禄年間(1592年~96年)に紀州・印南の漁民たちがカツオ節の製法とともに、この地にもたらしたといわれている。
足摺岬に到着すると、まずは四国霊場八十八ヵ所の第38番札所、金剛福寺を参拝。白装束のお遍路さんたちと一緒になってお参りした。足摺岬は空海修行の地といい伝えられ、金剛福寺も弘仁14年(823年)、空海によって創建された。
▲四国最南端の足摺岬に到着!
▲足摺岬の金剛福寺を参拝。ここは四国八十八ヵ所の第38番札所
足摺岬は補陀落渡海の地として知られている。補陀落は天竺の観音の住む極楽浄土で、足摺岬はその入口だと考えられていた。観音浄土を求めて往生をとげようと、西の海へ、船出していった補陀落渡海の僧たちがいた。
足摺岬の遊歩道の入口には、ジョン万次郎の大きな銅像が建っている。さきほど通った中浜の漁民の次男に生まれた万次郎は14歳の時、乗った漁船が難破し、漂流しているところをアメリカの捕鯨船に助けられた。
船長は万次郎をアメリカに連れていき、アメリカの学校で学ばせた。24歳になって帰国した万次郎は幕府の直参になり、得意の英語で幕末の日本の外交に大きな貢献を果たした。万延元年(1860年)の咸臨丸での渡米にも同行した。
足摺岬の遊歩道を歩く。「オーシンツクツク、オーシンツクツク」と蝉が鳴いている。覆いかぶるヤブツバキのトンネルを抜け、岬の先端に出ると、白亜の灯台が建っている。高さ80メートルほどの断崖に立つと、足がすくんでしまうほどだ。目の前は黒潮の海。太平洋の荒波は断崖絶壁にぶち当り、砕け散り、白い波しぶきを巻き上げている。
足摺岬から土佐清水に戻ると、国道321号で中村(四万十市)へ。日本の清流、四万十川の流れを右手に見る。
中村到着は17時45分。中村からは国道56号を行く。
窪川(四万十町)の四万十町中央ICで高知道に入り、ナイトランで高松を目指す。南国SAで止まる。時間はまだ19時30分だったが、SAのガソリンスタンドはすでに閉まっていた。レストランは営業していたので、「藁焼きカツオたたき定食」を食べた。カツオのたたきを食べると、「今、高知を旅している!」と強く実感する。
高知道で愛媛県に入り、川之江東JCT、川之江JCT経由で高松道に入る。高松道で愛媛県から香川県へ。高松西ICで高速を降り、21時45分、高松駅前に到着。雲仙の小浜温泉から824キロ。高松の「東横イン」に泊まった。
9月18日午前5時、「東横イン」を出発。国道11号→県道36号で四国最北端の竹居岬へ。
6時、高松から20キロの竹居岬に到着。この四国最北端の岬はあまり知られていないが、屋島の東側、庵治半島突端の岬で、小豆島を目の前に見る。ここには「四国最北端」の碑が建っている。
竹居岬は観音崎ともいわれるが、その由来にもなっている岩屋の竹居観音に手を合わせた。なお正確にいうと、竹居岬は四国本土の最北端で、四国の最北端は小豆島最北端の名無し岬になる。
瀬戸内海に昇る朝日を見て竹居岬を出発。県道36号→国道11号で徳島県に入り、7時15分、徳島に到着。
徳島から国道55号を南下。阿南を過ぎたところで、県道26号→県道200号経由で狭路を走り、蒲生田岬を目指した。
このあたりの海では海士(あま)漁が盛んにおこなわれている。海女(あま)漁とは違って、男たちが海に潜り、アワビやサザエ、テングサなどを取っている。そんな阿南(阿波の南の意味)海岸の、紀伊水道に突き出た岬が蒲生田岬。「かもだ」とか「がもうだ」といわれる。
岬に守られるかのような蒲生田の南北300メートルほどの砂浜は海亀産卵の地。アカウミガメ、アオウミガメ、タイマン、オサガメの4種の海亀が満潮の潮に乗って蒲生田の浜にやってくる。上陸すると、後足で砂を堀り、1時間あまりかけて200個ほどの卵を産み、後足で砂をかけ、また海に戻っていくという。
四国最東端の蒲生田岬に立った。岬の突端には灯台と展望台。目の前に浮かぶ伊島のはるかかなたには、紀伊半島の山々が霞んで見えた。ここから対岸の日ノ岬(和歌山県美浜町)までは30キロほどでしかない。なお正確にいうと、蒲生田岬は四国本土の最東端で、四国の最東端は目の前に見える伊島。伊島は有人島で、阿南の橘港から伊島行の連絡船が出ている。
四国は旧国でいうと讃岐、伊予、阿波、土佐の4国から成っているので「四国」なのだが、じつにバランスよく4国それぞれに東西南北端がある。
蒲生田岬を後にすると、来た道を引き返し、徳島へ。徳島到着は10時15分。3時間をかけての「徳島~蒲生田岬」の往復だった。これで四国の4端をめぐり終えた!
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