
【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】
前回:賀曽利隆の「Vストローム250を相棒に 東北一周3000キロ」(1)
8月4日。相棒のVストローム250を走らせて、国道45号で宮城県から岩手県に入った。気仙川にかかる新しい気仙大橋を渡って陸前高田に入っていく。震災遺構の道の駅「高田松原」は封鎖されていて近づけない。その反対側にあった「オカモト」のガソリンスタンドは移転している。
国道45号沿いの陸前高田の町跡は荒野のままだ。ここでは復興の遅れを強く感じてしまう。
高台に上がったところで国道45号を右折し、県道38号で広田半島に入っていく。この県道38号沿いにはビジネスホテルやスーパー、新しい家々などが次々にできている。 広田半島の広田に到着。ここの海水浴場はにぎわっていた。ほっとするような光景だ。
広田漁港をとり囲む大防潮堤はほぼ完成しているが、その高さがすごい。見上げるような高さだ。
広田から広田半島最南端の広田崎へ。岬の突端に立つと、青々とした青松島の向こうに、10万羽のウミネコの繁殖地として知られる椿島を見る。
陸前高田市から大船渡市に入り、末崎半島最南端の碁石岬へ。碁石岬の手前にある門之浜漁港をとり囲む大防潮堤は完成している。広田漁港の大防潮堤と競うかのような高さ。 碁石岬では岬突端の展望台に立ち、ウミネコの鳴く岬突端の岩礁と対岸の広田半島を眺めた。末崎半島と広田半島の間の海は大船渡湾になる。
碁石岬から大船渡の「ルートイン」へ。チェックインしてザックを部屋に置くと、タクシーを呼んでもらい、JRと三陸鉄道の駅舎が隣り合う盛駅に行く。
JRの盛駅にはもう線路はない。BRT(バス高速輸送システム)に変わっているので線路は撤去され、舗装道路になっている。線路跡の舗装道路を気仙沼行きの赤いバスが走っている。
JRの盛駅に隣接する盛駅は三陸鉄道の起点駅。盛駅から釜石駅までは三陸鉄道のリアス南線、宮古駅から久慈駅までは三陸鉄道のリアス北線だった。釜石駅と宮古駅を結ぶJR山田線は長らく不通だったが、復旧工事が終わると三陸鉄道に移管され、3月23日に盛から久慈までの全線が開通した。総延長163キロの三陸鉄道リアス線の誕生だ。
さっそく三陸鉄道リアス線に乗ってみる。ほんとうは久慈まで行きたかったが、この時間では無理なので、宮古まで行って戻ることにする。
16時53分発の宮古行きに乗る。2両編成のワンマンカー。列車は盛駅を出ると大船渡湾を回り込んで綾里半島に入っていく。綾里湾の綾里駅から越喜来(おきらい)湾の三陸駅へ。流れていく車窓の風景に目をこらす。吉浜湾の吉浜駅、唐丹湾の唐丹駅を通って18時05分に釜石に到着。ここからが旧JR山田線の区間で、鵜住居駅、大槌駅、陸中山田駅を通って19時27分、宮古に到着。すぐさま19時34分発の上りに乗り換え、21時51分、盛駅に戻ってきた。盛駅からタクシーで大船渡の「ルートイン」へ。バイク旅の中に鉄道旅を織り込むことができてよかった。
8月5日。大船渡の「ルートイン」の朝食を食べて出発。復興中の大船渡の中心街を走り抜け、盛駅前でVストローム250を止める。駅舎を見ながら昨日の「盛~宮古」間の三陸鉄道を振り返ってみる。今日は三陸鉄道に沿って宮古まで行く。
盛駅前を出発すると、いったん国道45号に出て、すぐに右折し、県道9号で綾里へ。大船渡湾岸から山中に入り、峠のトンネルを走り抜け、峠を下ると綾里に到着。
綾里漁港から三陸鉄道の綾里駅に行く。駅前に建つボードには、明治三陸大津波(1896年)と昭和三陸大津波(1933年)の被害状況が集落ごとに克明に記されている。その最後には「津波の恐ろしさを語り合い、高台に避難することを後世に伝えてください」と書かれている。このボードは東日本大震災前の2007年に綾里小学校によって作られた。おそらく先生方と生徒たちによって作られたものだろう。
綾里は今回の平成三陸大津波でも大津波に襲われたが、「津波教育」が徹底しているおかげで死者は30人ほど。ちなみに明治三陸大津波では、旧綾里村で1269人もの死者を出している。
綾里駅前からは綾里海水浴場のある綾里湾に行く。綾里湾は今回の平成三陸大津波では最大となる40.1メートルの波高を記録した。明治三陸大津波の最大波高も綾里で記録した38.2メートル、昭和三陸大津波の最大波高も綾里で記録した28.7メートルで、綾里は日本の大津波襲来の特異なポイントになっている。綾里をとりまく地形が津波をより大きなものへと増幅させるのだろう。
綾里を後にすると、さらに県道9号を行く。恋し浜トンネルを抜け出たところが三陸鉄道の恋し浜駅で、綾里の郷土富士、綾里富士(478m)を間近に見る。海が変わり、綾里湾から越喜来(おきらい)湾になった。
越喜来湾最奥の越喜来は平成三陸大津波で大きな被害を出したところだが、復興工事が進み、巨大防潮堤が完成している。三陸鉄道の三陸駅に立ち寄り、越喜来の町を走り抜けたところで国道45号に合流した。
越喜来からは国道45号の峠越えを開始。まずは羅生峠を越える。峠を貫くトンネルを抜けると、越喜来湾から吉浜湾へと海が変わる。2つの海の間の小半島突端は首崎だが、岬までの道はない。つづいて大船渡市と釜石市の境の鍬台峠を越える。峠を貫くトンネルを抜けると、吉浜湾から唐丹湾へと海が変わる。2つの海の間の小半島突端の岬は死骨崎だが、やはり岬までの道はない。このように三陸海岸にはいくつもの岬があるが、突端まで自動車道が通じている岬はほとんどない。
さらに熊ノ木平峠、石塚峠を越えて釜石の市街地に入っていく。三陸道が完成しているので、この間、国道45号の交通量は大幅に減った。じつに走りやすくなった国道45号は、今や絶好のツーリングルートだ。
釜石に到着するとまずはJR釜石線と三陸鉄道の釜石駅前でVストローム250を止めた。駅舎の隣にはJRのホテル「フォルクローロ」。釜石駅から釜石の中心街を走り抜けて釜石漁港へ。釜石漁港の魚市場は完成している。対岸の釜石港には大型船が停泊しているが、三陸道と釜石道の完成で釜石港の重要度は飛躍的に高まった。
釜石から国道45号を北へ。鵜住居、大槌、山田と通っていく。どこも東日本大震災で大きな被害を受けたところだ。
鵜住居は釜石市では最大の被災地。ここだけで1000人以上もの犠牲者を出した。国道45号沿いには新しい町並み。三陸鉄道の鵜住居駅に行く。駅前には公園風の広場ができている。
国道45号の古廟坂トンネルを走り抜けて大槌町に入っていく。大槌町の中心街のかさ上げされた土地の造成は終わり、町を貫く国道45号の旧道は新しく付け替えられた。この道の完成によって、大槌の復興は一気に進んでいる。道沿いに新しい建物が次々にできている。残す、残さないで意見の分かれた旧町役場は撤去され、震災から8年5ヵ月の時の流れを感じるのだった。
大槌町から山田町に入る。国道45号沿いの三陸鉄道の岩手船越駅に寄っていく。ここは本州最東端の駅。道の駅「やまだ」で昼食の「海鮮冷麺」を食べ、船越半島に入り、「鯨と海の科学館」を見学した。
国道45号に戻り、山田の町に入っていく。町中を貫く国道45号は整備され、町をグルリと取り囲む巨大防潮堤がかなりできている。ここでも三陸鉄道の陸中山田駅前でVストローム250を止めたが、前日に三陸鉄道の「盛~宮古」間を乗っているので、よけいに実感をともなって山田の駅を感じとることができた。
山田を過ぎたところで、国道45号を右折し、県道41号で重茂半島に入っていく。目指すのは本州最東端のトドヶ崎。右手の山田湾は養殖筏で埋め尽くされている。山田湾の中央に浮かぶ大島は「オランダ島」で知られている。対岸の船越半島が大きく見える。
曲がりくねった狭路を走り、山田町から宮古市に入ると、少しは走りやすくなる。石浜の集落を通り、県道41号を右折。海岸に下ったところが姉吉漁港。山田から25キロの地点だ。
姉吉漁港近くの駐車スペースにVストローム250を止めると、トドヶ崎への山道を歩き始める。トドヶ崎までは3.7キロ。最初の登りがキツイ。0.55キロ地点が最高所で標高110メートル。そこを過ぎるとずいぶんと楽になる。「カナカナカナ」とヒグラシが鳴いている。
姉吉から1時間30分歩いてトドヶ崎に到達。東北一のノッポ灯台を見て、岩場を歩くと本州最東端の地。大岩に「本州最東端の碑」のプレートがはめ込まれている。トドヶ崎には冷たい海霧の「ヤマセ」が押し寄せ、気温は22度まで下がった。この日は猛暑で山田では37度。一気に15度も下がった。
トドヶ崎から姉吉漁港に戻ると、県道41号で重茂を通り、宮古に向かう。2車線の新道が完成し、日本の秘境・重茂半島も宮古側からだと、ずいぶん行きやすくなった。津軽石で国道45号に合流。宮古到着は19時。国道45号沿いの「ルートイン」に泊まる。「ルートイン」のレストランでトドヶ崎到達を祝ってウーロン茶で乾杯。そのあと夕食を食べるのだった。
8月6日。夜明けとともに宮古の「ルートイン」を出発。宮古湾対岸の重茂半島から朝日が昇り、海をキラキラと金色に染める。宮古の中心街に入ると、宮古駅、閉伊川の河口、宮古漁港と見てまわった。
宮古から国道45号で田老へ。ここでは震災遺構として残された6階建の「たろう観光ホテル」を見る。あらためて田老を襲った大津波のすさまじさを実感する。
田老の「ローソン」で朝食の「おにぎり」を食べ、国道45号を北へ。岩泉町の小本を通り、田野畑村に入ると、三陸海岸の名勝、鵜ノ巣断崖を見る。ここから見渡す「海のアルプス」の眺めはすばらしい。切り立った断崖絶壁の連続する風景は、ほんとうのアルプスの山並みを見ているかのようだ。
鵜ノ巣断崖の駐車場に戻ると、バンバン200に乗った「こしさん」がぼくを待ち構えていた。ここからは「こしさん」と一緒に走る。
国道45号から海沿いの県道44号に入っていく。この県道44号は絶景ルート。田野畑漁港前を通り、三陸鉄道の田野畑で小休止。Vストローム250を止めると、田野畑名物の「のむヨーグルト」を飲んだ。
田野畑駅からは「岬めぐり」を開始。弁天崎、北山崎、黒崎の3岬をめぐる。弁天崎は知られざる絶景岬。北山崎は一大観光地で、食堂やみやげもの店が並び、ビジターセンターもある。普代村の黒崎は北緯40度線の岬で、地球儀型をした北緯40度線のモニュメントがある。
普代の町で国道45に合流し、野田村に入る。大津波で大きな被害を受けた野田村だが、ここでは海岸一帯に町と海を分ける大公園ができている。野田漁港の水門は完成し、長々と延びる巨大防潮堤の工事も完成している。ここでは道の駅「のだ」で名物の「のだ塩ソフト」を食べた。道の駅「のだ」は三陸鉄道の「陸中野田駅」にもなっている。野田から久慈へ。久慈に到着したところで「こしさん」と別れた。
久慈から国道45号を北上。青森県境を過ぎたところで、階上ICから三陸道(八戸久慈道)に入った。八戸JCTから八戸道→百石道路と高速道を走り、百石ICで降りたが、青森県境から百石ICまで、わずか40分しかかからない。八戸を迂回する絶好の快速ルート。おまけに三陸道は無料供用中。
百石ICから国道45号→国道338号で三沢へ。三沢の「はまなす食堂」で昼食にする。ここはよかった。ゆったりまったり気分で「ホルモン定食」(850円)を食べた。ボリューム満点の「ホルモン定食」だった。
13時30分、三沢を出発。国道338号を北上し、下北半島に入っていく。六ケ所村の泊、東通村の白糠を通り、15時30分、下北半島北東端の尻屋崎に到着。ゲートを通り抜け、灯台まで行ったが、ここでは津軽海峡の青空と太平洋から押し寄せる海霧の「ヤマセ」がぶつかり合い、せめぎ合っていた。
尻屋崎からは県道6号→県道266号→国道279号で大間崎へ。
本州最北端の大間崎に着くと、「本州最北端の地」碑の前でVストローム250を止めた。一片の雲もない快晴で、岬の先端から津軽海峡を眺めた。目の前のクキド瀬戸を隔てて600メートルほど沖に浮かぶ弁天島に、白黒2色の灯台が見える。その向こうの水平線上には、北海道の山々が浮かんでいる。三角形の特徴のある山の姿は函館山。大間崎では民宿「海翁」に泊まり、夕食の海鮮料理を食べるのだ。
この記事にいいねする