【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】
ツーリングライダーのみなさんが愛用されている『ツーリングマップル』(昭文社)を使っての「ツーリングマップル・ツーリング」は、開いたページにトコトンこだわり、そのページ内を走りつくすというもの。今回は『ツーリングマップル関東甲信越』のP25(八王子編)を日帰りツーリングで走ってみた。
取材日は昨年の12月4日。P25の左側ページをメインにした。左側ページには「道志みち」の国道413号、旧秋山村(現上野原市)を横断する県道35号、甲州街道の国道20号、旧甲州街道の県道30号、旧西原村(現上野原市)に通じる県道18号が東西に走っている。それらのルートを1本づつ走った。
▲『ツーリングマップル関東甲信越』のP25(八王子)を開いてプランニング
12月4日7時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。相棒はいつものVストローム250。県道64号で清川村に入り、土山峠を越え,P25(八王子)のエリアに入っていく。宮ヶ瀬湖を見ながら走り、やなびこ大橋、虹の大橋を渡り、鳥屋からゆるやかな峠を越えて国道413号に出た。ここまでが県道64号になる。
道志川沿いの国道413号を西に向かって走ると、左手の丹沢の山々はどんどん高く険しくなっていく。時々、右手に見える道志川の谷は深い。青根を過ぎると、道志川にかかる両国橋を渡る。旧国の相模と甲斐を結ぶ両国橋を渡り、山梨県に入った。
「道志みち」の国道413号はライダーに人気のルートだが、さすがにこの季節、それも平日だと、ほとんどバイクにすれ違うことはない。道志村の村役場を通り過ぎたところで国道413号を左折し、「道志の湯」に行く。だが残念、この日は火曜日で休みだった。
10時30分、道の駅「どうし」に到着。ここまでがP25の範囲になる。ということで早めの昼食にする。ところがカソリ、信じられないような大失敗をする。「道志ポークカレー」(750円)を食べようとして、券売機の紙幣の方にコインを入れてしまった。コインを取り出すのに大騒ぎ。道の駅「どうし」のレストランのみなさんにはエライ迷惑をかけてしまった。何とか取り出せたからよかったものの、みなさん、ほんとうに申し訳ありませんでした。
そんな大失敗のあとに食べた「道志ポークカレー」はよかった。「道志ポーク」のうまさが際立っていた。ここではさらに名物「おからドーナツ」を食べた。
▲道の駅「どうし」の「道志ポークカレー」
道の駅「どうし」ではうれしい出会いがあった。SDRに乗る父親のハヤテさんとWR450Fに乗る息子のフミヒロさんは、「カソリさんに会えてうれしい!」といって喜んでくれた。ぼくまでうれしくなってくるような親子でのツーリング。これからも日本のあちこちお二人で走ってください。
▲道の駅「どうし」で出会ったハヤテさん(右)とフミヒロさんの親子
道の駅「どうし」で折り返す。国道413号を戻り、左折して野原林道(舗装)で厳道峠を越えた。急勾配で急カーブが連続する狭路の峠道。交通量はほとんどない。峠が道志村と旧秋山村(現上野原市)の境になっている。峠を下ると、秋山の日帰り温泉、秋山温泉の脇に出る。秋山温泉の湯に入り、秋山川を渡って県道35号に出た。
秋山川沿いの県道35号で雛鶴峠へ。その途中では「王の入まんじゅう」の店でVストローム250を止め、1個150円の王の入まんじゅうを食べた。あんこがたっぷり入ったボリューム満点の名物饅頭だ。
秋山最奥の雛鶴神社を参拝し、峠道を登り、上野原市と都留市の境の雛鶴峠に到達。峠のトンネルの入口で折り返し、来た道を戻る。旧秋山村を走り抜け、県道35号で甲州街道(国道20号)の上野原宿に入っていった。
上野原宿の甲州街道沿いには商家がつづく。土蔵造りの商家が何軒か見られる。名物「酒饅頭」の店もある。いかにも宿場町といった風情の上野原宿。ここでは新町の交差点にある「植松菓子舗」で「あんどうなつ」を食べた。この店の「あんどうなつ」は名物。ぼくは名物は極力、食べるようにしているが、「食」はバイク旅の基本のひとつだ。
上野原宿を過ぎると国道20号を右折し、旧甲州街道の県道30号に入っていく。この県道30号沿いには鶴川宿、野田尻宿、犬目宿の3宿があるが、国道20号から外れていることもあって、かつての宿場の面影を色濃くとどめている。野田尻宿と犬目宿の間では中央道の談合坂SAを真下に見下ろす。現在の甲州街道(国道20号)は桂川の谷底を走っているが、旧甲州街道は甲州の山々の山裾を走っている。
犬目宿を過ぎると、恋塚の一里塚を通り、犬目峠を越える。そこからの富士山の眺めは見事なものだ。安藤広重の「富士三十六景」にも、葛飾北斎の「富嶽三十六景」にも、犬目峠から見る富士山が描かれている。北斎の絵には2頭の馬の背に荷物を積んだ馬子と荷物をかついで歩く旅人、その背後の雲海から顔をのぞかせる富士山が描かれている。
犬目峠から国道20号沿いの鳥沢宿に下った。ここまでがP25の範囲になる。鳥沢宿からは相模川上流の桂川沿いに走る国道20号で上野原へ。JR中央本線も国道20号に沿っているが、鳥沢駅から上野原駅の間には梁川、四方津(しおつ)の2駅がある。
▲ここが鳥沢宿の旧甲州街道(県道30号)と甲州街道(国道20号)の合流点
甲州街道の上野原宿に戻ると、県道18号で西原(さいはら)に行く。旧棡原村(現上野原市)を通り、初戸(はど)を過ぎると、旧西原村(現上野原市)に入っていく。ここは我が心の故郷といっていい。
ぼくは民俗学者の故宮本常一先生のつくられた日本観光文化研究所(1989年3月に閉鎖)の所員だった。カソリのテーマは「山地食文化」。このテーマでもって、かつて日本各地でおこなわれていた焼畑や雑穀栽培を見てまわった。そこで出会ったのが「西原」だったのだ。
昭和54年(1979年)の秋のことだった。鶴峠を越えようとバイクを走らせて西原にやって来たとき、あちこちで雑穀の畑を見た。とはいっても1畝(約100平方メートル)とか2畝といった猫の額ほどの狭い畑ではあったが、まるで雑穀の展覧会のように各種の雑穀が栽培され、穂を伸ばしていた。雑穀の穂が黄色く色づいている風景は、稲穂の広がる風景とはまた違うしみじみとした実りの秋を感じさせてくれた。
アワの穂はふさふさと頭を垂れ、黄金色に輝いていた。
キビの穂は稲穂に似てだらんと重そうに穂先が垂れ下がっていた。
ヒエの穂はキビとは逆に穂先を空に向けていた。
モロコシは一見するとトウモロコシにそっくりだが、穂はまったく違う。丈の高い茎の先端にモジャモジャっとした赤い穂をつけていた。
日本からはすでに消えてしまったのではないか、といわれるようなシコクビエもあった。シコクビエの穂は指をすぼめたような形をしている。
それら雑穀類の収穫も見た。アワ、キビ、ヒエ、モロコシ、シコクビエと種類は違っても、すべて穂の下を鎌で刈り取る「穂刈り」なのである。それら雑穀の穂を軒下にぶらさげたり、莚(むしろ)に広げて干している光景は、「雑穀の村」を、強烈に印象づけるものだった。日本で古来から栽培してきたアワ、キビ、ヒエ、モロコシ、シコクビエと、これだけとりそろえてつくっているところは、ほかには例をみない。
「よ~し、決めたぞ!」と、そのとき以来、ぼくは足しげく西原に通いつづけた。
高台にVストローム250を止め、雪景色の西原を見下ろしていると、過ぎ去った西原での日々が走馬灯のように次々に目に浮かび、胸がジーンとしてくるのだった。
上野原に戻ると甲州街道の国道20号で相模湖へ。神奈川県に入り、甲州街道の関野宿、吉野宿を通り、JR中央本線相模湖駅前の交差点に出る。このあたりが与瀬宿になる。相模湖駅前でVストローム250を止めた。
相模湖駅前からは国道412号を南下する。道志村へと通じる国道413との交差点を通り、平山坂を越えて厚木市に入る。ここまでが『ツーリングマップル関東甲信越』のP25(八王子)の範囲になる。厚木から伊勢原に戻ったが、全行程239キロの今回の「ツーリングマップル・ツーリング」だった。
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