2026年7月3日(金)~5日(日)に開催される「2026 FIM 世界耐久選手権“コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース 第47回大会」。その歴史にHondaがどのように挑み続けてきたのか、今回は1990年代に焦点を当て、RVF/RC45が数々の伝説を生んだ激動の10年間を振り返る。
「8耐男」ワイン・ガードナーとRVF/RC45の伝説(1990-1995年)
1990年代の幕開けは、ワイン・ガードナーが当時史上初の8耐4勝を目標に掲げた年であった。1990年、W.ガードナー/M.ドゥーハン組(RVF750)はポールポジションを獲得するも、レースでは転倒やガス欠に見舞われ、平忠彦/E.ローソン組(ヤマハ)に優勝を譲る悔しい結果となった。しかし、翌1991年にはW.ガードナー/M.ドゥーハン組(RVF750)がウエットコンディションという異例の展開の中、見事優勝を飾る。1992年には、8耐引退を表明していたW.ガードナーが、怪我で欠場したM.ドゥーハンの代役として参戦したD.ビーティと組み、自身の勝利数記録を更新する有終の美を飾った。
1993年はTT-F1規定最後の年となり、Hondaワークス勢は上位争いを繰り広げるも、ライバルチームに敗れる。しかし、スーパーバイク規定初年度となった1994年、D.ポーレン/A.スライト組(RVF/RC45)がカワサキとの激戦を0.288秒差という僅差で制し、勝利を掴んだ。1995年には、A.スライト/岡田忠之組がTEAM HRC同士のチーム内バトルを制し優勝。スライトは3連覇を達成し、優勝ラップ数は212周に達した。
日本人ペアの活躍とRVF/RC45の進化(1996-1999年)
1996年は、ポールポジションを獲得したA.スライト/岡田忠之組(RVF/RC45)をはじめHondaワークス勢が好調をアピールするも、次々と転倒を喫し、ヤマハのC.エドワーズ/芳賀紀行組が最年少ウィナーとなった。しかし、1997年の20周年大会では、台風の影響下、寒さの中で開催されたレースを伊藤真一/宇川徹組(RVF/RC45)が確実に走りきり優勝。日本人ペアによる優勝は、第5回大会以来のことだった。
この日本人ペアの活躍は翌年も続き、1998年には伊藤真一/宇川徹組がポール・トゥ・ウィンで連覇を達成。Honda50周年という節目に、S.ジベルノー/A.バロス組、C.エドワーズ/岡田忠之組らRVF/RC45勢による1-2-3フィニッシュという、Hondaにとって最高の形で2連勝を飾った。1999年は、突然の雨というコンディション変化の中、岡田忠之/アレックス・バロス組(RVF/RC45)が、タイヤ選択でアドバンテージを稼ぎ優勝。激動の90年代は、HondaとRVF/RC45が数々のドラマを生み出し、その歴史に名を刻んだ。
Honda 鈴鹿8耐挑戦の歴史① 1978~1989年:https://honda.racing/ja/ewc/post/8-hours-history-7889
Honda:https://honda.racing/ja/
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