2026年7月3日~5日に開催される「2026 FIM 世界耐久選手権 “コカ・コーラ” 鈴鹿8時間耐久ロードレース 第47回大会」。その熱戦が目前に迫る中、Hondaが鈴鹿8耐でどのように挑戦を続けてきたのか、その歴史を1978年から1989年までの黎明期に焦点を当てて振り返る。

Honda 鈴鹿8耐挑戦の歴史:1978年~1989年

1978年に第一回大会が開催されて以来、鈴鹿8時間耐久ロードレースは世界でも有数の過酷なレースとしてその歴史を刻んできた。Hondaは、この挑戦の黎明期において、数々の快挙と試練を乗り越え、その名をレース史に刻みつけていく。

第1回大会では惜しくもリタイアを喫したHondaだったが、翌1979年にはCB900を投入し、Honda勢によるトップ8独占という快挙を達成。さらに、CB900F改を駆った飯嶋茂男/萩原紳治組が日本人ペアとして初の栄冠を掴み、S750R、RVF750での初の3連覇など、Hondaは鈴鹿8耐の初期において目覚ましい活躍を見せた。

1978年の初代王者こそスズキのW.クーリー/M.ボールドウィン組が獲得したが、Hondaは欧州で実績のあるRCB1000を2台投入。しかし、この年は無念のリタイアとなった。1979年、波乱の展開の中、CB900を駆るT.ハットン/M.コール組をはじめとするHonda勢がトップ8を独占し、初勝利を飾る。

1980年には世界選手権へと昇格し、TT-F1規定に統一。この年はスズキとカワサキの一騎打ちとなった。1981年、RS1000を駆るD.アルダナ/M.ボールドウィン組がトップに浮上し、初参戦のW.ガードナーが猛追するも転倒。アルダナ/ボールドウィン組が勝利を収めた。

日本人ペアの初勝利から3連覇達成まで

1982年、台風接近による悪天候でレースが6時間に短縮される中、CB900F改を駆る飯嶋茂男/萩原紳治組が日本人ペアとして初の勝利を飾る快挙を成し遂げた。1983年にはRS850Rが1000cc勢に迫る走りを見せ、F.マーケル/J.ベトゥンコート組が3位を獲得している。

1984年、TT-F1規定が上限750ccに変更されると、HondaはワークスマシンRS750Rを6台投入し、1-2-3フィニッシュを達成。M.ボールドウィン/F.マーケル組が優勝を飾った。1985年にはRVF750を駆るW.ガードナー/徳野政樹組が、K.ロバーツ/平忠彦組のヤマハを退け、ガードナーが記念すべき初勝利を掴む。

1986年、W.ガードナー/D.サロン組(RVF750)がポールトゥウィンを飾り、Hondaは3連覇を達成。ガードナー自身も2連覇となった。1987年はHonda勢がリタイアや転倒に見舞われ、ヤマハが優勝を飾る。

1988年にはW.ガードナー、K.シュワンツ、W.レイニーらGPライダーが参戦し激しい戦いが繰り広げられたが、優勝候補のガードナー組は転倒。PPのK.マギー/W.レイニー組(ヤマハ)が優勝した。1989年、トップ争いを演じたHondaとヤマハの有力チームが次々とリタイアする中、D.サロン/A.ビエラ組(RVF750)が優勝を飾った。

これらの激闘を経て、Hondaは鈴鹿8耐の歴史にその名を深く刻み、2026年の大会へと繋がる挑戦を続けていくのである。

1979年 CB900

1981年 RS1000

1982年 RS1000

1984年 RS750R

1985年 RVF750

1986年 RVF750

1989年 RVF750

Honda:https://honda.racing/

ギャラリーへ (8枚)

この記事にいいねする


コメントを残す