ノリックこと阿部典史は、プロフェッショナルライダーを夢見て、サーキット秋ヶ瀬で腕を磨き、アメリカ修行に飛び出した。史上最年少で全日本ロードレース選手権チャンピオンとなり、ロードレース世界選手権にデビュー、最高峰クラスのチャンピオンを目指した。
常に前を向き、顔を上げてライダー人生を切り開き、圧倒的オーラを放ち、くったくのない笑顔で、ファンの心を鷲掴みにした。
ノリックの幼少期から、サーキット秋ヶ瀬の仲間、全日本ロードレース、ロードレース世界選手権と、彼が懸命に生きたそれぞれの場所で、出会った人々が、彼との思い出を語った。

Team KAGAYAMA チーム代表兼監督・加賀山就臣さん

プロフィール

1993年 スズキ契約ライダー
全日本ロードレース選手権GP250、TT-F1に参戦
1997年 全日本GP250ランキング3位
全日本ロードレース選手権参戦、ロードレース世界選手権(WGP)GP500スポット参戦
2003〜2004年 ブリティッシュスーパーバイク参戦、最高ランキング3位
2005〜2009年 ワールドスーパーバイク選手権(WSBK)参戦、最高ランキング5位
2011〜2021年 全日本ロードレース選手権JSB1000参戦、最高ランキング4位
2022年〜 Team KAGAYAMA チーム代表兼監督として活動中

ノリックは速いライダーが揃う軍団にいた

バイクに乗り始めたのが15歳くらいで、新東京サーキットでミニバイクレースをしていた頃、サーキット秋ヶ瀬のモトレーシングが遠征に来ていたんだよね。阿部典史、武田誠、加藤大治郎、亀谷長純、武田雄一らがいて、それぞれが、それぞれのクラスで勝ちまくっていた。

誰かプロデューサーがいて、ライダーの能力を測って、勝てるようにクラス分けしていたんじゃないかな。どのクラスでもモトレーシングが大活躍していて、速いライダーが揃う軍団だった。その中でノリックは年上だったけど、兄貴分って感じではなく、大ちゃん(加藤)の方が“大将”って雰囲気だったかな。

自分は乗り始めたばかりで、全然勝てない。腕力では負けることはなさそうなのに、バイクでは歯が立たなかった。それが悔しくて頑張ったんだよね。無我夢中で走って、1年後には勝てなかったし、転んでしまうことも多かったけど、同じレベルで走れるようになった。

あっちはどれだけ覚えていたか怪しいけど、同世代には見えない“おっさんライダー”って認識だったんじゃないかな(笑)。

その速さを1番分かっていたのは俺

その後、彼らと再会したのは、スズキ契約になってテストをするようになり、1993年の全日本ロードレース選手権に出るようになってから。

自分はテストがメインで、全日本はスポット参戦だったけど、ノリックは特別昇格して、いきなり最高峰クラスのGP500で走っていた。心の底では「絶対に乗れないだろう」って思っていたけど、終わってみたらチャンピオンじゃん。

悔しいって思いを通り越して、「すごい奴だな」って認めるしかなかった。

俺、テストでスズキファクトリーの500に乗っていたから、その難しさを身に染みてわかっていたんだよね。あの頃の500はワークスライダーがたくさん参戦していて、かなりレベルが高かったと思う。そこで「勝ってこい」って言われても勝てないなって……。ノリックが出したタイムを出すのは無理だなって……。

自分の実力の無さを突き付けられたような、複雑な気分だった。俺にはできないなって……。

ロードレース世界選手権(WGP)で、ケビン・シュワンツが乗っていたバイクをテストしていたんだけど、そのケビンと、1994年の日本GPでノリックはバトルしちゃうわけだし、敵わないなって思った。

あの頃、ノリックのすごさを、一番わかっていたのは俺じゃないかと思っている。でも、負け続けるつもりはなかったけどね。いつかはって思っていた。

いつか勝つための“武器”を学ぶ

ノリックはWGPへ行ってしまい、自分は全日本でGP250を走っていたけど、大ちゃんが速くてね。

「どうしたら勝てるんだろう?」

そう考えた時に、武器が必要だと思った。速いバイクを作って対抗しようと考えた。だから、バイクのことを勉強するようになった。セッティングで抜きん出ることで勝負しようとした。

スズキで、いろんなバイクをテストさせてもらえたことも大きかったし、とにかくマシンセッティングを学び続けた。

全日本のスーパーバイクに参戦するようになり、2003年からはイギリスで走るように。そして2005年にはワールドスーパーバイク(WSBK)に参戦する。ノリックもMotoGPからWSBKに移ってきて、同じフィールドで戦うようになった。

ノリックがWSBKを走ったのは2006年までの2年間だけだったけど、何度かはバトルもした。あの時は、自分の方がレース環境も良く、成績も自分の方が良かったシーズンだったけど。

ノリックは「4ストが乗れない」って言われていたけど、スタイルに合っていなかっただけだと思う。

電話での「許さね〜よ」が最後の会話に

WSBKのパドックで暮らしていると、芳賀紀行や藤原克昭もいて、レースが終わると皆で集まる機会が多かった。お酒を飲んで騒いだりね。

ノリックは生意気でさ。年は俺の方が1年上で、あんまり変わらないんだけど、突っかかってくることもあって、こっちも引けないし、お酒も入っているから「やるか〜」ってなっちゃうんだな〜。

ノリックの胸ぐらをグッと掴んで、一触即発って感じでさ。ジャーナリストの方に羽交い締めにされて、止められたことがあった。

原因が何だったかなんて覚えてないけど、険悪な雰囲気で、最悪な気分だった。

翌日にノリックから電話があって、

「ゆっきー、ごめん。何も覚えてないんだけど、なんか、すごい揉めたって聞いて」って謝ってきた。

「いや、俺は覚えてるよ。許さね~よ」って切ってしまった。

2007年、ノリックは全日本に戻ったけど、俺はまだWSBKにいて、ちゃんと仲直りしないまま、ノリックは逝ってしまった。

もう怒ってなんていないって、どうして言わなかったのかなって……。あれが最後の会話だったことが心残り。

あっけらかんとした奴だったから、別に何とも思っていなかったと思うけど、ノリックのことを思い出すと、あの時のことを考えてしまう。

ちゃんと仲直りをして、また一緒にお酒を飲みたかったなと思う。

理屈じゃ説明出来ない速さ

同世代で、本当に速いと思うライダーが俺には3人いて、芳賀紀行、加藤大治郎、そしてノリックなんだ。

俺は分析魔だから、紀行と大ちゃんは、技術と速さを兼ね備えたライダーで「速い理由」がわかる。

紀行はバイクのセッティングがすごく上手だし、ステップワークはもう天才。ライバルと速いポイントが違うから、パッシングシーンもスリリングに見えるし、レース運びが抜群に面白い。

大ちゃんは、自分のライン取りや組み立てをしっかり持っていて、そこにはめていく。それを正しく出来たら、誰もかなわない速さを見せる正統派のライダー。

二人には、それぞれに“速さの方程式”がある。

でも、ノリックの速さは分析できない。

ありえないの。ノリックが勝った時に履いていたタイヤは、フロントが誰も履けないくらい柔らかかったりする。スタートもめちゃくちゃ速い。オーバーレブさせて、クラッチだけで、あんなに速いスタートがどうして切れるの?って思う。

そこにはセオリーがない。

予選で「調子悪い」って言ってタイムが出てないのに、決勝で特に大きな変更もしていないのに、急に2秒も速くなる。ありえない。

本来は速いバイクとタイヤだったのに、ノリックが速く走らせられなくて、予選はダメだっただけかもしれないけど……。

あいつの武器は、ものすごい勢いでコーナーへ飛び込んで、アクセルをどこからでも開けていくこと。普通のライダーが問題だと感じるブレーキの不安定さや、さまざまなことも、彼にとっては問題じゃない。

きっと、ノリックのメカニックやエンジニアさんも、「なんで速く走れるの?」って思っていたんじゃないかな。その予測不能な走りがノリックの魅力だった。

理屈じゃ説明出来ない速さ――。

あんなライダーは、もう、なかなか現れないんじゃないかなって思う。

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コメント一覧
  1. 匿名 より:

    今回は、読み応えのあるいい内容だった。

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