ノリックこと阿部典史は、プロフェッショナルライダーを夢見て、サーキット秋ヶ瀬で腕を磨き、アメリカ修行に飛び出した。史上最年少で全日本ロードレース選手権チャンピオンとなり、ロードレース世界選手権にデビュー、最高峰クラスのチャンピオンを目指した。
常に前を向き、顔を上げてライダー人生を切り開き、圧倒的オーラを放ち、くったくのない笑顔で、ファンの心を鷲掴みにした。
ノリックの幼少期から、サーキット秋ヶ瀬の仲間、全日本ロードレース、ロードレース世界選手権と、彼が懸命に生きたそれぞれの場所で、出会った人々が、彼との思い出を語った。

ヤマハファクトリーライダー・中須賀克行さん
出会い ― 13歳の頃

プロフィール
3歳でポケットバイクに乗り始める。
SP忠男出身。
2006年にヤマハ契約ライダーとなり、
2008年に全日本最高峰クラス・JSB1000で初チャンピオンに輝く。
MotoGPのテストライダーも務め、
2012年のMotoGPバレンシアGPでは2位で表彰台を獲得。
鈴鹿8時間耐久レースでは4勝を挙げている。
2025年、通算13度目のJSB1000タイトルを獲得。

すごい舞台で戦っている人がいる

父親がレース好きだったこともあり、3歳からポケットバイクに乗り、ミニバイクへとステップアップしました。中学生になったばかりの頃、1994年の日本GPを父と一緒にテレビで見ていました。

そこで阿部典史さんが、世界チャンピオンのミック・ドゥーハンやケビン・シュワンツとバトルをしていて、「日本人がこんなすごい舞台で戦っているんだ」と驚きました。まだ純粋にバイクを楽しんでいる時期で、プロを夢見ていたわけではなかったけれど、「すごい人がいる」と印象に残りました。

レースで頑張っていきたいと思い始めたのは高校生の頃です。そこから、世界選手権が大きな目標になりました。

バイクに乗り始めた時からヤマハ車だったので、ヤマハのマシンに乗る阿部選手には親近感を持っていました。プロを目指す気持ちが強くなるにつれて、阿部さんが第一線で戦っていることのすごさを実感し、自然とその結果を気にするようになっていきました。

ヤマハにお世話になるようになったのは2006年。当時、阿部さんはスーパーバイク世界選手権に参戦していて、同じ車両で戦っていました。どんなふうに走らせているのか気になって、レースをよく見るようになります。同じヤマハのライダーではあっても、接点はなく、完全に別世界の人。駆け出しの自分とは違い、プロフェッショナルな世界で成功した、ひとつ上の存在でした。

ぜってぇ、負けねぇ!と思った2007年

2007年、阿部さんが全日本に帰ってくると聞き、「バイクもタイヤも自分と同じパッケージだ」と言われた時には、「ぜってぇ負けねぇ!」と思いました。

世界は知らないけど、「ここは俺の土壌、俺の庭だぞ」という意識がありました。阿部さんを倒せば世界へのチャンスが開けるかもしれない。阿部さんを超えられれば、自分の力を証明できる。そう思って挑みました。

2007年は2勝を挙げましたが、ランキング4位でチャンピオンには届かず。そして、阿部さんは最終戦前に事故で亡くなってしまいました。

2008年に初めてJSB1000チャンピオンを獲得しましたが、もう阿部さんはいなくて、阿部さんを超え、世界に飛び出したいという願いは叶いませんでした。

阿部さんと会う前は、正直、もっと気位の高い人なのかなと思っていたんですが、拍子抜けするくらい気さくで、ものすごくいい人でした。「何でも聞いて。全日本のことはわかんないけどさ」って、最初からオープンに話しかけてくれて――本当に器の大きい人でした。そういうこだわりのなさ、柔らかさがあるからこそ、世界で戦えるんだと思いました。

阿部さんのメディア対応やファンへの接し方など、プロフェッショナルライダーとしての姿勢をたくさん学ばせてもらいました。自分の言葉でしっかり伝えること、ファンへの感謝の示し方、レースに対する取り組み方、オン・オフの切り替え……すべてが勉強になりました。あの出会いから、自分は大きく変わったと思います。

自分はお酒を飲めないので一緒に飲むことはなかったけど、ご飯を一緒にすることはよくありました。
「ちょっと高いけど今日はフカヒレ食べよう!」って、先輩・後輩関係なく、明るく場を盛り上げてくれる人でした。阿部さんがいるだけで、その場が和むようでした。何にでも一生懸命で、純粋な人。そんな印象です。

阿部さんは、世界を目指してワイルドカード参戦した日本GPでチャンスを掴んだ。自分も世界を目指してきました。

「中須賀は世界に出る気がなかった」と思っている人もいるかもしれませんが、ずっと模索しながら走ってきました。

全日本チャンピオンには何度もなったけど、世界に出る以外の役割、全日本タイトルを守ること、開発ライダーとしての責任がありました。それでも、チャンスを掴もうと常にアピールしてきました。

野佐根航汰や岡本裕生が世界に出て行っているように、行けなかったわけではない。ただ、その環境が揃わなかっただけです。

今も全日本を走りながら、世界で戦える自分を求めています。阿部さんを超えようとした闘志は、今も消えていません。阿部さんとは違う形だけど、自分の生き方に誇りを持っています。

阿部典史さんは、「ライダーとしてどうあるべきか」の指針を教えてくれた人です。

 

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