
小椋藍(トラックハウス・MotoGP・チーム)が、第9戦イタリアGPで怪我から復帰した。そんな小椋のイタリアGPをお届けする。
小椋藍、決勝レースを10位でゴール
小椋が負傷したのは、第7戦イギリスGPの金曜日午前中に行われるフリープラクティス1でのことだった。セッション終盤、高速コーナーの2コーナーでハイサイドを起こして転倒したのだ。小椋はこの転倒によって右ひざを負傷。スペインのバルセロナに戻り、イタリアGPから二日後の5月27日には欠けた骨片を取り除くキーホール手術を受けた。
以降、小椋は回復に努めた。前戦アラゴンGPは医師の診断により欠場となったが、イタリアGPで復帰を果たしたというわけだ。この間、怪我のなかった上半身も含めてトレーニングはしていなかった。元々、小椋はジムトレーニングよりもバイクに乗ること、それ自体を主なトレーニングとしている。復帰戦のイタリアGP金曜日午前中のフリープラクティス1は、小椋にとってイギリスGPの転倒以来のバイクでの走行だった。
怪我の状態が心配されたが、金曜日の走行を終えたとき、右足の痛みはなかったという。痛み止めも使うことはなく、日曜日まで右足に不安を抱えて走ることはなかった。確かに、囲み取材に来るとき、そして終えて部屋から出ていくときの小椋の足取りは、怪我の影響を感じさせないもので、いつも通りだった。
影響したのはむしろ、「約2戦ぶり」にMotoGPマシンで走るという意味でのフィジカルのほうだった。金曜日の走行を終えて、かなりの疲労があったのだ。
“モンスターマシン”とも称されるMotoGPマシンである。加えて、ムジェロ・サーキットは1km以上の長いストレートがあり、ブラッド・ビンダー(KTM)がMotoGP史上における最高速の記録である366.1km/hをマークしている。そのあとも、高速コーナーの切り返しが続く。通常でもライダーにとってはフィジカル的にきついサーキットなのだから、小椋が疲労を感じるのも当然だろう。
ただ、それも金曜日、土曜日と日を追うごとに以前の状態に戻っていった。小椋は、21番手からスタートし、スプリントレースで12位、決勝レースを10位でゴールした。レースで順位を上げることができるのは小椋の強みだが、負傷明けでも変わらないレース展開を見せた。特に決勝レースでは、ポジションを10以上の上げてのゴールである。
「決勝レースは序盤に攻めて、中盤あたりから徐々にマネジメントに入って、後半攻められるようなら攻める……という感じでした。序盤に頑張って攻めたあとに少し落ち着くタイミングがあって、そこでいつもよりも疲れは感じましたね。でも、そのあとは同じ状態のまま最後まで走ることができました」
転倒もなく、スプリントレースも決勝レースも、「イタリアGPにおける」自分の力をしっかりと出し切って完走することができた。
「復帰戦にしてはよかったです」
小椋はそう言って、自分のイタリアGPのレースを認めていた。
初めてのMotoGPクラスでの負傷とMotoGPクラスでの欠場を経て、小椋は、初めてのMotoGPクラスでの復帰レースを確実に終えた。
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