
ヤマハ発動機株式会社は3月20日、東京都千代田区丸の内の明治安田生命ビルにて、2025年シーズンのレース活動を紹介する『2025年 YAMAHA MOTORSPORTS MEDIA CONFERENCE』を開催した。国内と世界選手権の参戦体制はすでに発表済みだったが、ゼッケン21番のYAMAHA RACING TEAMを復活させてファクトリー体制で2025年FIM世界耐久選手権(EWC)第3戦鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦することが明かされた。
発表会ではモータースポーツ統括部 統括部長の竹田祐一氏の挨拶から始まった。ヤマハは1955年7月1日の設立から70周年を迎え、同年7月10日の第3回富士登山レースからスタートしたレース活動も70周年となる。そのことやMotoGPやWorldSBKなどの世界選手権の活動について語られた。
次に、その70周年を記念して、2025年の鈴鹿8耐に2019年以来6年ぶりにファクトリー体制を復活させて参戦することがモータースポーツ統括部 モータースポーツ戦略部長の小野哲氏から発表された。なお、主催者推薦による出場権が付与されたことが同日に鈴鹿サーキットから発表されている。
世界が注目する鈴鹿8耐にYAMAHA RACING TEAMが参戦することで、「日本メーカーであるヤマハが勝利を目指しチャレンジする姿を通して、世界中に感動を届ける」ことを目的とするという。
参戦車両はヤマハYZF-R1であり、ブリヂストンタイヤを履く。カラーリングは1964年のWGPで使用した伝統的なホワイト×レッドの“日の丸”カラーが採用された。デザインは1999年に鈴鹿8耐でYAMAHA RACING TEAMが走らせたYZF-R7にインスパイヤされたものをリデザインした特別なものとなる。
ゼッケンはエースナンバーの『21』を選び、チーム名は『YAMAHA FACTORY RACING TEAM』ではなく、1990年代後半にファクトリーチームが使用した『YAMAHA RACING TEAM』となる。チームロゴも当時のロゴがモチーフとされており、チームウエアやガレージ内も1999年のデザインをベースにコーディネートされるという。
ライダーラインアップは2015年から2018年まで4連覇に貢献しており、全日本ロードレース選手権JSB1000クラスで12回チャンピオンに輝いている中須賀克行が日本代表として起用された。3名で参戦するため、残り2名が必要だが未定。ところが、MotoGPやWorldSBKに参戦するライダーから選抜する予定となっていることも明かしており、詳しい詳細やライダーは準備発表される。チーム監督は1999年にYZF-R7で鈴鹿8耐に参戦して、同年には全日本のスーパーバイクでチャンピオンに輝いた吉川和多留氏が務める。
中須賀は今季の契約の際に鈴鹿8耐参戦のプロジェクトを知ったようで、オファーを受けた際は「気が引き締まる思いになりましたし、2019年に成し得なかったことを取り戻したい気持ちでここに立っています」といい、目標は「ファクトリー体制で挑む以上、優勝をしっかりもぎ取りにいきたいと思います」と語った。
また、同発表会では全日本ロードレース選手権、全日本モトクロス選手権、全日本トライアル選手権のライダーと監督も登場して意気込みを語っている。
YAMAHA RACING TEAMは1984年に鈴鹿8耐に初出場。初優勝は1987年(マーチン・ウイマー/ケビン・マギー)で、1988年(ウェイン・レイニー/ケビン・マギー)は連覇を果たし、1990年(平忠彦/エディー・ローソン)、1996年(芳賀紀行/コーリン・エドワーズ)と達成した。
2015年には2002年以来13年ぶりにYAMAHA FACTORY RACING TEAMが復活を果たし、中須賀克行のほかにポル・エスパルガロとブラッドリー・スミスという現役MotoGPライダーを起用。2016年はスミスに代わり、アレックス・ロウズ、2017年はエスパルガロに代わりマイケル・ファン・デル・マーク、2018年は中須賀、ロウズ、ファン・デル・マークが継続して、4連覇を記録。2019年はトップでチェッカーを受けて暫定表彰台の真ん中に立ったが、赤旗終了時の規定の解釈の違いでカワサキの優勝に覆っている。
通算8勝を記録したのち、2020年は鈴鹿8耐のファクトリー活動は休止。全日本ロードレース選手権JSB1000クラスはファクトリー活動を継続して、鈴鹿8耐のみYamalube YART Yamaha EWC Official Team(YART - YAMAHA)のマシンにおける技術サポートを行っていた。鈴鹿8耐にファクトリー体制で復活するのは6年ぶりとなる。3連覇中であるTeam HRCの牙城を崩すことはできるだろうか。
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