2024年シーズン、日本人選手としては15年ぶりのグランプリチャンピオンに輝いた小椋藍。シーズンオフには、スペインでのMotoGPチャンピオン表彰式、帰国してからも、雑誌やスポンサーの取材会や祝賀会、さらにアメリカでのチーム体制発表会や、台湾でのライディングスクールなど、トレーニングの時間も少なくなるほど多忙な毎日を送っている。

その間、Webikeプラスではインタビューに成功。24年シーズンのこと、ついにMotoGPデビューを飾る25年シーズンのことを語ってもらった。

シーズンを通した安定性を発揮、後半は怪我を押しつつチャンピオン争いへ

23年まで在籍したIDEMITSUホンダTeamアジアからMTヘルメッツMSIに移籍、使用するマシン(=使用シャーシ)もカレックスからボスコスクーロに変わり、ワンメイクタイヤもダンロップからピレリに変更され、なにもかも新しい環境でのチャンピオン獲得だった。
「去年のチャンピオン獲得は、まずはタイヤとシャーシ変更が自分寄りだったことが要因だと思います。シーズン当初は、新しいタイヤを掴み切れずに上位フィニッシュこそできませんでしたが、少しずつタイヤと新しいシャーシに慣れていって、思い切って攻められると確認できてからは、少しずつ結果も良くなってきた感じでした」(小椋)

開幕戦から4戦は4位/5位/7位/6位。チャンピオン候補のライダーとしては決していい成績ではないが、この間に少しずつマシンやタイヤへの信頼性を高めていたのだ。
「レースは、大きく分けて一発のスピードとロングランがあるんですが、1レース通してのコンスタントさはシーズンはじめから確認できていました。でも最初は、一発のスピードをなかなか出せなくて、予選順位が悪かったのが響きましたね。自分でスピードが出せてきたな、と思うのはシーズン中盤になってからでした」

その予選順位では、開幕戦から13番手/7番手ときて、3戦連続の17番手。このポジションから追い上げての決勝結果が4位/5位/7位/6位だったから、追い上げやレース中のペースには自信が持てたのだろう。
そして第5戦フランス→第6戦カタルニアで、予選17番手から決勝2位、予選10番手からのシーズン初優勝につながっていくのだ。
「シーズン序盤は、やっぱり新しいタイヤに『慣れる』というより、新しいピレリにあった走りができているライダーが前に行っていたんです。そこに、自分もシーズン中盤で追いついてきたというか、やっとスピードとコンスタントさを両立できるようになったんです」

シーズン序盤、目立った走りをできていたのは、アーロン・カネットやマニェル・ゴンザレス、アロンソ・ロペスや、小椋の24年のチームメイト、セルジオ・ガルシアだった。
けれどそれらの顔ぶれは、予選ポールポジションから決勝10位だったり、連続して予選フロントローを獲った後にノーポイントレースが続いたりと、小椋の言う「コンスタントさ」を出せずにいたのだ。
「そのあたりから、自分の強みを出せるようになったと思います。タイヤのいいところを使い切らないようにレース終盤を迎えて、勝負できる位置だったら終盤に勝負をかける。勝負に出たいところでタイヤが消耗しきっていたら、もう何もできませんからね。それを1レースだけじゃなくて、シーズンを通して安定性をキープできるのが強いライダーだと思うんです」

小椋が安定して成績を出せるようになったシーズン中盤は、第5戦フランスからの5戦で、2勝、2位1回、3位1回、5位1回。このあたりで、前述のライバルたちが調子をキープできていなかったこともあって、シリーズをリードしつつあった。
しかし、第11戦オーストリアで、小椋は初日にトップタイムをマークしながら、2日目に転倒、右手首周辺を骨折してしまう。
「右手甲のあたりを2本、幸いきれいに折れていたので回復は早かったんですが『あぁやっちゃった、これで終わりかぁ』とも思いましたね。それでもオーストリアを休んで、次戦アラゴンに様子見というか、無理じゃなかったら出よう、1ポイントでも獲れたら大きいかも、と思って出場したら8位に入れた。その次のミサノで優勝できたんです。ミサノでは、初日にまだ痛くて、それでも土曜にはなぜか痛みが引いて予選3番手を獲れた。初日に動かしたのがよかったのかもしれないです。あのミサノの優勝で、いちど切れかけた流れを引き戻せたというか、またチャンピオン争いに戻ってこれたかな、と思いました」

この優勝で、小椋はついにランキングトップへ。この頃、カネットやゴンザレス、ロペスは上位フィニッシュとノーポイントを繰り返し、ガルシアは調子を落としたままなかなか浮上できずにいた。これが小椋の言う「シーズンを通した安定性」なのだろう。
そして、小椋が『チャンピオンを意識し始めた』というアジア転戦が、インドネシア→日本→オーストラリア→タイ→マレーシアと続いていく。まずはインドネシアで、予選でフロントロー3番手から2位フィニッシュ。そしてシーズンハイライトのひとつである日本グランプリを迎えるのだ。
「日本グランプリは、もうチームの戦略のおかげです。レース内容は、さしていいものではなかったんですけど、あのコンディションで、あのタイヤで行け、と指示してくれたクルーチーフに感謝です。あの瞬間は『えぇぇ、それはないだろう!』って思ってたんですけどね(笑)」

これまで「タイトル」に縁がなかった小椋がつかんだワールドチャンピオン

「あの瞬間」とは――。モビリティリゾートでの決勝レース、不安定な天候で進んだMoto2クラスの時間帯で、一度は曇り空のドライ路面でレースがスタート。3列目9番手スタートの小椋は素晴らしいスタートで、1~2コーナーで2番手あたりに浮上! しかし1周目のコース後半で小雨が降り始め、たちまち路面はウェットとなり、レースは一時、赤旗が提示されて中断、再スタートとなったのだ。
ピットに戻るマシンたち。再スタートまで忙しく、スリックからレインにタイヤ交換するチームばかりのなか、小椋のマシンにはなんと、再スタート時にスリックタイヤを装着していたのだ。ちなみに、同じピットのガルシアのマシンにはレインタイヤが装着されていたし、全ライダー27人中20人ほどはレインタイヤをチョイスしていた。
「レースがスタートして一瞬、雨が強まって路面がきちんと濡れたんです。でも雨はすぐに止んだし、この先どうなるか、タイヤもスリックなのかレインなのか、自信が持てなかった。そんななかで、はっきりと『スリックだ』って言っていたのが、僕のクルーチーフのノーマンだった。こうなったら、自信のある人に乗っかろう、と。レースが始まってすぐまでは、えぇぇぇ、マジかよー、って感じでしたけどね」

予選3列目9番手から、様子を見ながら20番手あたりまでポジションを落とした小椋だったが、スリックタイヤでも行ける、と確信してからはペースをぐんぐん上げ、2周目には7番手、3周目にはトップに浮上し、後続をぐんぐん引き離す。まさにぶっちぎりの様子に、もてぎの大観衆が歓喜する展開になったのだ。
しかし、残り5周となったあたりで、同じくスリックタイヤで勝負に出ていたゴンザレスに迫られ、最終的には2位フィニッシュ。レインタイヤだけではなく、サスペンションのセッティングも雨から晴に合わせたゴンザレスに、小椋は無理せず2位フィニッシュを選択。ランキング2番手のガルシア以下に60ポイントの大量リードをつけて、残り4戦を迎えることになる。
「日本グランプリは、本当にキーになったレースでした。あれで、チャンピオンシップが大きく自分に傾いてきたかんじ。その後は、もう引き算というか、残りいくつのレース数があって、ポイント差がいくつ、と計算しながらのレースができました」

続くオーストラリアでは4位フィニッシュで、残り3レースで65ポイント差、そして歓喜のタイで、ワールドチャンピオンを決めるのだ。
「決まった瞬間は、もちろん嬉しかった。でも『やったーーー!』っていうような爆発的な喜びよりは、ホッとしたというか、重い肩の荷が下りたような気はしました。今シーズンは、どうしてもチャンピオンになりたい、なるんだ、チャンスもあるんだ、って気持ちでシーズンに臨んでいたので、1シーズン通して張っていた緊張の糸をやっと切っておける。正直、そういう気持ちが大きかったです」

どうしてもチャンピオンになりたい――。それは、小椋のレースキャリアの、ひとつの大きな目標だったという。というのも実は小椋は、これまで「タイトル」ということばに縁がないライダーなのだ。アジアタレントカップ、レッドブル・ルーキーズカップ、CEVジュニアワールドカップ、そしてMoto3もMoto2も、ここまで無冠。唯一「10歳くらいの頃に秋ヶ瀬か榛名でミニバイクチェンピオンになったことがあるような気がします」(本人談)とのことだ。

チャンピオンを決めてからの2レース、小椋はやっとポイントを考えずに全力でレースができる、と楽しみにしていたものの、マレーシアGPは表彰台圏内を走りながらマシントラブルでリタイヤ、最終戦ソリダリティGPはカネット、ゴンザレス、ディオゴ・モレイラに先行されて4位フィニッシュ。結局20戦3勝、優勝を含めて8回の表彰台という安定性を発揮して、自身初めてのワールドチャンピオンに輝いた。
「最終戦は優勝…とは言わなくても、表彰台で終わりたかった。最後がコレかよー、とは思いましたが、1年きちんと走り切れて、目標にしていたチャンピオンも獲れたので本当に良かった。今年1シーズン走ってみて、これまでの3シーズンよりも速さが見せられたかな、と思います。レースの成績じゃなくて、純然たる速さ、スピードですね。速いだけではレースでは勝てないけど、速さがなければレースじゃ勝てない。その意味で、まだまだ速さでは自分より速いライダーはいますが、チャンピオンを獲れたのはレースでの速さと安定性、シーズンを通しての安定性を出せたからだと思います」

2025年からは最高峰クラスに! チャンピオン獲得祝賀会には300人のファンが集まった

これで小椋は、2025年からいよいよ最高峰MotoGPクラスに参戦する。チームはアプリリアのサテライトチームであるトラックハウスレーシング、マシンはアプリリアのワークスマシンRS-GPが用意される。24年の最終戦明けには、1日だけテストライドも経験している。
「初めてのMotoGPマシンは、そりゃ速いですよ。テストしたカタルニアサーキットでは350km/h出ちゃうんですから。でも、スピードは慣れだし、まだまだ経験しかしていませんから、まだどんなものかはわかっていない。まずは自分がMotoGPマシンという未知の乗り物で正しい操作ができるかどうかって段階だし、まだスタートラインにも立っていない状態です」

テストでは、順位もタイムも参考にはならないとはいえ、誰よりも周回を重ね、86周して24人中21位。タイムは、このテストでトップタイムをマークしたアレックス・マルケスから2秒143遅れ。まだまだ初乗り、ピット内でも、まずはMotoGPマシンを楽しんで、と言われていたようだ。

「乗ってみた感想……まだまだ全貌は分からないけど、シームレスミッションは感動しましたね。シフトアップして行って、ミッションのつながりで一瞬も回転落ちのギャップがない、ずっと上り調子でスピードが乗って行く感じだし、シフトダウンもオートブリッパーで回転を合わせてくれるんです。他にはMotoGPマシンならではのライドハイデバイスとか、スタート時のロンチコントロールやホールショットデバイスは、テクノロジーを感じましたね。スタート前にいろいろ操作する手順があって、静止状態からまずフロントフォークを沈めてロックさせて、リアの車高を落として……。まだ全部は覚えていないんですけど、左右のハンドルスイッチやレバーで10種類くらいあるんですよ。コーナーを脱出してマシンが出口を向いたら、リアの車高を沈めて加速するんですけど、なんでしょうね、なぜかウィリーせずにロスなく加速できるんです」

24歳の誕生日を迎えた1月26日には、秋葉原でファンや関係者300人が集結したチャンピオン獲得祝賀会を終えて、1月28日にはプレシーズンテストの地、マレーシアへと旅立つ小椋。マレーシア・セパン、タイ・ブリラムとテストを重ね、2月28日には開幕戦・タイGPがスタートする。
「今シーズンからMotoGPクラスを走ることになりますが、自分が子どもの頃から夢見て目指してきた舞台なので、強力なライバルしかいない中ですが、ルーキーイヤーとはいえ、自分らしさ全開で一戦一戦しっかり戦っていけたらな、と思います。先のことはまったく今、見られる状態ではないので、一戦一戦できることを重ねていく――これに尽きると思います」

アライヘルメット主催のサイン会では、3会場で500人近くのファンを集め、チャンピオン獲得祝賀会では、ファンと関係者あわせて300人を動員。ファンの期待もしっかり感じて、今シーズン日本人唯一のMotoGPライダーが世界最高の戦いに挑んでいく。

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