2001年に加藤大治郎が日本GPで優勝したときに使った国旗を、加藤の娘さんから受け取った。チェッカーフラッグを振ったのは加藤の息子さん

複雑な天候の、2024年日本GPだった。

週末を通じて空を曇天が覆い、時折雨がばらばらと落ちてくる。それはしっかりした雨粒だったり、小雨だったりする。といっても、路面が完全に濡れるほどでもない。

そんな天気の影響を最も受けたのが、Moto2クラスの決勝レースだ。けれど小椋藍(MTヘルメット – MSI)は、その複雑なコンディションを味方につけたライダーの一人だった。

「スリックだろ」。クルーチーフの言葉を信じた小椋藍

Moto2クラスの決勝レースは、振り出した雨により1周目で赤旗中断となった。全ライダーがスリックタイヤを履いてスタートしていたからだ。約10分の中断を経てレースは再スタートとなったが、タイヤ選択がライダーを悩ませた。

8名のライダーがスリックタイヤで、フロント、リヤともにソフトタイヤを選択。つまりドライコンディション用の溝のないタイヤを選んで2回目のグリッドについた。そのうちの一人が、小椋藍(MTヘルメット – MSI)だった。その他多くのライダーは、レインタイヤを装着している。

日本GPを迎えたとき、小椋はチャンピオンシップのランキングトップにつけており、ランキング2番手のチームメイト、セルジオ・ガルシア(MTヘルメット – MSI)との差は42ポイントとしていた。そのガルシアは、レインタイヤを選んだ一人だった。

結局のところ、タイヤ選択はスリックが正解だった。再スタート後、1周目を慎重に走った小椋は、2周目以降、あっという間にレインタイヤ勢を抜きさっていった。14番手に後退したところから3周目でトップに立ち、さらに4周目にはレインタイヤを履いた2番手のジェイク・ディクソン(CFMOTO Inde・アスパー・チーム)に対し、4秒以上のギャップを築いているところからも、スリックタイヤ勢とレインタイヤ勢のペース差がいかに大きかったのかを物語っている。

小椋としては、「雨が降ったらスリック勢は終わりだ。レインタイヤ勢に対してできるだけリードを広げておかないと」という考えもあった。

そんな小椋に、マヌエル・ゴンザレス(QJMOTORグレシーニMoto2)が迫る。小椋はゴンザレスが迫っているとわかったとき、「2位も受け入れるしかないかな」と思い始めたという。「2位でいい」と思ったわけではない。ただ、小椋が戦っていたのは日本GPの決勝レースであり、同時にチャンピオンシップでもあった。

2位でゴールした小椋は、クールダウンラップで、観客席のファンに向かって何度も両手を合わせた。その行動の意味は、レース後に語っていた「優勝しなくちゃいけないレースだったと思いますよ」という言葉に集約されているだろう。

とはいえ、複雑なコンディションでの重要な2位だったことには間違いない。小椋は2位獲得の要因となったスリックタイヤを選んだ理由について、クルーチーフであるノーマン・ランクの選択があったと語っている。

「僕はどちらのタイヤがいいのか、全くわからなかったんです。だから、チームの中でいちばん自信を持っている人を信じました。ノーマンが『スリックだろ』って。僕は反対できるほど、(自分の決断に)自信がなかったから」

小椋の取材を終えたあと、「スリックで行く」と断言したというランクに、なぜ小椋にスリックを勧めたのか、と尋ねた。ランクはそのときのコンディションを見て「もっと路面が濡れなければレインタイヤでは戦えない」と考えたのだと説明している。

チームの判断、チームを信じた小椋、そしてその判断を結果につなげた小椋のパフォーマンスが、見事に融合した2位表彰台だった。

「チャンピオンシップとしてはハッピーですが、レースとしてはあまりうれしくはないですね」

これが、今回のレースに対する小椋の本音だ。けれど、小椋はこのレースによって、チャンピオンシップで大きなアドバンテージを築いた。ガルシアはやはりクルーチーフとともに選んだタイヤ──ただしそれはレインタイヤだった──で苦しいレースを強いられて14位に終わり、この結果、小椋はガルシアとの差を60ポイントとした。

次戦オーストラリアGPでランキング2番手以下に75ポイント以上の差をつけることができれば、小椋藍の2024年Moto2チャンピオン獲得が決定する。

中上貴晶、最後の日本GP。グリッド上で聞いた「君が代」に感じたもの

中上貴晶(イデミツ・ホンダLCR)にとって、10月6日(日)の決勝レースが、フル参戦ライダーとして最後の日本GPだった。前日、土曜日のスプリントレースでは、5周目にチームメイトのヨハン・ザルコ(カストロール・ホンダLCR)に接触される形で転倒、リタイアに終わっている。「チェッカーを受けたい」ということが、中上の脳内にあった。

スタート時刻が迫り、やがてこっちのけんとさんによる国歌独唱が始まった。グリッド上で、MotoGPライダーとして聞く最後の「君が代」。胸に迫るものがあった。

「最高峰クラスのMotoGPライダーとして、いろいろ思うところもありました。(そのとき)なおさら全力を尽くしたいと思えたんです」

中上は、グリッド上でちょっとした賭けに出た。他の22名のライダーのように、フロントにハードタイヤ、リヤにミディアムタイヤを履いていたが、グリッドでリヤをソフトタイヤに変更したのだ。

「グリッドが後方なので、守るものもない。ミディアムは(パフォーマンスが)予想できる。もともとグリップがないなかでみんなと同じタイヤを選んでも、そのギャップがあまり変わらないと考えたんです。(ソフトは)レース後半のデータがなかったので未知数ではありましたが、うまくマネジメントすればソフトでも問題ないと思いました。だったら勝負しようよ、って。チームもそれを受け止めてくれたんです」

いつものレースなら、リヤにミディアムでいこうと考えただろう。ただ、今回は中上にとって、特別だった。最後の母国グランプリが、「ソフトでいこう」という決断を下させた。

中上はタイヤをマネジメントして、13位でチェッカーを受けた。

涙は出なかった……、クールダウンラップでは。ピットに戻ってイデミツ・ホンダLCRのクルーに迎えられたとき、少しだけ、泣いた。そんな中上に、スタンド席から上がる「タカ」コール。中上はファンのもとに駆け寄り、惜しむようにその声に応えていた。

Moto2佐々木歩夢はレインタイヤをチョイス。「自分の選択ミス」

Moto2クラスに参戦する佐々木歩夢(ヤマハVR46マスターキャンプ・チーム)は、小椋とは対照的にレインタイヤを選んで再スタートのレースに臨み、21位だった。

「降ってきたときには雨かなと思ったんですが、霧雨だったんです。だからあまり路面が濡れなくて。僕が自分でタイヤを選んだのですが、完全に自分の選択ミスですね」

佐々木は10月5日(土)に、2025年、2026年はチームを移籍し、RW-Idrofoglia Racing GPからMoto2クラスに参戦することが発表されている。

Moto3クラスでは、山中琉聖(MTヘルメット – MSI)が6位でゴールした。

「レース序盤に(優勝したダビド・)アロンソなどと比べて無駄な動きをしてタイヤを使ってしまったし、レース中盤に順位を落としてからリカバリーするのにも時間がかかりました。ただ、中盤から後半にかけて、ペース自体は悪くなかったと思います」と、厳しい表情で語っていた。

17番手スタートから7位でレースを終えた鈴木竜生(リキモリ・ハスクバーナ・インタクトGP)もまた、険しい表情でレースを振り返っている。現在の課題は予選順位だという。

「レース中は自分のペースが悪くないとわかっていたので、落ち着いて大きなミスをすることなく少しずつ順位を上げて17位でレースを終えました。内容としてはよかったのですが、予選の悔いが残りました。予選順位を改善して、いい位置からスタートできれば、もっといいレースができると思います」

9位だった古里太陽(ホンダ・チームアジア)は厳しいレースではあったが「自分のベストは尽くしたかなと思います」と、淡々と語っていた。

日本GPには全日本ロードレース選手権J-GP3クラスに参戦する若松玲が、FleetSafe・ホンダ – Mlavレーシングから代役参戦し、26位で完走した。若松は、J-GP3のランキング2番手につけ、チャンピオン争いを展開している。初参戦のMoto3ではマシンの違いに苦戦し、今季の開幕戦で優勝したもてぎを「初めて走るサーキットみたい」と語るほどだった。

ただ、「自分の課題が明確になってよかったです。全日本で生かしたいと思います」とも語っていた。

MotoGP第17戦オーストラリアGPは、オーストラリアのフィリップ・アイランド・サーキットで、10月18日から20日にかけて行われる。

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