ノリックこと阿部典史は、プロフェッショナルライダーを夢見て、サーキット秋ヶ瀬で腕を磨き、アメリカ修行に飛び出した。史上最年少で全日本ロードレース選手権チャンピオンとなり、ロードレース世界選手権にデビュー、最高峰クラスのチャンピオンを目指した。
常に前を向き、顔を上げてライダー人生を切り開き、圧倒的オーラを放ち、くったくのない笑顔で、ファンの心を鷲掴みにした。
ノリックの幼少期から、サーキット秋ヶ瀬の仲間、全日本ロードレース、ロードレース世界選手権と、彼が懸命に生きたそれぞれの場所で、出会った人々が、彼との思い出を語った。
プロフィール
名門のチーム高武出身、全日本ロードを経て、2003年からMotoGP参戦
2004年ブラジル、リオGPで初優勝しノリックに続く日本人ふたり目の勝者となる
日本GPは予選1位から決勝ではV・ロッシを下し優勝を飾る
2008年からスーパーバイク世界選手権参戦
2012年からアジアで若手育成に関わり、現在はHonda Asia-Dream Racing with Astemoの監督として活躍している
豪快な走りで、めちゃくちゃカッコ良かった
ノリックを知ったのは、1994年の日本GPです。当時、自分は17歳でチーム高武さんのところで九州選手権を走っていました。とにかく「速くなりたい。勝ちたい。どうしたら、速くなれるんだ」って、もう、それしか頭にない時にTVでノリックの走りを見たんです。
あの頃、自分の憧れのライダーがケビン・シュワンツでノリックのライディングはちょっとシュワンツに似ているところがあるなと思っていました。ノリックは勝てなかったけど豪快な走りで、めちゃくちゃカッコ良かった。もう、思いっきり転んでいる姿もカッコ良くて「すごいなぁ~」と思いました。
同じ日本人としてあんなレースをしてくれたことがものすごく嬉しかった。あの走りに憧れてレースを始めた人がたくさんいるんじゃないかなと思います。バレンティーノ・ロッシがノリックのファンになったというのがわかります。
あの時の自分にはMotoGPは、ものすごくとんでもなく遠い世界でした。でも、ノリックみたいに自分もならなきゃなって思った。あそこまで、行かなきゃって…。
チーム高武のチームメイトが大ちゃん(故加藤大治郎)だったので、ノリックのことはちょっと知っていたというか、大ちゃんがノリックと昔からの知り合いで仲が良かったので自分も近い存在に感じていました。でも話をするようになったのはMotoGPに参戦するようになってからでした。
ノリックからの祝福がめちゃくちゃ嬉しかった
2003年にMotoGP参戦させてもらったんですが大ちゃんとGPを回ることを自分は本当に楽しみにしていました。大ちゃんは、うまく言えないけどお互いに素の自分でいられるという感じで、いつも一緒にいて冗談ばっかり言い合って、子供みたいにちょっかいだして追いかけっこしたりして、周りに「何やってんだよ~」って呆れられるくらい仲の良い友人でした。一緒に夢の舞台だったMotoGPで戦えたらどんなに楽しいだろうって…。頑張っていたんです。
2003年に、やっと大ちゃんに追いついてGPに行けるようになった。でも、開幕戦鈴鹿GPの事故で、大ちゃんはいなくなってしまった。そのことを受け入れることは難しかったけど、俺より速いと思った唯一のライダーだったから、俺の前には大ちゃんがいる。だから、俺が勝てば大ちゃんの速さを証明することになるって…。その思いは、自分を支えてくれていたように思います。
なかなか勝てずにいましたが、ようやく勝利できたのは2004年のブラジルGPでした。この日は大ちゃんの誕生日7月4日で、その3日後の7月7日に母が亡くなります。闘病中の母に勝った姿を見てもらえたこともあり、自分としてはいろいろな思いがあって忘れることの出来ない優勝でした。
そのレースのウイニングランの時にノリックはわざわざ「おめでとう」って寄って来てくれたんです。それまでも気さくに話をしてくれて昔からの知り合いのように接してくれていたけど、同じレースを走っていたから本当は悔しいはずなのに心から喜んでくれていることが伝わってきて、めちゃくちゃ嬉しくて…。ありがたくて…。なんて器がでかい人なんだって、俺には出来ないなって尊敬しました。
ノリックとやりあったレースはあまりなく、一度、ザクセンリンクで自分の目の前でハイサイドして、ノリックは思いっきりぶっとんで行きました。日本人同士で負けたくないって気持ちはお互いに持っていたと思います。闘志満々でイケイケな感じで冷静になれない。絶対に守りに入らないってレーススタイルの阿部選手に自分も似ているところがあるなと思っていたので転んでしまった気持ちもわかると言うか…。
のりパパとノリックと飲んでみたかった
レース以外はGPパドックにあるSHOEIさんのトレーラーでよく話をしました。レースの話はしなくて、他愛のない会話でした。そんな時間がライダーには大事だったりするので、ノリックとの時間は楽しい記憶として残っています。日本にもどってライダー仲間として飲みに行くと、たくさんお酒を飲んでいました。酔うと周りの人に絡むので、それを見ているのも面白かった。
自分の親父が、チーム高武じゃなきゃダメだとチームに頼んでくれて、そこで走るようになったんです。チーム高武の先輩には柳川明さん、宇川徹さんや大ちゃんがいて、自分がいて、中冨伸一、清成龍一と全日本から世界へと羽ばたいたライダーが多いです。その流れの中で巡り合わせのように阿部選手と同じ時をMotoGPで走ることができたんだなと思います。
自分は、今、アジアロードレース選手権で監督をやっていますが、現役時代は引退したら、きっぱりとレースを辞めるって決めていたし自分が監督になるなんて少しも考えていなかったんです。でも、自分に何ができるんだろうって思ったらレースしかなかった。
だから、大ちゃんもノリックも生きていたら、チームを作ってレースをしていたんだろうなって思うんです。実際、大ちゃんが始めた大治郎カップからGPライダーが育っているし、ノリックはチームノリックを結成して育成を始めてのりパパが引き継いでいます。きっと、ふたりがいたらすごいチームを作っていたのだろうと思います。だから、自分も負けられないなって思うんです。
心残り…。のりパパ(阿部光雄)とは、今も良くお話させてもらうんですが、ノリックとのりパパといつか3人で飲んでみたいなと思っていました。きっと、楽しいお酒だったと思うんです。
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記事書いたライターの文章が下手すぎるし、誤字にも気づいてないし…天国でノリックがため息ついてるよ。