
ノリックこと阿部典史は、プロフェッショナルライダーを夢見て、サーキット秋ヶ瀬で腕を磨き、アメリカ修行に飛び出した。史上最年少で全日本ロードレース選手権チャンピオンとなり、ロードレース世界選手権にデビュー、最高峰クラスのチャンピオンを目指した。
常に前を向き、顔を上げてライダー人生を切り開き、圧倒的オーラを放ち、くったくのない笑顔で、ファンの心を鷲掴みにした。
ノリックの幼少期から、サーキット秋ヶ瀬の仲間、全日本ロードレース、ロードレース世界選手権と、彼が懸命に生きたそれぞれの場所で、出会った人々が、彼との思い出を語った。
出会い・小学生~
【プロフィール】
会社員。ノリックをはじめ、加藤大治郎、武田誠、雄一、亀谷長純らが小学生、中学生のころ、サーキット秋ヶ瀬でミニバイクレースを経験。年の離れたレース仲間として過ごした。加藤が2003年に始めたポケバイレースの「Daijiro-cup」のオフィシャルとして、今もシリーズ戦を支えている。
クラックの入ったフレームに割りばしを添えて補強!?

ノリック(写真奥)、武田雄一(写真手前)の少年時代
初めてサーキット秋ヶ瀬に来たのは、もう35年~36年前にもなる。
バイクが好きで、出入りしていたバイク屋で、レースをやろうと盛り上がって、仲間とサーキット秋ヶ瀬を訪れたのが、もう35~36年前になるかなぁ。子供たちがポケットバイクでわちゃわちゃ走っていた。そのわちゃわちゃしていたのが、大治郎(加藤)や武田兄弟、兄がまこちゃん(誠)弟が雄一、長純(亀谷)で、まだ、鼻水垂らしている子供の頃。本山哲(4輪ドライバー)もバイクに乘っていて、途中からカートになったけど、兄の智(本山)が子供たちをまとめているような感じだった。
ノリックがやって来たのは、しばらくたってからだけど、割とすぐになじんで楽しくやっていた気がする。子供たちとは参戦するレースが同じだったから、一緒に栃木県の日光サーキット、群馬県の榛名サーキットにも出かけていて、いつも顔を合わせて一緒に走っていた。
思い出すのは、ミニバイクの全国大会にノリックが出た時に「フレームがガタガタしてブレーキもうまくいなかい」と相談来た。見てみるとフレームにクラックが入っていて、ほぼ折れている状態だったから「これじゃ走れないよ、諦めな」って言ったんだけど、ノリックはちょっと困った顔をしたけど、決勝をそのバイクで走っていて「おぉ~、何やってんだよ」って心配して見ていたら優勝したんだよね。
「あれぇ~、どうしたんだよ」ってバイクを見たら、割りばしをフレームに添えて、ガムテープでグルグル巻きにして走っていたんだよね。「お前、すげぇな~」って驚いた。それがミニバイク時代のノリックのレースで、一番、印象に残っている出来事。あの頃はミニバイクレースも盛んで、予選落ちするライダーがたくさんいて、決勝に出るためにみんな趣味とは言え真剣に走っていたからね。レベルは意外と高かったと思う。奴らはトップ争いの常連で、勝つのが当たり前の集団だった。
子供の頃から規格外!ノリックはきっと世界に行く
あの頃から、ノリックはちょっと規格外というか、すごい奴だったと思う。大治郎もけた違いのライダーだったけど、ノリックと大治郎は対照的だった。大治郎はどんなバイクでも本当に綺麗に乗るけど、ノリックはまずフォームが皆と違ってアクセルの開け方までも違って、何もかも独特。それでいて速かった。破格のライダーだったと思う。こいつら、世界に行くんだなと思って、みんな見ていたと思う。
彼らは成長してロードレースを始めたけど、こっちは変わらずミニバイクレースで走っていて、ライダー仲間から、だんだんファンみたいに応援する立場になって、「頑張れよ~」とレースを見ていた。成長してからのノリックのレースは、やっぱり1994年の日本GP鈴鹿でしょう。プライベートチームで、ミスタードーナツの飲茶マークの型落ちのバイクで、ファクトリーライダーのメーカーのバリバリの最新マシンと対等に戦っていた。バトルしていて「これは勝つかもなぁ~」と、TVの画面を凝視していた。レース中、ずっと鳥肌が立っていて、転んじゃうけど、あれは本当にすごい走りだったと今でも思う。
秋ヶ瀬に集まっていた子供たちは切磋琢磨して、刺激しあっていたと思う。自転車で秋ヶ瀬に来て、用意されているバイクに乘って、いつでも練習できる環境があったことも恵まれていたと思う。みんな仲が良かったけど、ライバルだからどんどん速くなった。
ノリックは1995年には仲間内では、1番最初に世界GPフル参戦のチャンスを掴んだ。大治郎はいつ世界に行くんだよって、周りがジリジリした気持ちでいたけど、GP250で世界チャンピオンになった。まこちゃんはノリックとバシバシやっていたけど、レースを止めてしまって残念だったけど、弟の雄一は、スーパーバイク世界選手権で優勝するまでになった。長純もライダーとして活躍した。
みんなレース界にとって大事なライダーになってくれたことは嬉しいことだった。そんな彼らと一緒の時間を過ごせた思い出は宝になっている。
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