WebikeはMotoGPに参戦している長島哲太選手や全日本の野左根航汰選手などのライダーをサポートしています。
昨年全日本のJ-GP2クラスのチャンピオンとなったWebike Team Norick YamahaがNTSのフレームを使っていたことから、全日本ロードレース選手権やMoto2にも参戦した手島雄介さんが新たに立ち上げたT.pro Innovationも支援することになりました。
T.pro InnovationもNTSフレームを使用しての参戦です。

ライダーから監督へ。手島雄介が新たなチャレンジを開始して2年目。その思いとこれからのビジョンについてインタビューを行いました。
「人生があって、レースがある。人生を楽しむために、レースがある。」あくまで人生を楽しんだうえで、レースに対して向き合っていますと語ってくれた手島さん。
しかしその心の中にある想いは非常に熱いもので、チームオーナーとしての強い決意と、選手時代に感じた思いをこれからの活動にぶつけていく、それを次の世代のライダーにつなげていく、そんな姿勢が印象的でした。
監督としての熱い思いを語ってくれたインタビューをどうぞ!

Q:ライダーとしてHondaワークスライダーやMotoGP世界選手権への参戦など、選手としても一流の経歴を残してきた「手島雄介」がなぜ選手としてではなく、監督として自身のチームを作ったのですか?

30歳を1つの区切りとして考えていました。それまでにライダー人生の中で何度か世界に出る機会がありました。
その中で自分の成績が出ていても、日本人であることでチームを解雇されたり他の国のライダーが選ばれたりと、悔しい経験を何度かしてきたんです。
レース業界は日本のメーカーが無くては成り立たないのに、なぜ日本人ライダーがこんなにも立場が弱いのかと考えました。
今までの流れだと世界に参戦するときは、海外のチームに日本のライダーがジョイントして乗る、ということが普通です。ということは、判断をするのはチームなので色々な要素が混ざり合ったものになってしまいます。
そこで自分は日本人ベースのチームを世界で勝負させたい、最後まで日本人ライダーを応援していけるチームを作りたい。それが日本のモータースポーツとってより意義があるものになると考えたんです。
またすぐに世界の舞台に戻ってくる。ただそのときは、ライダーではなく監督として自分のチームで勝負したい。そういった世界での悔しさから、今のチームをつくろうと思ったんです。

Q:世界での悔しい経験が原動力になったということですね。

2011年のシーズン終わりにはそんなチームを作りたいと考えていました。優れたバイク産業を作り上げてきた日本の、日本人ライダーとしてのプライドですね。
特に自分は74daijiro(ポケバイの運営)の活動で若いライダー達が成長していくのを見てきました。そのライダーたちが今、自分の将来のライダー像を描けなくなっているんです。レースをやっていてこの先何があるの? と保護者の方に言われることもあります。
そんなある種の閉塞感を74dijiroの活動を通して感じました。当然レースだけが人生ではないので、若いライダーもなるべく自立して、自分でレース活動をしていくために色々なものを両立しなくてはいけないと思います。
ただ、レースは一人だけではできないので、絶対にチームが必要なんです。若いライダー達がしっかりしたチームと共に将来の道筋を描けるようになるには、自分達の世代が頑張らないと先が繋がらないなと感じたんです。
世界への道筋という部分は、これからの次の世代が絶対に苦労する部分であると思いますし、何とかそこを突破できる希望を作っていきたいと思っています。

▼選手時代の手島監督
20140418-tpro-teshima-interview

20140418-tpro-teshima-interview

Q:2012年はライダーとして全日本ST600クラスに参戦していましたが、現役最後のシーズンはどのような思いで走られましたか?

この2012年は現役を終える手島雄介と、ライダーではなくなる手島雄介がこれから何をしなくてはいけないのか、チームマネジメントのためには何が必要なのか、考えながら、勉強しながら走っていたシーズンでもありました。
やはりライダーとしてけじめをつけたいと思い、レースでも精一杯走りましたし、結果的にはHonda勢の最上位でシーズンを終えられました。自分ではこの環境の中でベストな成績が最後に残せたと思っています。

Q:現役としてのライダー生活に区切りをつけるということに、ためらいは無かったですか?

自分の中でいつも思っているのは「レースがあって人生がある」ということではなくて、「人生があって、レースがある。人生を楽しむために、レースがある。」とずっと思っていました。
レースで走ることだけが人生ではなくて、自分の人生を良くしていく、楽しんでいくツールとしてバイクがあってレースがあった。そしてその乗り物がとても好きだった。
そんな気持ちでレース活動にいつも向き合っていたんです。なので、これからはそのレースとバイクに別のかかわり方をしていくということですね。

Q:2013年はいよいよ自分のチームを作り上げて、アジア選手権と全日本に参戦していきます。

2013年はやはり、ばたばたしましたね。全日本に関してはT.pro Innovationとしてのチーム体制ではなく、他のチームにライダーを出したり、ジョイントしたりという体制でした。
アジア選手権はNTS Japan T.pro InnovationとしてSS600クラスに参戦する事が出来ました。色々なトラブルがありましたが、年間ランキングは小山知良が5位、岩田悟が13位でチームランキングは4位とサテライトチームとしては最上位の結果で終えることが出来ました。

Q:2014年の体制は、アジア選手権と全日本のダブルエントリーとしてアジア選手権ではアンダーボーンクラスにも参戦と伺いましたが。

アジアのアンダーボーンは、昔の日本でのミニバイクレースのようにアジアでも非常に熱いカテゴリーです。T.proとしてはアンダーボーンに参戦して日本人ライダーを乗せるという、一つの道すじを作っていきたいとチームで話し合いました。
アンダーボーンは一見シンプルなバイクに見えますが、やはりレースとなると技術力や開発力も必要で、2014年はHonda系のトップチームであるYuzy Honda(ユージーホンダ)とジョイントする事が出来ました。
Yuzy Hondaは自分のチームで育ったライダーがSS600など次のステップへ上がるチャンスを作る事ができる。T.proとしては日本人の若いライダーがアンダーボーンに戦闘力のあるマシンで参戦する事が出来るということで、お互いのイメージが合致したので、2014年はT.pro Yuzy Hondaとして体制を強化して望みます。アンダーボーン1台、SS600に3台の体制を予定しています。

Q:全日本ではどのような体制で望みますか?

J-GP2クラスにNTS製ののオリジナルフレームで戦います。昨年NTSフレームは野左根選手が全日本チャンピオンになったフレームなので、それをペースにHondaエンジンを積めるようにした車両になっています。
これは世界選手権のMoto2のパッケージを意識しています。日本人チームの日本人ライダーが日本のフレームビルダーと共にマシンを開発していくことは、きっと世界に繋がっていくと思うし、タイヤもMoto2で実際に使われるものを使用してレース参戦していきます。
当然勝ちにもこだわっていきたいと思いますが、しっかりとマシンの開発をして新しい日本のマシンをNTSさんと作り上げていきたいと思っています。

20140418-tpro-teshima-interview

Q:ずばり今年の目標を教えてください。

アジア選手権は3台体制で、小山 岩田、インドネシア人ライダーのM・ファドリが表彰台争いに絡んで、やりきった結果としてチャンピオンが取れたら最高ですし、少しでも多く表彰台に上ってほしいですね。
アンダーボーンで参戦する羽田太河は、チャンピオンをマストで取ってほしいですね。彼は今年16歳になるのですが、上位カテゴリのSS600クラスは規定で16歳からしか乗れないので、今年アンダーボーンでチャンピオンを取って、そのままSS600クラスにステップアップする。そうすればその先までの道のりがきっと見えてくると思っています。
全日本ではまずはマシンを形にしていかなくてはならないですね(笑) まだ本番用のマシンを組み上げられていないので、しっかりとテストとセットアップをして、マシンの開発を進めていき、結果としてよい成績に繋がればパッヒーかなと。

Q:当然、手島監督の役割としては?

アジア選手権も日本もあるので、監督としてはマストとしてチームをきちんと運営していかなくてはならないので、それはそれで大変ですね。ホームページも準備できていないですし(笑)マネージャーもいないんです。一人で奔走しています。
相当大変ですけど、「ムリだろ」っていわれるようなことにチャレンジしていくことに意味があると思うんですよ。無理だといわれることを成し遂げられれば最高ですし、ムリだったら、「ああ、ムリだったんだなと」振り返れば良いかなと(笑)
だけど早くチームのページを立ち上げて、情報の発信をしないとダメですね!

Q:T.pro Innovationをこれから応援してくれるライダーに向けてメッセージをお願いします。

「T」はTeam、「pro」はプロの集団でプロジェクトを組んでそれをプロデュースする、「Innovation」はその全体を革新していく、という意味を持っています。皆さんには是非、Tの部分のTeamの一員になってもらって一緒にこのプロジェクトを盛り上げて、楽しんでいける事が出来たら嬉しいですね。当然レースの結果で楽しんでいただくこともありますが、僕はその「一緒に作り上げて、見守って、そして楽しむ」という一つのチームとしての一体感を共有できたたらと思っています。応援よろしくお願いします!

<プロフィール>
1983年1月26日 埼玉県さいたま市生まれ。
9歳からポケバイに乗り始め、デビューレースで優勝。
1995年、中学生に上がると同時にミニバイクに転向し、小山知良とチームメイトとしてレース活動を共にする。
ミニバイク時代は自分でメンテナンスを行う環境で、マシン自体の理解も深めた。
2000年にYAMAHA名門チームであったSP忠男レーシングに小山と共に加入。小山はGP125、手島はSP250クラスにステップアップし、同年の鈴鹿4耐で鈴鹿サーキット初走行ながら優勝という偉業を成し遂げる。
2001年からST600クラスにステップアップし、イーストエリアチャンピオン。2002年には全日本選手権デビューで初優勝とステップアップの初年度で実績を残す安定感と柔軟性を見せた。
2004年にはFIMアジアチャレンジカップSS600クラスにスポット参戦。これが手島の国際レース初デビューで、第1レースを優勝、第2レースを準優勝と結果を残した。
2005年にHonda系のチームであるTSRへ移籍。それまでずっとYAMAHAのマシンを乗り継いできた手島にとって大きな決心であった。その起用に答えるように全日本ST600クラスでランキング2位、鈴鹿8耐も同チームから参戦し4位と実績を残す。
2006年に全日本の最高峰カテゴリーであるJSB1000へステップアップし、並み居るベテラン勢の中で気を吐きランキング12位、同年の新人賞を獲得。
2009年には乗りなれたST600クラスに戻り、全日本でも最も熾烈な争いが展開されていた同クラスでチャンピオンを獲得する。
2010年からは鈴鹿8耐とMotoGP世界選手権へのチャレンジを開始。JiRチームでMoto2にスポット参戦。
2013年からはチーム監督としてT.pro Innovationを立ち上げ、日本人が主体となるチームを構築し、日本の若手ライダーの道筋を作るために奮戦する。

この記事にいいねする


コメントを残す