ヨシムラの加藤陽平チームディレクターとSERTのダミアン・ソルニェチームマネージャー(フランス)がチームを牽引し、ラインナップは、シルバン・ギントーリ(フランス)、グレッグ・ブラック(フランス)、ザビエル・シメオン(ベルギ―)で挑んだ。このEWCの世界タイトルは、スズキにとって20回目、SERTにとっては17回目、ヨシムラにとっては初の栄冠となった。EWCの新たな指揮官として手腕を振るった加藤氏に、その戦いを聞いた。

文:佐藤洋美/写真:Yoshimura SERT Motul、ヨシムラジャパン

───ヨシムラがEWC参戦へと舵を切った理由を教えて下さい。

「ヨシムラにとって最も重要なターゲットは鈴鹿8時間耐久です。それは、今も変わりませんが、EWCをユーロスポーツ(欧州のスポーツチャンネル)が取り上げるようになった2015年から、EWC参戦をフランソワ・リベイロ(Discovery Sports Events代表)から熱心に誘われるようになりました。その時は、丁寧にお断りしていたんですが、そんな折、スズキフランスさんから誘われてボルドール24時間耐久を見に行くチャンスがありました」

───それがきっかけに。

「想像以上に面白かった。24時間を戦うという、たいへんなレースは、戦う価値があると感じました。鈴鹿8時間耐久は、トラブルや転倒があると、その時点で勝つということが難しくなってしまう。ですが、24時間には、何かあっても、挽回するチャンスがある。勝つという目標を諦めない戦いがある。そこに惹かれました」

───2019年~2020年シーズンは、SERTのサポートでEWCを訪れ、新型コロナウィルスの影響で渡航が難しい時はリモートで助けるようになりました。

「SERTとヨシムラの付き合いはスズキのマシンを駆るチームとして、社長(吉村不二雄)が「スズキ車の歴史を共に築いてきた」と語るように、つながりは長く、鈴鹿8耐の時には、相談に乗ることもありました。SERTのドミニク・メリアン監督が2018年の鈴鹿8時間耐久を最後に引退し、チームが一新され新監督がダミアン・ソルニエになった事もあり、スズキからの依頼から頻繁に連絡を取り合うようになりました」

───近年のEWCは、レベルアップされ、耐久とはいえ速さが求められる戦いへと変わったことが大きいですか?

「そうですね。同じスズキのエンジンを使っているのに、ヨシムラのマシンが速いのは何故だと、SERTのマシンも見てほしいと頼まれて、相談に乗るようになりました。実際に現場に出かけ、行けない時はリモートで一緒に戦いました」

───メリアン監督がいなくなり、SERTの戦力は落ちるのではと思う人も多い中で、見事、タイトルを獲得した影には支えた加藤チームディレクターの力があったのですね。

「そうであれば嬉しいですね。スズキさんから、2021年のレース活動に対してプランを出してほしいという打診があり、EWC参戦を提案しました。それは、スズキさんからの願いでもあり、実現へと動くことになりました」

───監督的立場に立つのがふたりというのは、やりにくさはないですか?

「現地の母体としてSERTがあり、マシンに関してヨシムラがあり、レースの作戦などは一緒に最適だと思うことを考えるという形で、問題なく、非常にスムーズに出来ていると思います」

───このふたつの人気チームがジョイントすることは、日本とフランスをつなぐ、リモート会見で、世界中に流れました。反響は大きかったですか?

「ヨーロッパでの反響は大きかったようですね。こちらでもEWCに参戦ということに驚くファンの方もいたと思いますが、好意的に受け止めてくれたと思います」

───新型コロナウィルスの影響で、開幕戦ルマンが、4月から6月にずれ込んだことで、全日本開幕戦もてぎに渡辺一樹選手が参戦、ポールポジションから表彰台を獲得して準備万端で、ルマンに向かいました。

「スケジュールが遅れたことで、準備期間がとれたことは、新チームにとっては良かったことです。ルマンで、予選もトップは逃しましたが、タイムアタックのタイミングの問題で、ポールポジションを取る速さがありましたし、3人のバランスも良く、手応えを得ての決勝でした。序盤はトップ争いもありましたが、ポジションが落ち着くと首位を走り続けることが出来ました。24時間をノーミスで戦うという奇跡的な戦いが出来、緊張もプレッシャーもありましたが、こんなにうまく行った経験がないと言えるほど、理想的な優勝でした」

───第2戦はエストリル12時間耐久でも、ホールショットを奪い、レースの主導権を握りますが、気温と路面温度が上昇、ライバル勢も転倒者が増え、ギントーリも転倒してしまう。更にシメオンが接触から転倒、追い上げるも12位でした。

「シルバンがファーステストラップを記録していますし、ピットでの作業も迅速で、耐久らしい戦いをしましたが、結果を残すことが出来ませんでした。この結果を受けて、タイトルを狙うためには、次のボルドール24時間耐久でしっかりと結果を残さなければならない。リスクを犯しても勝ちを追及しました」

───3戦目のボルドール24時間耐久は、スタート時の暑さ、夜の雨と史上稀に見る過酷なレースになったと語る人もいるくらいで、次々とライバルが脱落する中で、ヨシムラSERT Motulは、その強さを遺憾なく発揮します。真夜中に降り出した雨に足元を救われシメオンが転倒しますが、マシンを修復後、コース復帰すると、再び主導権を得て2位に19周もの大差を付け劇的な優勝を飾りました。この勝利で、ランキングトップへと浮上します。

「予選から、攻めて、勝ちに拘ってアグレッシブに挑んだレースでした。しっかりとパフォーマンスを示すことが出来ました。ルマンは、無観客でしたが、ここは有観客で行われました。ルマンでも感じましたが、フランス人にとって、ルマンとボルドールの24時間で勝つというのは、私たちが鈴鹿8時間耐久で勝つのと同じような達成感や喜びがあるのだと思いました。観客の熱狂もあり、スタッフが喜んでいる姿を見て、こちらも、感動するという深い喜びがありました」

───ライバルの脱落もあり、最終戦ではポイントを取ればタイトル決定という状況でした。

「ランキング2位がプライベートチームだったこともあり、しっかりと走り切ることが出来れば良かったので、気持ち的には楽でした。でも、最終戦なので、気を引き締めて向かいました」

───最終戦はオートドローム・モスト6時間耐久となり、決勝でシメオンがオイルに乗り、転倒しそうになりましたが、それを回避して順調に周回を重ね、3番手争いを繰り広げ3位を獲得、念願の世界タイトル獲得となりました。

「ポイント争いをしているチームがリタイヤになり、そこから、表彰台を取りに行こうと切り替えました。その目標通りのレース展開となって、3位になることが出来ました。タイトルが決まり、もちろん、嬉しかったですが、スズキファクトリーとしての参戦という責任を強く感じていました。なので、期待に応えることが出来たというホッとした気持ちの方が強かったです」

───加藤チームディレクターが呼び寄せたギントーリと抱き合って喜びを表しているシーンでは、ヨシムラのファンはジーンとする場面でもありました。

「ギントーリはヨシムラから鈴鹿8耐に何度か参戦してもらっていますが、表彰台にのることが出来ていないので、今年、2度の勝利で一緒に表彰台に登れたことは嬉しかったですね。本人も、ルマンとボルドールで勝つことは夢だったと言ってくれ、喜んでくれました」


───EWC参戦を終えての心境は如何ですか?

「自分たちは、命がけで鈴鹿8時間耐久に挑んで来ました。それと同じようにSERTが挑んでいる気持ちが分かりますし、その思いを共有して戦い、結果を残せたことが、良かったと思います。鈴鹿8時間耐久は、ワンイベントですが、EWCはシリーズ戦という重みを知ることが出来ました。モナコで行われるチャンピオン表彰式にも呼ばれ、格式の高さも感じています。ルマン24時間で優勝した記事を、宿のオーナーが渡してくれたたんですが、全仏オープンのジョコビッチより、僕たちの優勝の記事の方が大きく出ていて驚きました。ルマンのスーパーマーケットには、耐久マシンが展示してあり、レースやバイクに対しての理解度や、応援の姿勢が、温かですね。バイクで応援に来てくれ、それ楽しんでくれていることは伝わって来ました。SERTの面々はメディアに引っ張りだこで、とても忙しいと言っていましたが、日本のメディアさんは、少し静かですね(笑)」

───来季に向けては?

「来年のことは、まだ、何も決まっていませんが、鈴鹿8時間耐久が開催され、そこで、タイトルを決めることが出来たら、どんなに良かったかという思いが残ります。来季は、このパンデミックが終わり、鈴鹿8時間耐久が開催され、世界チャンピオンとして優勝に挑みたい」

バイクで町おこしを行う埼玉県秩父郡小鹿町の「小鹿町 バイクの森」に「伝承・ポップ吉村」メモリアルコーナーが開設され、11月27日にオープニングイベントが開催された。当日はトークショーに加藤陽平氏らが参加し「ポップ吉村の思い出」が語られた。


加藤陽平(かとう ようへい)
1975年11月19日生まれ。神奈川県出身、祖父、吉村秀雄は、エンジンチューニングにおいて神の手を持つと崇められたヨシムラ創業者。その吉村氏の次女、由美子さんが母。父はヨシムラライダーだった加藤昇平。ヨシムラ社長の不二雄氏は叔父にあたる。2002年ヨシムラ入社。2007年からヨシムラの監督に就任。同年の鈴鹿8耐では加賀山就臣/秋吉耕佑組で優勝。2009年酒井大作/徳留和樹/青木宣篤で勝利。2010年はスーパーバイク世界選手権に参戦。2013年全日本ロード復帰。2021年EWC本格参戦しチャンピオンに輝く。

情報提供元 [ EWC × Webike 世界耐久選手権サポートサイト ]

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