
文:佐藤洋美
真生騎は偉大な祖父、父を持ちながらも、バイクに無縁の子供時代を過ごした。乗り出したのは13歳だ。世界を席巻するトップライダーたちが幼少期からバイクに乗り始めていることが主流である現在の状況に照らし合わせると、それは、とてつもなく遅いスタートだ。
真生騎は、バイクに乗るという基本的な練習から、地方選手権に参戦、急激な成長を見せ2021年、バイクに乗り始めて4年で日本最高の選手権である全日本ST600デビューを果たした。たが、第5戦鈴鹿大会で、目標としていたタイムに届かず「残り2戦を残して参戦を取りやめる」という厳しい現実を突き付けられる。阿部監督は「地方選から鍛えなおす」と語った。
10月下旬、茨木県筑波コース1000で行われた「Rank Up Racing」(代表坂本久義)走行会のインストラクターとして真生騎が参加していた。雨予報だったが、気持ちの良い青空が広がり、爽やかな風が吹くバイク日和の1日となった。主催者の好意で、仕事以外の時間は、バイクトレーニング可という条件で、真生騎は、ロードコースとダートコースを行き来しながら走り続けていた。インタビューは、全てのスケジュール終了後の夕闇迫る中で行われた。
阿部真生騎インタビュー
───チーム入りした14歳の時にWebike TEAM NORICK YAMAHAの記者発表会で「お父さんのようにGPに行きたい」とインタビューに答えていますが。
「良くわかっていなかったと思います。父のことは覚えていないし、父のレース映像も見る方ではないから…。今のGPもあんまり見ていない。聞かれてもGPライダーのことは、良く知らないままです」
───興味がないですか?
「んー。勝ち続けていけば行く場所だと漠然とは思う…。でも、目指すというより、目の前のことを確実に、やることが大事だと思っている。まずは、自分の与えられた場所で勝ち続けていけば、おのずと、そこに辿り着く…。というイメージです。目標が大きすぎると、無理だなと思ってしまう。小さい所から組み立てて行くタイプなんです。目の前の全日本でも、たいへんなのに、GPとか言うのは、ちょっと、違う感じがします」
───初めてバイクに乗ったのは13歳とのことですが、子供の頃は何かスポーツはやっていましたか?
「小学校時代はサッカーをやっていて、中学校ではバスケットをしていました。でも中学校に入ると、なんだか、いろんなことが面倒くさくなって…。馬鹿だったなと、今は、思います。そんな時に母が、バイクでも乗ってみたらって。それも、実は、面倒くさいなぁ~と思っていたんですけど、祖父が迎えに来てくれたので、一緒に出掛けました」
───初めて乗った感想は?
「風が気持ち良いなと…。そうしたら、明日も行くか?って、次の日も迎えに来てくれて、桶川サーキットやオフロードビレッジに出かけるのが、段々、当たり前になって行きました。うまく走れるとタイムが上がる。頑張りが顕著にタイムに出るので嬉しくなります。最初の方はダートの方が楽しかったです。チームノリックのタイ人のケミン・クボ選手が競争相手でした。一緒に走ると、自分に足りないところや、出来ないことが、課題となって明確になって行きました。コース上で、煽られたりしながら、一緒に走っていました。桶川でも肘や膝が擦れるようになって、出来ることが増えて行きました」
───真生騎選手がバイクに乗り始めたと、この頃からレース界では話題となり、乗り始めから、期待が大きくて、嫌になりませでしたか?辞めたいと思ったことは?
「期待が大きかったからではないですが、乗り始めた1~2年くらいの時は、辞めたいなと思ったことが3回くらいあります」
───でも、辞めなかった。
「はい」
───高校進学はせずにレースに専念する道を選択した。
「学歴が必要だと思ったら、高卒認定を受ければ良いと思ったので、そんなに大きな決断という意識はなかったですが、バイクに専念出来て良かったと思います。周りの友達は、今、大学受験に向けての勉強漬けで、あれは、自分には出来ないなと思う」
───初めて真生騎選手のライディングを見た時に、バイクに乗り始めて2~3年なのに、幼少期からバイクに乗っていたライバルたちと遜色のない走りをしていて衝撃でしたし驚きました。
「最初の頃は、祖父の方針もあり、他と同じレベルのバイクには乗せてもらえなくて、ちょっと、なんだよって思っていましたが、600に乗るようになって、これまでとは排気量も違うので、最初は少し戸惑いました。簡単ではないなと思ったけど、今思うと、バイクのセットがあっていなくて、乗りにくかったんだと思います。今は、段々、掴めて来たので、これからです」
───来季への抱負は?
「全力でやるしかないです」
From Writer
週5~6回はバイクに乗る生活が続いている。それを支えるのは阿部監督だ。チームトラックを自ら運転し助手席に真生騎を乗せ、地方選を転戦し、トレーニング場所へと出かけるハードな日々だ。この日も、真生騎は、ダートコースで10数回は転倒していた。「恐怖心はない」と言い、思いっきり突っ込んで、スピードを殺さずに立ち上がるという練習を続けていた、行き過ぎると転ぶ。マシンが壊れると、すぐに修復してもらい、また、コースに出て行く。身体で限界値を知り、超えて行く。
真生騎に阿部監督のことを聞くと「もう、年なのに、運転して、いっぱい練習に連れて行ってくれる。全力でサポートしてくれる」と語った。阿部監督は真生騎に厳しいようだ。「真生騎を怒鳴ってばっかりいる。こうやって練習が出来ることが、支援で成り立っていることを肝に銘じろ。時間は無限ではない」と…。
真生騎は、まだ、17歳だけど、バイクと出会って5年だけれども、阿部監督の言葉を誰よりも身に染みて理解している。真生騎は「これだけ、恵まれていたら、やらざるを得ない」と語った。
走行会の最後はじゃんけん大会が行われ、そこで、転倒しすぎてボロボロになった薄紫色の真生騎が身に着けていたビブスが人気だった。参加者全員が参加して、最後に勝ち残った人に、真生騎サイン入りのビブスが渡された。真生騎に「サインは求められることが良くあるの?」と聞くと恥ずかしそうに頷いた。
情報提供元 [ Webike Motosport ]
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