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ウェビック特集 天才ライダーの生涯-ノリック(阿部典史)が生きた日々 ウェビック特集 天才ライダーの生涯-ノリック(阿部典史)が生きた日々

特集にあたって

阿部典史(ノリック)の長男である真生騎が13歳でバイクに乗り始め、4年後の2021年から全日本ロードレース選手権ST600にスポット参戦、
2022年にはフル参戦と急成長を見せ、2023年には世界への戦いを開始する。

軽やかに自分の道を歩む真生騎にとって、3歳の時に交通事故で急逝した父のことはかすかな記憶でしかない。
天才ライダーとして多くのファンを獲得した阿部のことを真生騎は「ほとんど覚えてはいない」と言う。
時の流れの中で風化してしまう記憶を、チームノリックを支援し続けてくれているウェビックのホームページに残したいと思った。
阿部が逝って16年の歳月が流れたが、未だ色あせることのない阿部の魅力を、阿部に関わった人々に、彼との思い出、想いを語ってもらう証言の数々で示し、彼の生きた日々が蘇ることを願った。

ジャーナリスト 佐藤洋美
Profile

ノリックについて

川口四天王と呼ばれたオートレーサーの父を持ち、5歳で本格的にバイクに乗り始める。15歳で渡米、ダートトラック、モトクロス修行を経験。17歳で全日本ロードレース選手権最高峰500ccクラスデビュー、18歳で史上最年少チャンピオンに輝く。

WGP500デビュー、世界の強豪とトップ争いを見せた。破格の才能を示し、ウェイン・レイニーに「可能性」を見いだされWGPフル参戦のチャンスを掴み、バレンティーノ・ロッシが「僕のアイドル」と憧れ、マイケル・ドゥーハンが「最も才能に恵まれ、リスキーなライダー」と称した。

名だたる世界チャンピオンに愛された彼の名前は「ノリック」こと阿部典史。人生そのものが型破りだったノリックは、1975年9月7日に生まれ、2007年10月7日、交通事故で亡くなった。享年32歳だった。

norickのイメージ
History

ノリックの歴史

1980 5歳からポケバイに乗り始める
1988 13歳 レースデビュー
1991 15歳 アメリカでダートトラック、モトクロスなどに出場
1992 スーパーカップイースタンシリーズ250ccランキング2位
1993 18歳で史上最年少全日本ロードレース選手権500ccチャンピオン
1994 全日本ロードレース選手権スーパーバイク参戦
ロードレース世界選手権500ccデビュー
1995 WGP500ccランキング9位/マルボロ・ヤマハ・ロバーツ
1996 WGP500ccランキング5位 1勝 (日本GP)/マルボロ・ヤマハ・ロバーツ
1997 WGP500ccランキング7位/マルボロ・ヤマハ・レイニー
1998 WGP500ccランキング8位/マルボロ・ヤマハ・レイニー
1999 WGP500ccランキング6位 1勝 (リオGP)/アンテナ3・ヤマハ・ダンティン
2000 WGP500ccランキング8位 1勝 (日本GP)/アンテナ3・ヤマハ・ダンティン
2001 WGP500ccランキング7位/アンテナ3・ヤマハ・ダンティン
2002 MotoGPランキング6位/アンテナ3・ヤマハ・ダンティン
2003 MotoGPランキング16位(スポット参戦)
2004 MotoGPランキング13位/フォルチュナー・ゴロワーズ・ヤマハ・テック3
2005 スーパーバイク世界選手権ランキング13位/ヤマハモーターフランス
2006 スーパーバイク世界選手権ランキング13位/ヤマハモーターフランス
2007 全日本ロードレース選手権JSB1000ランキング8位(ワイズギア・レーシング/ヤマハYZF-R1)
鈴鹿8時間耐久ロードレース9位(ジェイミー・スタファー/YAMAHA RACING 81/ヤマハYZF-R1)
10月21日、交通事故により他界
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1975-1992
秋ヶ瀬時代
1975年9月7日東京都世田谷区で阿部典史(ノリック)は生まれた。父親の影響で幼少期から自転車やバイクに親しむ。
ミニバイクを始めると埼玉県サーキット秋ヶ瀬に通い、加藤大治郎、武田雄一、亀谷長純と、ホンダ、ヤマハ、スズキといったワークスチームで活躍することになるライダーたちと切磋琢磨して、その才能を磨いた。
15歳になるとアメリカへ武者修行に出かけ、世界チャンピオンを目指し突き進む。
秋ヶ瀬時代のノリックイメージ

ノリックの秋ヶ瀬時代独占インタビュー

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1993-1994
全日本時代
全日本ロードレース選手権最高峰クラス500でデビュー。
究極のレーシングマシンであるホンダ・NSR500を17歳のノリックは乗りこなすことが出来るのか。キャリアも不明、無名のライダーの登場に、猜疑的な目にさらされる。
だが、ノリックはデビューと同時にトップ争いを繰り広げ、史上最年少チャンピオンに輝く。
1994年ワイルドカード参戦したWGP・鈴鹿で、世界の強豪と互角の走りを見せ衝撃を与える。
その決死の覚悟を持った参戦で、類まれな才能を見せつけたノリックは、夢のWGPの扉をこじ開ける。
全日本時代のノリックイメージ

ノリックの全日本時代独占インタビュー

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1995-2007
WGP時代
WGP500クラスにマルボロ・ヤマハ・ロバーツに所属し、ヤマハ・YZR500で参戦、本格的な世界デビューを飾る。
1996年にはWGP日本、鈴鹿サーキットで劇的な初優勝を挙げトップライダーとして認知される。
1999年WGPブラジル、リオで2勝目。2000年WGP日本、鈴鹿で3勝目。
2002年からWGPは2ストロークの500から4ストロークのMotoGPへと変わる。
2004年までヤマハ・YZR-M1を駆りMotoGPで戦い、2005年にはスーパーバイク世界選手権へと戦いの場を移す。
2007年には帰国、全日本ロードレース選手権JSB1000に参戦を開始した。
WGPのノリックイメージ

ノリックのWGP時代独占インタビュー

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