川口四天王と呼ばれたオートレーサーの父を持ち、5歳で本格的にバイクに乗り始める。15歳で渡米、ダートトラック、モトクロス修行を経験。17歳で全日本ロードレース選手権最高峰500ccクラスデビュー、18歳で史上最年少チャンピオンに輝く。
WGP500デビュー、世界の強豪とトップ争いを見せた。破格の才能を示し、ウェイン・レイニーに「可能性」を見いだされWGPフル参戦のチャンスを掴み、バレンティーノ・ロッシが「僕のアイドル」と憧れ、マイケル・ドゥーハンが「最も才能に恵まれ、リスキーなライダー」と称した。
名だたる世界チャンピオンに愛された彼の名前は「ノリック」こと阿部典史。人生そのものが型破りだったノリックは、1975年9月7日に生まれ、2007年10月7日、交通事故で亡くなった。享年32歳だった。
1980 | 5歳からポケバイに乗り始める |
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1988 | 13歳 レースデビュー |
1991 | 15歳 アメリカでダートトラック、モトクロスなどに出場 |
1992 | スーパーカップイースタンシリーズ250ccランキング2位 |
1993 | 18歳で史上最年少全日本ロードレース選手権500ccチャンピオン |
1994 | 全日本ロードレース選手権スーパーバイク参戦 |
ロードレース世界選手権500ccデビュー | |
1995 | WGP500ccランキング9位/マルボロ・ヤマハ・ロバーツ |
1996 | WGP500ccランキング5位 1勝 (日本GP)/マルボロ・ヤマハ・ロバーツ |
1997 | WGP500ccランキング7位/マルボロ・ヤマハ・レイニー |
1998 | WGP500ccランキング8位/マルボロ・ヤマハ・レイニー |
1999 | WGP500ccランキング6位 1勝 (リオGP)/アンテナ3・ヤマハ・ダンティン |
2000 | WGP500ccランキング8位 1勝 (日本GP)/アンテナ3・ヤマハ・ダンティン |
2001 | WGP500ccランキング7位/アンテナ3・ヤマハ・ダンティン |
2002 | MotoGPランキング6位/アンテナ3・ヤマハ・ダンティン |
2003 | MotoGPランキング16位(スポット参戦) |
2004 | MotoGPランキング13位/フォルチュナー・ゴロワーズ・ヤマハ・テック3 |
2005 | スーパーバイク世界選手権ランキング13位/ヤマハモーターフランス |
2006 | スーパーバイク世界選手権ランキング13位/ヤマハモーターフランス |
2007 | 全日本ロードレース選手権JSB1000ランキング8位(ワイズギア・レーシング/ヤマハYZF-R1) |
鈴鹿8時間耐久ロードレース9位(ジェイミー・スタファー/YAMAHA RACING 81/ヤマハYZF-R1) | |
10月21日、交通事故により他界 |