1960年代中期、国内メーカーは輸出を視野に入れた大排気量モデルを開発し市場に投入していきます。
ホンダは1965年に4サイクルDOHC2気筒のCB450を国内外で発売。
カワサキは1966年に4サイクルOHV2気筒650ccのW1をアメリカに投入しました。
フラッグシップのT500誕生
スズキは、得意とする2サイクルエンジンで大排気量のフラッグシップモデルの開発に着手しました。数々の技術的課題をクリアして、2サイクル2気筒エンジンとしては、世界で最大排気量を誇るT500を1968年3月に発売しました。
翌年1969年には、T250とT350を加えて魅力的なロードスポーツのラインナップとしました。
ところが、1969年8月にホンダから4サイクル4気筒のCB750 FOURが発売されると、たちまち大ヒット商品になり「ナナハン」という新しい言葉も生まれるほど、社会に大きな影響を与えました。
特に巨大な二輪マーケットを有するアメリカでは絶好調の販売でした。
スズキをはじめ国内メーカーは、何としてもナナハンの世界に進出する必要がありました。
スズキはフラッグシップのT500の後継車として、2サイクルエンジンで750ccのロードスポーツモデルの開発に挑むことになりました。
1969年は、カワサキが2サイクル3気筒500ccのマッハⅢを発売。
過激ともいえる高性能に誰もが驚くほど、存在感は別格でした。
1970年、T500は熟成を図りⅢ型に進化しましたが、二輪ファンの関心はホンダCB750 FOUR とカワサキのマッハⅢに注がれました。
1970年、東京モーターショーに待望のGT750を参考出品しました。搭載されたエンジンは、水冷2サイクル3気筒という革新的なもので、来場者の注目を集めました。
新たなフラッグシップGT750の誕生
1971年2月、T500/350/250は、モデルチェンジし車名を”GT”に刷新しました。
車名をGTシリーズに改称した背景は、スズキのロードスポーツのフラッグシップとしてGT750の登場を見越したものと思われます。
1971年9月、スズキのフラッグシップGT750が登場しました。
最高出力は、CB750 FOURと同じ67PS。価格もCB750 FOURと同じ385,000円に設定されました。
このカタログはモノトーンを基調に、メカニズムの解説やテストを担当した伊藤光夫氏のおすすめのコメントが掲載されています。
一般ユーザー用に制作されたものかどうかは不明です。
高校生の私が鈴木自動車あてに葉書を送り、いただいたものです。
カタログに起用されているテストライダーは、1963年のマン島TTレース50ccクラスで優勝したスズキ社員の伊藤光夫氏。マン島TTレースで初めて優勝した日本人ライダーとして有名です。
これは、1963年に鈴鹿サーキットで開催されたロードレース世界選手権日本GPのパンフレットに掲載されたスズキの広告。ゼッケン8番が50ccレーサーを駆る伊藤光夫氏で、同年のマン島TTレースで優勝を飾りました。
1973年、フロントにダブルディスクブレーキを備えたGT750 ディスクを発売しました。
ナナハンクラスでのダブルディスクは、他社に先駆けた採用でした。
価格は1万円高に抑えられました。
1974年のGT750は、フロントフォークの変更やキャブレター形式をVM32型からBS40型(強制開閉式3連ソレックスタイプ)に変更を行いました。また、ラジエーター後方の電動ファンを廃止するなど、熟成を図っています。
1974年10月発行のGTシリーズ総合カタログでは、マイナーチェンジし、車体色とストライプを変更しています。
1975年、フューエルタンク上にキャップカバーが取り付けられ、ヘッドライトにシールドビーム式を採用するなど、熟成を図りました。
最高出力は、67PSから70PSに引き上げられました。
1970年代中期になると、二輪車でも環境保全の観点から燃費の良い4サイクルエンジンへの移行が必要になってきました。
特に、大排気量車は4サイクルへの転換がMUSTになりました。
2サイクルメーカーとして技術を高めてきたスズキにとっては、大きな転換点を迎えていました。
そして、1976年にスズキ初の4サイクル車としてGS750、GS400が発売されました。
GT750は、GS750の登場によって、1977年に発売したモデルが最終となりました。
水冷2サイクル3気筒4本マフラーという独創的なメカニズムと堂々としたスタイリングは、ナナハンの歴史に大きな足跡を残しました。
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