カワサキは、二輪車の新たな市場を求めて、1966年4月にアメリカの現地法人アメリカン・カワサキ・モーターサイクルをシカゴに設立しました。

アメリカで認められたスーパースポーツのSAMURAI 250

当時のラインナップには、カワサキ最大排気量の650W1がありましたが、英国の伝統的なスタイリングと低中回転域重視のバーチカルツインエンジンは、アメリカのスポーツバイクファンには高い支持を得られませんでした。

1966年当時の650W1 カワサキワールドにて撮影

しかしながら、2サイクルエンジンを得意とするカワサきがアメリカ向けに開発した250ccのロードスポーツモデル「SAMURAI(サムライ)250」は、群を抜く高性能さを発揮して一躍ヒットモデルとなりました。2サイクル並列2気筒ロータリーディスクバルブのエンジンは、加速力にも優れ、またレースなどによる信頼性も認められました。SAMURAI 250は、その後のアメリカでの活動に大きく貢献したのです。

1966年 アメリカで販売された「SAMURAI 250」カワサキワールドのパネルより。アメリカに、カワサキブランドを強く印象付けたスーパースポーツモデル

SAMURAI 250は、1966年8月に「250-A1」の車名で日本でも発売がスタートしました。翌1967年には、精悍なアップマフラーを装着した250-A1SSが追加されました。

※カタログは個人所有のため、汚れや破損があることをご了承ください

1967年発行のA1シリーズのカタログ

製造:川崎航空機工業(株) 販売:カワサキオートバイ販売(株)

1969年4月、川崎重工業と川崎航空機工業、川崎車輛の3社が合併して川崎重工業が誕生しました。

「2シリンダー」 「2キャブ」 「2ローターリーバルブ」の3つの組み合わせを➤

➤「トリプルツイン」と名付け、優秀性をアピールしています。

そして、1967年にはA1をベースとした350 A7を発売。アメリカでは、AVENGER(アベンジャー)として発売され、大人気を博しました。アメリカでは、さらに大型モデルを求める声が大きくなってきました。

1968年 AVENGER カワサキワールドにて撮影

500-SS マッハⅢの誕生

1969年1月、2サイクル並列3気筒500ccのエンジンを搭載したH1を発表。
輸出向けとして量産体制が整いました。ペットネームは、強烈な加速力から「マッハⅢ」と名付けられました。

1969年は、日本の大型スポーツバイクにとってエポックメーキングな年になりました。

8月、ホンダはドリームCB750 FOURを発売。最高出力67PS、ゼロヨン加速は12.4秒と発表されました。現金正価は軽自動車並みの385,000円です。

1か月遅れの9月にカワサキから500-SS マッハⅢが発売されました。
500ccながら最高出力は60PSを発揮。ゼロヨン加速12.4秒はCB750 FOURと同じです。現金正価は298,000円で、CB750に比べ低価格に設定されました。

カワサキは、”世界最良のモーターサイクル”を目標に掲げてマッハⅢを開発しました。
性能数値だけでなく、求めやすい価格の実現にも成功したのです。

このカタログは、正式発表の前段階で制作されたものと思います。
山形県酒田市の販売店からいただいたものです。

1969年制作のカタログ  車体色は輸出仕様のホワイトです

注釈として、近日発売・価格未定、写真・主要諸元は輸出仕様と記載されています。

価格欄には、スタンプで¥308,000とあります。メーカー発表の現金正価(工場渡し)は298,000円ですから、山形県酒田市の販売店が運送料などを含めた価格に設定したものと思われます。

次のカタログは、正方形という珍しいサイズのもので、国内で正式発表されたあとに制作したものと思います。当時のカワサキのカタログには、制作年月を表す記述がありません。

1969年制作 500-SS MACH Ⅲのカタログ表紙。独特な配置の3本マフラーをメインビジュアルに採用。

3気筒エンジンのメカニズムを中心に、先進技術をアピール。

精悍なブラックのイメージを強く押しだしたアングル。

国内デビュー時の車体色は、ピーコックグレー1色でした。

諸元ページには、ジェット型ヘルメットのライダーを起用しています。1969年代当時は、フルフェイスヘルメットが普及していないことが分かります。

1970年のカタログ表紙  

外観上の違いは、フューエルタンクのニーグリップ部の形状がフラットになりました。

表4は、マッハⅢで北米大陸を横断した大迫氏の写真を紹介した珍しい内容です。

※編集部注:大迫嘉昭氏は1968年、日本人で初めてバイクで世界一周を達成した人物です。スポンサーはおらず、自費での冒険でした。

3気筒スーパースポーツのラインナップが完成

カワサキの2サイクル3気筒のスーパースポーツは、急速に進展しました。

1971年に350SSと750SSを相次いで発売。1972年には、シリーズ最小排気量の250SSを加えて、250から750までのラインナップが完成したのです。

1972年発行のカタログ表紙

カタログ表4

フューエルタンクには、SSシリーズ共通の流れるようなラインが施されました。

シリーズ化に伴い”マッハⅢ”から”マッハ500”に名称が変更されました。

主要装備では、フロントにディスクブレーキを新たに採用しました。

フロントブレーキのディスク化は、1972年から各社が積極的に推進しました。 ライダーのヘルメットは、依然ジェット型です。

500-SSからKH500へ

1970年代の二輪車を取り巻く社会のイメージは、暴走族や不正改造、交通事故の多発などにより、とても低いものでした。メーカー各社は、安全運転の普及活動や二輪車のイメージアップに取り組むと同時に、製品開発においては、最高出力よりもゆとりをもって走行できるような方向性に変えていきました。

また、将来に向けた排出ガス規制への対応で、大型モデルは2サイクルから4サイクルへの転換が求められるようになりました。

このような中、カワサキは1973年に待望の4サイクルDOHC 4気筒の750RSを投入し、ホンダが圧倒的な強さを誇っていたナナハン市場に新しい風を吹き込みました。

同年に発売された500-SSは最高出力を1PSダウンして59PSとし、マイルドな乗り味としました。

そして、1975年に発売されたモデルが500-SSの最終型になりました。
1969年に衝撃的な誕生から6年目のことです。

1975年 SSシリーズのカタログ表紙  ライダーのファッションは、当時流行したライン入りの
つなぎにフルフェイスヘルメットです。

マッハのコピーは見られますが、車名からはマッハが消えて500-SSになったようです。

テールカウルは、1973年発売モデルから継承されています。

カワサキの2サイクル3気筒のSSシリーズは、1976年から「KHシリーズ」の名称で新たにスタートしました。

1976年 KH500

これまでのSS(スーパースポーツ)の絶対条件であった、高出力と軽量な車体の組み合わせは、時代の変化とともに見直しされました。

500-SS マッハⅢが誇った最高出力60PSは、KH500では52PSまで引き下げられました。しかしながら、2サイクル3気筒のエンジンフィーリングを味わいながら、より扱いやすいロードスポーツへと進化したとも言えます。

KH500は、500-SS マッハⅢ発売から10年目にあたる1979年まで国内販売が続けられたようです。

現在も、多くの愛好者に大事にされている幸せなモデルたちです。

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