1957年、ホンダは4ストローク・OHC・2気筒250ccエンジンを搭載した、ドリームC70を発売しました。世界に誇れる高性能エンジンは、本田宗一郎自ら手掛けた神社仏閣デザインと言われた斬新な車体に搭載されました。
このC70の車名は、ホンダ独自の管理番号が初めて採用されました。

Cは、MotorcycleのCを意味し、70は250ccクラス以上の番号です。
モデルチェンジやタイプ追加は、C71、C72と番号が増えていく仕組みです。
ホンダの高性能エンジンの歩みは、このC70から始まったと言っても過言ではないと思います。

【高性能エンジン搭載のベンリイC90の誕生】

そして、翌1958年に発売されたのが、ベンリイ C90です。
125ccクラスは90の番号が与えられました。

エンジンは、C70の半分の排気量の4ストローク・OHC・2気筒125cc。
世界的に見ても、量産車では唯一のエンジン形式でした。

当時の国産125ccのオートバイは、ほとんどが2ストローク単気筒でしたから、業界を驚愕
させるほどのインパクトがあったと想像できます。

ベンリイC90は、実用車のスタイリングですが、最高出力11.5PSを9,500回転で発揮する高性能エンジンを搭載。ボア×ストロークは、44mm×41mmで、1959年にマン島TTレースに初出場したワークスマシン「RC142」と同じ数値でした。

日本では、1955年に初開催された浅間高原(火山)レースによって、より高性能なスポーツモデルへの関心が高まりつつありました。

【幻となったベンリイCB90】

1959年のホンダ社報新年号には、1月から本格的なスポーツモデル「スーパースポーツCB90型」を生産すると報じています。このCB90型は、各種レースに出場するための各種キットパーツも用意されていました。しかしながら、約1か月程度の生産に終わり、正確な生産台数は不明です。一部のレース関係者に渡った程度と言われる、幻の”CB”になりました。

【ベンリイC92とCB92スーパースポーツの誕生】

1952年2月、C90にセルを装備したベンリイC92が誕生。そして、同年5月にベンリイCB92スーパースポーツが発売されました。
このCB92は、CB90型をベースにマフラー形状やフロントブレーキシステムなどを変更した量産型で初めて”CB”のプロダクトブランド名が付けられた製品になりました。

1959年8月、発売後まもなく開催された第2回全日本モーターサイクルクラブマンレースと併催の第3回浅間火山レースに於いて、新進気鋭の北野元選手により、CB92がそれぞれのクラスで優勝を飾りました。

その高性能ぶりは、クラブマンレーサーCB92の知名度を全国レベルに高めました。

【150ccのC95とCB95が誕生】

1959年には、軽二輪クラスのC95とCB95スーパースポーツも発売されました。
125ccのエンジンをボアアップした排気量154ccのモデルです。

車名は、軽二輪のため「ベンリイ」は付きません。そして「ドリーム」も付かないという、まさにベンリイとドリームの中間に位置づけされていました。
しかしながら、アメリカ販売モデルでは、CA95 BENLY TOURING 150の車名が付けられていました。

レースの写真は、1959年の浅間火山レース200ccクラブマンレースでCB95ベースのレースマシンで1位から6位までを独占した中の1台です。(ライダー名は記載されていません)

カタログには、ホンダウルトラオイルの紹介があります。当時の社報によると、1959年1月にホンダ社員向けにエンジンオイル名の募集をしています。
1959年春頃から、ホンダの純正部品として”ホンダウルトラオイル”が登場しました。

【CB72の登場でCBブランドが浸透】

250ccクラスでは、1960年にC70からモデルチェンジしたC72が発売されました。
エンジンはドライサンプ式からウエットサンプ式に変更し、最高出力を2PS高めた20PSとしました。またフレーム剛性を高めるなどの改良を施しました。

そして、1960年に本格的なスポーツモデル「ドリームCB72 スーパースポーツ」が誕生しました。フレームは、これまでのプレスバックボーンから軽快なパイプ構成のバックボーンになり、最高出力は24PSまで引き上げられました。

CBブランドは、このドリームCB72スーパースポーツで確固たる地位を確立したといえます。
CBが誕生してから、65年が経過しましたが、現在でも125ccから1300ccまで豊富なラインナップを揃えています。CBシリーズは、これからも多くのスポーツファン、ツーリングファンの期待に応えるために進化を続けていくと思います。

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