
2024年12月25日、1970年代からスズキを牽引してきた鈴木修相談役が逝去した。名経営者にして偉大なカリスマなき後、スズキはどう進むのだろうか。
クルマがSUZUKIならバイクはYOKOUCHI
スズキの一時代を築いた鈴木修相談役は、軽自動車の父とも言える存在。今では国民の足と言える「軽」を普及させた功績は大きい。同様にスズキの二輪で一時代を築いたのは横内悦夫氏と言える。1980年代にカタナを始めGSX-Rシリーズなど数々の名車を生み出した名エンジニアだった。
横内氏は2021年10月に亡くなっており、二人のカリスマが世を去ったことになる。4輪の鈴木修氏に対し、2輪は横内氏の熱量がそのまま形になったモデルによってイメージが決定づけられたと言える。これは横内氏の開発思想「三ない主義」に基づいたものだというのは有名な話だ。
前例がない、他社のまねをしない、常識的でない、という考え方で1983年のRG250Γ、1984年のGSX-R(400)、1985年のGSX-R750の3部作でヒットを連発した。4輪が鈴木修氏発案によるアルト(1979年)で快進撃を続ける裏で赤字転落した2輪を立て直すことができたのは横内氏の功績となる。
当時なかったレーサー風カウルやアルミフレーム、油冷エンジンなど三ない主義から生まれた独自メカのおかげで不振に陥ったスズキの2輪が面目躍如。そしてこれが現在に至るまでスズキ2輪ブランドの源になっている。バイクにおいてはSUZUKI=YOKOUCHIと言っても過言ではないのだ。
RG250Γ(1983年) [SUZUKI] レーサーさながらのハーフカウルに世界初のアルミ角パイプダブルクレードルフレームを採用。レーサーレプリカというジャンルを生み出した一台。
GSX-R(1984年) [SUZUKI] 400ccクラスにもアルミフレームを採用して軽量化を図る。世界耐久レーサー譲りのデュアルヘッドライトのカウルでレプリカ度を高めた。
GSX-R750(1985年) [SUZUKI] アルミフレームに加えエンジンオイルでシリンダーヘッドとピストンを冷却する油冷方式を採用することでより徹底的な軽量化を実現した。
アルト(1979年) [SUZUKI] 徹底したコストダウンで47万円の価格を実現し大ヒットを飛ばした。エンジンは当初2スト3気筒550ccを搭載し1981年には4スト3気筒550ccを追加。
スズキの一番尖った部分がそろそろ欲しいところ
1996年の横内氏の退職後もスズキブランドは、2000年代のGSX-Rシリーズが600/750/1000の現代版3部作で躍進。加えてGSX-R1100の生まれ変わりとも言えるレーサーレプリカ的装備のGSX1300Rハヤブサが最高速のギネスブック世界記録を樹立するなど快進撃が続いた。
2010年代はVストロームシリーズが支えとなり、2019年には新型KATANAが復活。両シリーズは国内で毎年開催されるミーティングが盛況だ。直近では並列2気筒のGSX-8SとGSX-8Rがヒットしており、2024年にGSX-S/GSX-Rミーティングが初開催されたのは記憶に新しい。
このように足場が固まったところで次なる一手はGSX-R1000Rの復活だろう。某社が撤退したと言われるカテゴリーではあるが、2024年には世界耐久選手権でタイトルを獲得するなど実力はまだ一線級。2021年のHAYABUSA復活の時のようにモデルチェンジして欲しいところだ。
GSX-R1000Rは性能だけでなくコスパに優れることでも支持されていた。これは三ないのYOKOUCHIとアルトのSUZUKIが融合した姿とも言える。二人のカリスマの血筋こそスズキブランドの方向性であり、このDNAを受け継いだ頂点モデルである新型GSX-R1000Rに期待したい。
GSX-R1000R [SUZUKI] スズキは2024年の鈴鹿8耐にカーボンニュートラル仕様でエクスペリメンタルクラスに参戦。スーパースポーツやレースへの灯火は今も燃え続けている。
スズキは2022年限りでモトGP及びEWC世界耐久レースへのワークス参戦を終了している。レース再開への第一歩としてもGSX-R1000Rの復活が望まれる。
スズキはEVバイクも準備中で、2025年3月末までに欧州で最初のモデルを発売するとしている。日本では鈴木修氏命名の「eチョイノリ」復活も迫っていると思われる。
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