
2024年の鈴鹿8耐で1964年の鈴鹿18時間耐久レースに参戦したCB72がデモ走行した。8耐の前身にあたるレースで活躍したこのマシンに乗ったのは吉村不二雄氏で、60年ぶりに雄姿を披露。そのディテールを観察したい。
アメリカの博物館から里帰りを果たしたCB72レーサー
日本のモータースポーツは1962年に鈴鹿サーキットが開業したことで本格的に発展したと言われている。当時世界グランプリに参戦していたホンダは、スポーツバイクの「CB」をリリースした時期で、九州を拠点としていたPOP吉村こと吉村秀雄氏はCB72/77のチューンで名を馳せていた。
1964年には鈴鹿18時間耐久レースが開催され、吉村秀雄氏は九州から参戦。率いた2チームのうち福岡ホンダチームのCB77が見事優勝した。その60年後に再び鈴鹿に降り立ったのはヨシムラチームのCB72で、こちらはリタイヤしたものの隅々までPOP吉村チューンが施されている。
このCB72レーサーは米兵が購入してアメリカに渡り、現在までアラバマ州のバーバービンテージミュージアムに展示されていたもの。2024年のヨシムラ70周年にあたり、当時を伝えるために一時帰国を果たした。これをヨシムラが整備し、吉村不二雄氏によるデモ走行が実現したのだ。
チューニングの詳細は不明ながら、ヨシムラCB72レーサーは日本のモータースポーツ黎明期の雰囲気が満点。ホンダ2番目のスーパースポーツ「CB」をゴッドハンドと呼ばれた吉村秀雄氏がどのようにチューンしたのか、その生々しい痕跡が残された貴重な歴史遺産だ。
CB72レーサー [YOSHIMURA] 九州雁ノ巣のレースで活躍したヨシムラが鈴鹿18時間に用意したマシン。午後8時~翌日午後2時のレースに対応するためか、灯火機がついている。
CB72(1960年) [HONDA] こちらがベースのCB72。CB92(125cc)に続いて発売されたスーパースポーツ「CB」2号機。250ccの排気量で24PSを発揮した。
ポイントカバーが外されているのが生々しいエンジン。エキゾーストパイプは溶接された跡があり、吸排気ともチューンされているのが分かる。ステップ位置は大幅にバックしている。
エアボックスはなくブローバイは大気開放されていると思われる。キャブレターはアマル製で無骨なファンネルは手作りだろう。ステップがバックした分シフトペダルは延長されているようだ。
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