1960年、ホンダ、ヤマハ、スズキの3メーカーが国内市場を席巻し、2輪車の生産台数は世界一に達した。一方、当時カワサキはわずか年間5400台の弱小メーカーにすぎなかった。これがZ1でいかにして世界最速の座に上り詰めたのだろうか。
マッハ3の次は4ストロークでも世界一になる計画だった
川崎航空機工業単車事業部による1967年9月10日付けの書類「N100設計計画」が、今に至るカワサキブランドを決定づけたと言っても過言ではない。そこには「世界最高の性能を狙う。性能第一主義を採り、性能を犠牲にしてまでコストダウンは考えない」と明記されていた。
開発コードN100とはH1・マッハ3のことである。1969年に発売され、日本のバイク史において外すことができない名車として知られており、搭載した2スト3気筒エンジンのパワーは強烈。0-400m加速12.4秒、最高速190km/hの性能は間違いなく世界一のレベルだった。
しかし、マッハ3にホンダCB750フォアが立ちはだかった。4ストローク並列4気筒エンジンを搭載し、200km/hに達する怪物マシンがほぼ同時に発売。マッハを開発する一方、大型4スト直4エンジンの開発に着手していたカワサキに、先手を打つ形でデビューしてしまったのだ。
これを受けて単車事業部は新たな方針を定めている。1969年11月23日付けの書類「T-103の開発について」には、「単車事業をさらに発展させ、世界に雄飛せんとすれば、今や勇を持ってホンダと真っ向から技術的にも戦い勝つことが必要である」と記されていた。
言うまでもなくT-103とは、後にZと呼ばれるマシンである。
ホンダを完全に打ち負かすにはさらに完璧を期すべし
並列4気筒エンジンの量産車第1号は1969年のCB750フォア。CBの高性能は世界中を驚かせたが、誰よりも驚いたのはカワサキの技術陣だった。というのも、当時カワサキもDOHCの並列4気筒エンジンを開発していたからだ。開発コードはN600で、CBと同じ750ccだった。
しかし「ホンダを完全に打ち負かすにはさらに完璧を期すべし」と、N600からT-103へ計画を修正し、1000ccへの展開も考慮して903ccの排気量が与えられたのだ。スペックはCBの67PSを大幅に上回る83PSを獲得。谷田部の高速周回路では平均220km/h台をマークした。
さらにZ1はデザインにも新たな潮流を生み出した。テールカウルを備えた美しいスタイルはその後のトレンドとなり、今日のネイキッドスタイルのルーツになっている。初代のカラーリング「火の玉」は現在でも人気で、黒塗装されたエンジンもユニークだった。
一方、国内ではZ2が1973年3月に発売。国内では排気量上限が750ccに自主規制されたため、Z1のスケールダウン版となる746cc・69PSでデビューした。最高速は190km/h以上、0-400m加速12.5秒はCBと互角以上。国内市場はナナハンブームだったこともあり大ヒットを記録した。
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