レースは走る実験室と言われるがそれを地で行くマシンを紹介したい。2台のラリーマシンが常識を覆すアプローチで活躍したが、その後継続することなく消えていったのだ。

前後2輪駆動のWR450F 2-Tracは2004年に販売された

ヤマハは1985年からオーリンズと共同で2輪駆動のバイクの開発をスタートさせ、1999年にTT600Rの2輪駆動改でレースに参戦。2001年にはヤマハフランス社長のジャン・クロード・オリビエ氏がWR426F 2-Tracでシャムロックラリーに参戦し5位入賞を果たし、2002年にはダビデ・フレティーネ選手が同レースで優勝を果たした。

それまでもメカドライブの2輪駆動バイクは存在していたが、ヤマハとオーリンズが共同開発した2-Tracは油圧式を採用したのが新しいところ。これによりフリクションロスやハンドリングへの影響を抑えることに成功し、シンプルな構成で車重への影響も少ないとされる。

フロントホイールのハブに設置された油圧モーターの動力源は、ドライブスプロケットでチェーン駆動されるオイルポンプからの圧力を利用している。通常の状態では前輪は空転しているが、後輪のスリップ率が高まると駆動する仕組みになっている。

そして、満を持して2004年1月1日からのダカールラリーに参戦したWR450F 2-Tracは450ccクラスで優勝。3つのステージで660ccや950ccの大排気量車を抑えてトップでゴールし、二輪総合7位という好成績を残した。2WDの砂地での優位性が実証されたのだ。

20年に渡る開発期間を経て、2004年には250台のWR450F 2-Tracがベルガルダヤマハで生産されたと伝えられる。

WR450F 2-Trac(2004年) [YAMAHA] ダカールラリーに参戦した2-Trac。エンデューロレーサーのWRをベースに2輪駆動化し風防やビッグタンクなどでラリーに対応している。

2004年のダカールラリーでクラス優勝を果たしたダビデ・フレティーネ選手。左側から見るとWR450F 2-Tracは一般的なリア駆動のバイクと見分けがつかない。

2輪駆動のバイクはそれまでも存在していた。従来のフロントをチェーンドライブするメカニズムに対してヤマハの2-Tracは軽量でメカロスロスやハンドリングへの影響が抑えられる。

こちらが1999年にUAEデザートチャレンジに参戦したTT600Rベースの2-Tracでフロントハブに油圧モーターがセットされているのが分かる。

TT600R 2-Tracの例。油圧ポンプはドライブスプロケットの外側にスプロケットを追加してチェーン駆動している。WR450F 2-Tracでも基本は同じだ。

2-Tracはこのようにリアタイヤが空転した時にフロントを駆動させるようになっている。

WR450F 2-Trac(2004年) [YAMAHA] ダカールラリーでクラス優勝した年にリリースされた2-Trac。競技専用車だったが、ロードリーガルキットの装着で公道も走行できた。

EXP-2は400ccの2ストロークで挑戦しクラス優勝&総合5位

ヤマハが2-Tracでダカールラリーに参戦する約10年前、ホンダは燃費と耐久性の面でラリーには不向きとされる2ストロークエンジンのEXP-2で参戦した。1995年時点でも2ストは燃費やエミッションが課題とされており、AR(自己着火)燃焼のエンジンで参戦し、その将来性を占ったのだ。

AR燃焼は、多量の残留ガスで正常な火炎伝播が得られない低開度時にも自己着火で完全燃焼し燃費が向上するというもの。特にラリーでは、トラクションが得にくいサンド走行で低開度を多用する時間が長く、テストでは走行の75%でAR燃焼が活用されていたという。

結果、1986年からパリ・ダカールラリーを4連覇したNXR750と比較して大幅な燃費向上を達成。500cc以下及び実験車クラスで優勝、2輪総合で5位という好成績を収めている。もちろん車体をNXR750より40kg軽量に仕上げられたのはコンパクトな2ストロークエンジンの恩恵と言える。

AR燃焼は、排気バルブを使用し最適な着火時期を得られるようにしたもので、1997年登場のCRM250ARにも採用された。CRM250ARは、従来型から32%の燃費向上と排気ガス中のHC(炭化水素)の50%削減を達成したが、平成11年排ガス規制の影響からわずか2代(1998年型)で終了してしまった。

EXP-2(1995年) [HONDA] 2ストロークでの完走実績がほどんとなかったパリダカに環境対応エンジンで参戦し、4ストの2倍の仕事をする2ストの可能性を追求した。2台が参戦し1台が完走した。

単気筒ケースリードバルブ403ccの2ストロークエンジンはFIで制御されている。デトネーションを検知し燃料調整や点火時期補正を行う機構や4分割の燃料タンクなどを採用していた。

NXR750(1989年) [HONDA] パリダカ4連覇を果たした4ストロークV型2気筒779ccエンジンを搭載したNXR。車重はEXP-2の40kg増の190kg。出力は75PSで約20PS増しだ。

CRM250AR(1997年) [HONDA] EXP-2で培ったAR燃焼技術を導入したホンダ最後の2スト250ccオフロード。自己着火タイミングの制御は排気ポートに設置されたARCバルブで行う。

【番外編】4気筒のFZ750テネレはスーパーテネレ開発のきっかけになった

パリ・ダカールラリーの歴史はヤマハXT500の優勝から始まり、これをベースに1983年にはXT600テネレが発売されたのは有名な話。しかしこの頃から2気筒エンジンを搭載したBMWのR80G/Sの攻勢が強まり、ダカールラリーはより高速化した戦いになっていた。

そこで、1986年に2気筒マシンを超えるパワーを求めFZ750の並列4気筒DOHC5バルブエンジンを搭載したFZ750テネレ(0U26)が開発された。94PSのパワーは圧倒的だったが、砂地ではトラクションが不足し、約200kgという重量も足かせとなった。

この経験から、1989年に並列2気筒エンジンを搭載したXTZ750スーパーテネレが登場し、1991年にはファクトリーマシンのYZE750Tスーパーテネレがヤマハに10年ぶりの栄冠をもたらした。以降1998年までの8年間でヤマハは7勝を挙げる活躍を見せている。

FZ750テネレ(1986年) [YAMAHA] ライダーのジャン・クロード・オリビエ氏が自ら試作車を製作してヤマハ本社を説得したことで開発がスタートしたという執念の走る実験室。12位で完走した。

この記事にいいねする


コメントを残す