
バイクで旧車が大きく注目されたのは、漫画「特攻の拓」がきっかけと言われており、この連載で描かれたモデルは現在でも高い人気となっている。今回はヤンチャ系バイクの教科書と言える「特攻の拓」に登場したモデルを紹介するForR企画の番外編最終回で、大型車を特集。
https://news.webike.net/motorcycle/286044/
CB750フォアで日本のバイクが世界の頂点に立った
1960年代に世界グランプリを制したホンダが、市販車で世界に挑んだ野心作が1969年のCB750フォア。量産車世界初の並列4気筒エンジンは世界グランプリで培った技術をフィードバックしたものだった。海外版カタログの「World’s Fastest. Most Powerful. Quickest Acceleration.」というキャッチコピーにあるように、最高速200km/h、ゼロヨン加速12秒6の性能でCB750フォアが世界一を獲得したのは明らかだった。
200km/hに達する最高速と200kgを超える車重に対応するために世界で初めて、フロントに油圧式のディスクブレーキを採用。エンジンは各シリンダーごとにキャブレターを装備する4連キャブと4本マフラーで給排気の効率を高めている。高剛性のダブルクレードルフレームは優れた走行安定性を実現してハイウェイ時代の幕開けに対応。東名高速道路の全面開通と同時にCB750フォアはデビューした。
「特攻の拓」劇中では、音速の四天王の一人、那森須王がCB750K2で登場。かつては「獏羅天」のメンバーだったが六代目「爆音小僧」に移籍し、海外生活を経て帰国後に浅川拓と出会った。カラーリングや外装は初代K0にあった金×黒仕様にされ、キャストホイールや社外製リアサスペンションなどで足まわりがカスタムされている。

CB750フォアK0。ケーゼロと呼ばれる初代は世界にナナハン旋風を巻き起こした特別な存在。足着きに不利な角張ったサイドカバーはK0のみで、初期生産分は砂型のクランクケースを備える。
カワサキの500SSマッハIIIがホンダCB750フォアと同時に世界最速に
型式名H1、製品名500SSマッハIIIは1969年デビューのカワサキが世界最速に挑んだモデルだ。バイクでは世界初となる2ストローク並列3気筒エンジンを搭載し、発表された最高速は200km/h(124mph)でゼロヨン加速は12秒4。文句なく世界一と言えるパフォーマンスだった。ちなみに1969年は、ホンダがCB750フォアを発売し世界最速を宣言した年でもあった。
1969年春にアメリカへ向けて輸出されたマッハIIIは、最高出力60PSに乾燥重量174kgの軽量で群を抜いた性能を発揮。瞬く間に高評価を獲得した。エンジンのクランクシャフトは圧入式による組立構造で軸受け部はベアリング支持。車体はノートンマンクスのフェザーベッドフレームを模範としたダブルクレードルフレームを採用し、後のZ1に繋がる基礎を生み出したのもマッハIIIの功績と言えるだろう。
劇中では初代「極悪蝶」の来栖奈緒巳と聖蘭高校保険医である鰐淵清美の愛車として500SSマッハIIIが登場した。それぞれエグリタンクの初代に乗るが、キヨミの愛車は1970年に追加された赤だったことから"赤マッパの清美"と呼ばれた。また、来栖の愛車はカナリアイエローのカラーリングになっておりオリジナルに塗装されたもの。ちなみに来栖は愛車にペンゾイルのオイルを入れている。

写真は1969年秋に国内で発売された500SSマッハIII。マッハと言えば白だが国内ではこのピーコックグレーがメイン。点火方式はCDI式バッテリー点火を量産車で初めて採用。
打倒CBの本命、カワサキ4ストZがデビュー
カワサキは500SSマッハIIIを準備する裏で、後にZ1となる4ストロークの4気筒モデルを開発していた。これはN600という開発コードで知られており、排気量は750ccクラスだった。このプロジェクトは1968年の東京モーターショーでホンダがCB750フォアを出品したことから大幅な見直しを実施。開発コードをT-103に変更するとともに排気量を900ccクラスに拡大、打倒ホンダで世界一を目指すことになった。
900スーパーフォー(型式Z1)がデビューする1972年秋まで、マッハは中継ぎ役となった訳だが勝利に貢献。82PSを発揮する量産車初のDOHC4気筒エンジンを搭載するZ1は、世界中で爆発的ヒットを記録しレースでも大活躍したのだ。これの排気量自主規制による国内版が1973年に発売された750RS(型式Z2)でZ1のエンジンをスケールダウンして搭載。国内においてもCB750フォアを上回る人気を獲得した。
劇中では元「獏羅天」沢渡ヒロシの愛車として登場したのがZ750フォア。単行本8巻の"お単車自慢コンテスト!!"ではZ750F DIIとされており、1977年型のD1に対して1978年型のD2を意味していると思われる。実際には、1978年型もD1のまま同じカラーリングで継続販売されており、型式でD2を名乗るのは後継の1979年Z750FXとなる。劇中ではZII(ゼッツー)と呼ばれており、FX以前のZ系750モデルは製品名が変更されても広い意味でみんなZ2だった。

写真は1977年型のZ750フォア。750RSの後継機で電装やブレーキを強化した仕様となる。サイドカバーなど外観も異なるが、ナナハンのみ初代から黒塗装エンジンと4本マフラーを踏襲。
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