
ギアが入っていてもエンジン回転が低ければ前進しない遠心クラッチは、ホンダスーパーカブに代表されるビジネスバイクではおなじみの変速方式です。これはクラッチレバーを握って変速するハンドクラッチとスクーターのようにギアチェンジ不要の無段変速の中間のような存在です。その仕組みとメンテナンスのポイントを紹介しましょう。
エンジン回転数に従ってウェイトが移動して断続する
ヘルメット着用も義務づけられておらず、スカート姿でバイクに乗るのも珍しくなかった1970年代初頭に、バイクのようにシートを跨ぎ越さずに乗車できるフレーム形状や足元の汚れを防ぐレッグシールド、スロットル操作だけで運転できる2速オートマチックなど、女性ユーザーを多分に意識して発売されたヤマハチャピィ。その後レジャーユースに対応するためハンドクラッチ仕様と遠心クラッチ仕様が追加された。
クラッチレバーを握ってシフトペダルを操作するハンドクラッチ車は、信号待ちでなどで停車する際にはクラッチレバーを握るかギアをニュートラルにします。これに対してスクーターの自動変速はニュートラルもギアの段数もなく、シフトチェンジすることなくアイドリングから最高速まで走行できます。それらに対して変速時にクラッチレバーを握る必要がなく、なおかつギアチェンジはライダーが行うのが遠心クラッチです。
現在ではビジネス用のバイクでもスクータータイプが多くなっていますが、1980年代前半にVベルトを用いたスクーターが一般的になる以前はホンダスーパーカブを代表とするビジネス、実用系のモデルの変速機構としてポピュラーな存在でした。
遠心クラッチの最大のメリットは、クラッチレバー操作不要で走行が可能なことです。スクーターの無段変速が普及した現在では当たり前だと思うかもしれませんが、ホンダスーパーカブが登場した1950年代末頃の変速機構はハンドクラッチによるマニュアルミッションしかなく、それだけに遠心クラッチの登場はまさにエポックメイキングだったようです。
クラッチレバーを握ってギアをローに入れて隣の家でニュートラルにしてポストに投函して、またクラッチレバーを握ってギアをローに入れて……と繰り返す新聞や郵便配達などでは、ローギアに入れっぱなしで停止してもエンストしない遠心クラッチは画期的で魅力的だったはずです。繰り返しになりますが、遠心クラッチのスーパーカブが登場したのは無段変速のスクーターが登場する20年以上前のことです。
遠心クラッチを断続するのは、文字通りエンジンの回転数に比例してクラッチに加わる遠心力です。エンジンの回転数が上昇するとクラッチがつながり、低下すると切れるという単純な原理で、遠心力を用いるという点はスクーターのドライブプーリーと同様です。ただ遠心クラッチには単なる動力の断続だけでなく、始動時にはキックペダルの踏力をクランクシャフトに伝えたり、変速時に駆動力を切る半クラッチ機構など、複数の機能が盛り込まれています。
またスクーターの場合、前後プーリーとVベルトの組み合わせにより変速ユニット自体に一定の前後長が必要ですが、遠心クラッチはハンドクラッチとほぼ同等のスペースで完結するという特長もあります。そのため、スーパーカブが登場してからVベルトタイプのスクーターが一般化するまでの1970年代には、ビジネスバイクや女性ユーザーが愛用したファミリーバイクの駆動方式として多くの機種に採用されたのです。
- ポイント1・プーリー&Vベルトのスクーター登場以前、遠心クラッチはビジネス&ファミリーバイクに最適な変速メカニズムだった
- ポイント2・エンジンの回転数でクラッチが断続するため、アイドリング状態ならギアが入っていてもエンストしない
クラッチプレートとフリクションディスクの組み合わせはハンドクラッチと同じ
50/80ccのファミリーバイクとは思えないほど巨大なクラッチバスケットが特徴的な遠心クラッチ。ホンダスーパーカブはクランクシャフトにクラッチが付く一次クラッチで、チャピィはクラッチがメインアクスルに付く二次クラッチ仕様。
80ccの遠心クラッチはフリクションディスク6枚とクラッチプレート5枚の組み合わせで、それぞれハンドクラッチ仕様よりも枚数が多い。クラッチバスケットの底部に14個のスチールボールが並んでおり、これが遠心力によって外側に移動してディスクとプレートを密着させる。
ボールが収まる溝は外側から内側に傾斜があり、ボールがここを上ることでクラッチがつながる。遠心クラッチの初期モデルは、現在のスクーターのプーリーに内蔵されているのと同形状の円筒形のウェイトローラーだった。スーパーカブのウェイトも1980年代以前は円筒形だった。
乗り降りのしやすいデザインや小径タイヤなど女性ユーザーを意識したヤマハチャピィは、1973年に登場したファミリー・レジャーバイクでした。当初は2段変速のオートマチックでデビューし、その後男性ユーザーやレジャーユースに適したハンドクラッチの4速モデルが追加され、さらに遠心クラッチの3速モデルが登場しました。
チャピィの遠心クラッチはスーパーカブと違ってクランクシャフトに付く一次クラッチでは無く、ハンドクラッチ車では一般的なメインアクスルに付く2次クラッチを採用していました。クラッチの断続は、遠心初期モデルでは現在のスクーターと同様の円筒型のローラーウェイトを使用し、中期以降は球状のボールウェイトを使用しています。このようにホンダの遠心クラッチとは形状的な違いはあるものの、エンジンが発生する遠心力を利用する原理は同じです。
ハンドクラッチの場合、クラッチはレバーを握ると切れて、レバーを放した状態ではつながっています。だからギアが入った状態でクラッチレバーを握らず停止するとエンストするわけです。これに対して遠心クラッチは、エンジンが掛かっていない停車状態からアイドリングまではクラッチが切れていて、エンジン回転数が一定以上になった段階でつながります。ハンドクラッチも遠心クラッチも、どちらもスチール製のクラッチプレートと摩擦材のフリクションディスクを複数枚組み合わせた湿式多板クラッチですが、バイクが停止している状態でクラッチがつながっているか切れているか、まったく逆の状態になっているのが興味深いポイントです。
切れているクラッチをつなぐのが、エンジン回転の上昇に伴ってクラッチアウターに大きく働くようになる遠心力です。スクーターのドライブプーリーと同じく、ウェイトボールがクラッチアウターの外側に移動することでクラッチプレートとフリクションディスクが圧着されて動力が伝達されます。
- ポイント・駆動力の断続はクラッチプレートとフリクションディスク、ウェイトローラーを併用して行う
ディスクの摩耗やウェイト不良がクラッチの故障につながる
ハンドクラッチのクラッチスプリングは、クラッチプレートとフリクションディスクを押しつける方向で使われているが、遠心クラッチの場合はエンジン低回転時に不用意につながらないよう、プレートとディスクが離れるように組み込まれている。
ビッグバイクのようなトルクはないのでクラッチアウターやクラッチボスに段付き摩耗は発生していないが、急発進や急減速を繰り返したり配達業務などで日常的に重い荷物を積んで走行しているとクラッチプレートとフリクションディスクに叩かれて摩耗することもある。その場合クラッチの切れが悪くなり、ギアが入りづらくなることがある。
クラッチバスケットとプライマリードリブンギアの結合部に組み込まれたダンパーは、加減速時の衝撃を吸収するために重要。両者はかしめ固定で分解できないが、メンテナンスを行う際は過大なガタがないかを確認しておく。
ウェイトの拡張によってプレートとディスクが圧着される遠心クラッチは、変速時のショックを緩和するためにシフトペダルを踏むことで強制的に半クラッチ状態を作ることができます(ホンダ車の場合)。しかしペダルから足を放した通常の走行中には、ウェイトによって圧着されるためクラッチの滑りは起こりづらいと言えるでしょう。
しかしエンジンをチューニングによってトルクアップしたような場合には、クラッチの容量不足によって滑りが発生する可能性もあります。もちろん、通常の使い方であっても断続を繰り返すことでフリクションディスクが摩耗したり、クラッチ接続時にディスクの密着を助けるクラッチスプリングがへたることもあるかもしれません。プライマリードリブンギアが一体化されているチャピィのクラッチアウターの場合、ギアとの間に組み込まれたダンパーが経年劣化や摩耗によって痩せてしまい、クラッチ断続時にショックが出るようになることもあります。
長期間不動状態だった車両を再生する際にはクラッチプレートのサビにも注意が必要です。ハンドクラッチの場合、クラッチプレートとフリクションディスクが密着した状態で錆が発生すると両者が固着してクラッチが貼り付いた状態になります。するとクラッチレバーを握ってもクラッチが切れず、ギアをローに入れた途端にクラッチミート状態になってエンストしてしまいます。
対して遠心クラッチは停止時にプレートとディスクが離れているので、ギアを入れていきなり走り出すことは少ないはずです。しかしながら長期放置中にプレートが錆びると、クラッチがつながる際にフリクションディスクとの間に余計な摩擦が生じてギアオイルの汚れが進むこともあり得ます。チャピィは2ストロークなのでギアオイルはクラッチやミッションだけを潤滑するだけですが、4スト車はクランクシャフトやピストンやシリンダーヘッド周りの潤滑も同時に行うので、オイル汚れにはデリケートに接する必要があります。
そうした不調が感じられるようになったら、遠心クラッチユニットを分解して各部の摩耗チェックや洗浄を行いましょう。小排気量車の遠心クラッチなどメンテナンスフリーで大丈夫じゃないかと思っているオーナーもいるかもしれませんが、ハンドクラッチやスクーターのウェイトローラーでも走行距離を重ねれば手入れが必要であるのと同様に、気軽に乗れる遠心クラッチ車にも適切なメンテナンスが必要なことを知っておきましょう。
- ポイント・ハンドクラッチやスクーターのプーリーと同様に、遠心クラッチにも適切なメンテナンスが必要
この記事にいいねする