バイクで行ける地球上のあらゆる国や地域に足を踏み入れたバイク旅の達人・賀曽利 隆さん(以下、賀曽利さん)は、76歳(取材時)の現在も現役のライダーとして、日本国内だけでなく世界中を走っています。まさに「生涯バイク乗り、生涯旅人」を体現している生粋のツーリングライダーです。

「ライフスタイルを実現させるギア」としての役割が拡大する二輪車。旅の相棒として50年以上乗り続けている「元祖旅ライダー」としてツーリングの醍醐味とは何なのか。バイクで世界各地を旅した賀曽利さんだからこそわかるその魅力を語っていただきました。

バイクでの旅人生をどこまでも。旅の達人・賀曽利 隆(前編)

バイクと出会うまで、出会ってからの歩み

バイクでの旅人生をどこまでも。旅の達人・賀曽利 隆(前編)

人生のほとんどをバイクとともに歩んでこられた賀曽利さんですが、その最初の出会いは10歳のときに親戚の叔父さんに乗せられて東京都内を巡ったタンデムだったといいます。バイク特有のスピード感と、見たことのない景色が次々と目に飛び込んでくるさまに、「人生が変わったよう」と一瞬でバイクの虜となってしまいました。当時は14歳になると原付免許が取得できたのですが、ちょうど法律の改正時と重なって、免許取得は16歳となり、14歳を迎える直前だった賀曽利さんはさらに2年待たねばなりませんでした。

「その2年は気が遠くなるくらい長かったですね。とにかくバイクで走りたい! ただそれだけでしたから」

バイクに出会うまではサッカー少年だったという賀曽利さん。興味のあるものを見つけるとまっしぐらに突き進む性格もあり、何度も家族を困らせたと笑います。そんな賀曽利さんを旅人にしてしまうキッカケが訪れたのは、17歳の夏でした。

「友だちと4人で、千葉の外房までキャンプに出かけたんですよ。そのときはバイクじゃなくて電車でね。その車窓から眺めた田園風景が本当に美しかった。思わず『広いな~!』と叫んでしまいました。

すると同行した友人が、『アフリカはこんなもんじゃないぞ!』なんて言い出して、その日のキャンプで『みんなでアフリカに行こう!』と決めちゃったんですよ。不思議ですよね。それまで誰もアフリカの話なんてしたことなかったのに。」

まだ国内もそれほど走ったことがないのに、夢は大きくバイクでのアフリカ縦断。大学入学後、最初の2年は100万円貯金を目指してアルバイトを、そして残りの2年は休学してアフリカに渡るという計画を立てました。

使うバイクはメンテナンス性を考慮して、シンプルな2サイクル車を選びました。そして「20歳になったら出発」と心に誓います。

「とにかく、この狭い日本から出てやろうと思いましたね。ただの勢いですよ、若いから。もちろん周囲の大反対にあいました。最初は4人で計画したんですが、最終的に2人になりました。キャンプでアフリカの話を持ち出した前野君です」

まだ見ぬ世界を、バイクに乗って見に行きたい。その後貫き通すことになる“賀曽利イズム”の原点は、実に分かりやすいものだったのですね。

バイクで旅した世界の話

1960年代の日本メーカーのバイクはその性能を急激に向上させていましたが、耐久性は未知数でした。アフリカ縦断に持ち込んだスズキ TC250は、大ヒットしたT250のスクランブラータイプで新型車種です。偶然友人の親戚が営んでいたバイクショップで、破格の値段で購入できたそうです。

賀曽利さんらのアフリカ行きの話は、当時のスズキ本社にも届いていました。賀曽利さんらは本社工場に招かれ、バイクの解体方法から組み立て、修理方法までの講習を受けたそうです。そのうえ、消耗品となるパーツ類を大量に提供されました。

「メーカーから直接教わるなんて今ではあまりないですよね。有難かった。ただそのパーツを全部車載して旅に出たものだから、重くて旅の最中にフレームが折れてしまいましてね(笑)。パンクも頻繁に起こすから、溶接とパンク修理は誰よりも上手くなりましたよ」

どんなトラブルも笑って語る賀曽利さんですが、ご自身でも「強運の持ち主とよく言われる」というほど修羅場を乗り越えてきました。常にポジティブであることが旅人の本質だと思いますが、その性格は、どれほど時を刻んでも変わらないように思いました。

「1年かけてアフリカを南から北へと縦断したあと、『ごめん!俺やっぱり戻る』とそれまでともに旅をしていた相棒の前野くんと別れました。彼は計画通りアジアルートを走ってインドから帰国したのだけれど、僕はまだアフリカが走り足らなかったわけですよ。それでまた南下したのだけれども、お金も尽きてもう帰らなくちゃならなくなった。でもまだ走っていない、走りたいエリアがいっぱいありましてね。よし、また来るぞって思いました」

旅の前に聞かされていた怖い思いはほとんど経験しなかった。それどころか、現地の人々はみなフレンドリーで助けてくれることばかり。実際に旅をしてみないと分からない状況に直面して、今後も旅を続けることができるという確信を得たと笑顔で話してくださいました。

旅のスケールは世界規模に

無事アフリカを縦断した賀曽利さんですが、アフリカ北部に広がる巨大なサハラ砂漠を走破していないことが心残りでした。「サハラ砂漠を走っていない。サハラ砂漠を走りたい」。アフリカから帰ってずっと持ち続けたこの想いは、1971年に実現することとなります。しかも、サハラ砂漠だけではなく「世界一周」という大きな目標へとスケールアップしたのです。

使用したバイクは、本格的なオフロードモデルとして大人気となったスズキ TS250、通称ハスラー250でした。信頼性は格段に向上したモデルです。それを駆って東アジアルートから中近東を西へと向かい、そして異教徒が絶対入れないとされるイスラム教最大の聖地メッカ(サウジアラビア)の巡礼まで果たしたのです。メッカに向かう道中での検問も、なぜか通れてしまいました。

「僕はきっと日本人に見えなかったんじゃないかな。(日に焼けて)真っ黒だったし(笑)。まさか日本人がバイクで来るとは誰も思っていないから、通してもらえちゃいました。さすがに写真撮影できなかったけど、貴重な体験でしたね」

そんな経験を経て、再びアフリカに入った賀曽利さん。サハラ砂漠の横断は、バイクの航続距離を考えると無給油で走り切ることは不可能です。そこで、地元のトラックドライバーに何度も頼みこんで60リットルのガソリンを荷台に積ませてもらい、トラックのサポートを受けながら走り切ることができました。

その後、ヨーロッパに渡った賀曽利さんはイギリスでアルバイトをして旅の資金を稼ぎ、そこから船でカナダへ渡って北米大陸を横断します。米ロサンゼルスでは「バイクで世界を旅する日本人」として街の人に大歓迎されたそうです。ただ、まだアラスカに渡っていないのが心残り。それを聞いた当時のスズキ米国法人の社長は、自身のテンガロンハットを脱ぐと賀曽利さん歓迎パーティーの会場で寄付金を集め、それを旅費にと手渡してくれました。そのおかげでアラスカをまわることができたそうです。

さらに、アラスカからロサンゼルスに戻った賀曽利さんを待っていたのは、新型のスズキ GT380と、アメリカ国内で自由に使えるガソリンカードでした。それによってアメリカ本土の全49州を走破したそうです。

「最後はハワイに寄ってから日本に帰国したのですが、ハワイだけバイクで走っていないので、50州走破とはいきませんでした。それだけが心残りなんですよね」

その後もバイクやヒッチハイクで6大陸のすべてを走破し、地球の地図にあるすべてのルートを塗りつぶしていくという徹底的なスタイルは、もちろん現在も継続中なのです。

そんなワールドワイドな旅人である賀曽利さんは、もうひとつのライフワークとして、日本の峠越えと温泉めぐりというローカルなツーリングも継続中です。

「20代はずっと海外でした。ある日、ハタと立ち止まったんですよ。『自分は東京すらロクに知らないじゃないか』と急に虚しくなってしまって。僕は日本一周を初めて実施したのが30歳と、意外と遅いんです。『よし、今度は日本を回ってやるぞ!』と、とにかく一般道をつぶさに走って国内をじっくり眺めようと思って、スズキ ハスラー50で走りました」

「テーマを決めて旅をするのがスタイル」だと賀曽利さんは語ります。この日本一周企画も30~70代と人生の節目ごとにすでに5回実施していて、相棒のマシンも大型バイクからスクーターまでさまざまという楽しみ方をされています。

【動画】「生涯旅人」賀曽利 隆さんインタビュー(前編)

■カソリング -賀曽利 隆 オフィシャルサイト- https://kasoring.com/ 【画像】バイクでの旅人生をどこまでも。旅の達人・賀曽利 隆(前編) (6枚)

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