「上手く走るには考えることが必要だが、走るときは考えない」

バイクとは、人間の本能に働きかけてくれる乗り物であり、本能を忠実に引き出すことによってうまく走らせることができます。それゆえ感動も生まれてきます。前回のコラムでそのことを感じ取ってもらえましたでしょうか。

では、ライダーはどうすべきなのでしょうか。ここでは人の頭の中を覗いてみる必要があります。

人の脳は3層構造になっており、一番奥に脳幹、その周りに辺縁系があって、外側に新皮質があります。魚類や爬虫類だと生命を司る脳幹が占めていますが、脊髄動物が高等生物に進化するに伴い、上側に機能が発展。鳥類や哺乳類になって辺縁系が発達、さらに霊長類になると新皮質が現れ、人類には新皮質の前側に知的活動を可能にする前頭葉が発達してきたのです。

スポーツでは、インナーマッスルの重要性が説かれています。それは、コアの部分でパワーを発揮させるためだけではありません。インナーマッスルは下等動物由来のものであり、脳幹や辺縁系によって制御され、存在を意識できません。身体の動きを前頭葉で考えるのは大切でも、前頭葉で身体を動かそうとしても無理なわけで、無心にならないと能力を発揮できないのです。

つまり、バイクにうまく乗るには前頭葉の制御を抑えなければならず、走る前にあれこれと考えるのは大切でも、走るときにいちいち考えていてはいけないのです。

「凄い!と感じたら、もはやそこに感動はない」

さらに言えば、いいバイクは前頭葉の制御を要求しません。過渡特性にリニアリティとダイレクト感があれば、アレッとか、不安を覚えることもなく、制御の必要はなくなります。何より、前頭葉が介入すればイラっとさせられ、それはストレスになります。無心で走れることが心地良さに繋がるのです。

ライディングを科学することはバイクを科学することであり、人間を科学することもあるのです。なのに、過去の多くのバイクエンジニアは間違いを犯してきたのではないでしょうか。意図して、面白さや感動を造り込もうとしてしまったのです。

もし、エンジン特性や旋回性能に関してライダーが凄いと感じたとしたら、それは前頭葉の判断が言葉になったといくことです。昨今は以前ほどではありませんが、ワクワク感だの感動性能、感応性能、エキサイトメントだのをコンセプトに明記するようではいけません。そんなものが作為的だと前頭葉で判断したら、もはや楽しくなくなってしまうのです。

イタリアンメーカーだってイタリアンパッションなるものを打ち出した時代がありましたが、そうしたバイクの多くは尖っていて、多くのライダーにとって楽しみにくいものになっていたものです。芸人さんは「笑いを取ろうと思ってしゃべったことは、本物の笑いにならない」と言います。それと同じです。乗り手を感動させてやろうと造られたバイクは、本物にはならないのです。

当たり前にライダーが「無」になれる特性が追求されていることが、私は名車の条件だと考えています。もちろん私は、そのことをポリシーにジャーナリストとしてバイクを評価してきたつもりでおります。

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コメント一覧
  1. 鈴木孝雄。 より:

    和歌山さん、始めまして、コメントさせて頂きます。私は、全く分野が違う者です。青春時代も、オートバイには、興味がなくそれがある時、偶然4.5,年前に、和歌山さん、のライディングフォームを本で拝見致しその後動画も見せて頂きました。その時、正直驚き芸術性を強く感じ華麗さ。と、綺麗さ、力強さを、感じ、時折気になり、コラムを度々読ませて、頂いております。その文章にも、技術屋さんならではの、きめ細かい、幅広い、多様性の、角度からコラムを著し現場での、経験プラスご自分の長年の追究された結論を惜しげなく発表されて居る、ある種小説家でも、叶わない洞察力と、それは当然ですが、読んでいて素人の、私でさえも、解らないなりにインパクトを力強く感じ感動させられ、読み終わると、心地良い達成感と、満足度に浸ります。是迄無かった感動と、言うのでしょうか!究極の、プロの、著す深さを感じ取って居ます。私も文章を著く上で少しでも近づきたいと真似も出来ませんが文章とは、こうゆう物だと強く感じております。益々のご活躍期待しております。

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