接地感の捉え方は人それぞれ

接地感とはタイヤがグリップしてくれると確信できる感覚を表していると思います。これはライダーにとって由々しき問題で、ほとんどの人が使ったり聞いたりしたことがあるはずですが、人によってイメージが大きく違っているようです。

ある人は漠然とグリップしてくれそうとか、滑りそうにない安心感を接地感としているでしょう。また、ブレーキングしたりトラクションを伝えたとき、コーナーを攻めたとき、あるいは荷重を掛けたときにタイヤが応えてくれることを接地感としている人もいます。はたまた、限界時の滑り方いかんを接地感とする人までいます。

いずれも間違ってはいないし、私はどれもを接地感の要素に含めて考えています。でも、それらが感覚的な印象の域を出ていないことも否めません。

私はセルフアライニングトルクの変化に注目している

そこで私が注目してきたのは、ハンドルグリップに掛かる手応えです。実際、接地感はフロントの感覚について言及されることが多いのです。

タイヤが遠心力に耐え、曲がる力が発生すると、タイヤだけでなくトレッド面も歪められ、接地面はイン側後方に取り残されたようになります。理解しにくいでしょうが、ともかくグリップ力は接地面のイン側後方部で大きく発生すると考えてください。

すると、タイヤにはタイヤの向きと進行方向のずれ角(スリップアングル)を小さくし、元に戻そうとするセルフアライニングトルクが生じます。 そして、これがハンドルグリップに手応えとして伝わってくるのです。

しっかりグリップ力を発揮できる状況では、コーナーを攻めても手応えはリニアに変化していきます。だから、攻めていくことに確信を持てます。これが接地感の大きな要素の一つだと考えます。もし、グリップ力の限界が近づいていたら、手応えは頭打ち傾向になるのです。

ただ、この考え方にも落とし穴があります。ステアリングをこじたことによるものを手応えだと勘違いすると、突然、手応えがなくなるやスリップダウンになりかねないのです。
そのため私は、この手応えに対して、こうした大局的、マクロ的な見方だけでなく、微小的、ミクロ的な見方もしています。

バイクは常に細かく向きを変え続けていますし、路面も鏡面ではないので、この手応えは細かく変化しています。だから、この波形を感じることで接地感を把握できるのです。その細かい変化が希薄だと、接地感が薄いとなるわけです。

そして、タイヤから伝わる粘弾性感こそが接地感の基本要素かも

こうした接地感は、スポーツしていることが前提の接地感でもあります。でも、タイヤは転がしているだけでも、接地感を伝えてくれます。
ゴムでできたタイヤは粘弾性体です。弾性体のバネのように荷重に応じて撓むだけでなく、ジワッと沈んでジワッと戻る粘性体の要素を持っています。タイヤは接地部分で撓み、また元に戻り、1周回ってまた撓みます。しかも、路面は鏡面ではなく、撓み感が常に伝わってきます。そのとき、然るべきタイヤであれば、撓みにゴムらしい粘弾性感があります。それが接地感でもあるのです。

極端な話、経年変化でゴムが劣化したタイヤでは、粘弾性感が著しく損なわれていて、接地感は期待できません。タイヤは全体がゴムで覆われているだけに、ゴムの劣化はトレッド部のみならず、全体の撓み感にも大きく影響するのです。
ともかく諸条件が悪いところでは、タイヤの撓みも期待できず、粘弾性感も伝わりません。それが接地感の異常としてライダーに警告を発してくれるのです。

ということは、接地感を把握するには、腕だけでなく身体全体から力が抜けてなくてはなりません。寒い日は、えてして接地感が希薄になりがちです。それが本当にタイヤが固いためなのか、それとも寒さで身体が強張っているだけなのか、正しく見極めるには少々の経験も必要かもしれません。

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