【和歌山利宏:モーターサイクルジャーナリスト】

日本人とも関りが深かったグレシーニさん

ファウスト・グレシーニさんが、コロナウィルス感染症でお亡くなりになりました。コロナの脅威を改めて思い知らされます。
レーシングライダーとして活躍、85年、87年には125ccクラスの世界チャンピオンになり、91年以降は坂田和人、上田昇選手ともしのぎを削ったことも思い出します。

そして、94年に引退後、97年にグレシーニ・レーシングを設立、多くのチャンピオンを輩出してきました。また、加藤大治郎、清成龍一、中野真矢、青山博一、高橋裕紀といった多くの日本人ライダーが世界選手権にグレシーニ・レーシングから参戦してきましたし、10年にはモリワキが開発したMD600でモト2に参戦、タイトルも獲得しています。
何とも、日本人とも関りの深かった人なのです。

グレシーニさんからはバイク愛が迸っていた

ですから、私よりも前述の方々のほうが、はるかに深い彼への思いがあるはずです。ましてや、私に個人的な面識があったわけでもありません。でも、すごく印象的な思い出があるのです。

15年ほど前、3シーズンに渡り、モトGPの最終戦がスペインのバレンシアで行われた明くる日、ジャーナリストにモトGPマシンに試乗する機会が与えられたことがありました。

それは、確か05年のことだったと思います。ホンダRC211Vには、アジア人は2週間後にマレーシアのセパンサーキットで試乗させて頂くことになっていたのですが、午後遅くにコースが空き始めた頃、走る1台のRC211Vが目を引きました。

グレシーニ・レーシングのスタッフがサインボードエリアでコースに向かって歓声を上げ、ライダーは悦びを全身で表現しながら、ストレートを走り過ぎていくではありませんか。全開とまではいかなくても、それなりのスピードのマシンの上から、ラテン系らしい感情表現がはっきり伝わってくるのは異様でもありました。聞けば、「ボスのファウスト・グレシーニが乗っている」とのことでした。

3周が終わり、彼らにつられるようにピットに向かったのは、彼がどんな顔をしているのか見たかったのでしょう。ヘルメットを脱ぐと満面の笑顔のまま興奮が冷め切らない様子で、私まで思わずもらい笑顔になり、目が合った彼はもう最高だよと返してくれたのです。ここまでバイクに乗ったことの嬉しさを激しく表現する人は、先にも後にもお目に掛ったことがありません。

私とて、バイクに抱いた気持ちがはっきり表に出るタイプです。走りの写真を撮ってもらっているカメラマンには試乗車の好き嫌いがはっきり分かると言われますし、テストライダーを務めていたときはピットインしてきたときの仕草でマシンの状態が分かったそうです。そんな私がいうのですから、それはもう相当なものだったのです。

プロフェッショナルだからこそ、楽しめなかったらダメ

もっとも彼の場合は、チームオ-ナー、監督業に翻弄され、ライダーとして味わってきた感激を押し殺してきたであろうだけに、感動が爆発したという面もあったと思います。いずれにせよ、彼がバイクで走ることが好きで、そのことに部類の悦びを覚える人だということに疑いの余地はありませんでした。

その感動を分かち合うというスタンスがあったからこそ、今ではモトGPのファクトリーチームから、モト3、モト3、モトEのチームまでを運営、四半世紀に渡ってGPチームのオーナーとして成功してきたのでしょう。

写真は12月14日、2022年からはファクトリーではなく、独自のモトGPチームでの参戦を表明したときのもので、おそらく最後の公式の場でのものかもしれません。

私は、あのバレンシア以来、バイクに乗ることに面白さを感じなくなったら、それは潮時との想いを一層強くしてきました。グレシーニさんのご冥福をお祈りいたします。

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