
【和歌山利宏:モーターサイクルジャーナリスト】
32年前のバイク進化論を振り返る
今回から不定期で新バイク進化論を連載してみたいと思います。
なぜ、“新”なのかというと、私は1989年1月に初版発行された「バイク進化論」を著しているからです。32年後の今、それを検証するとともに、これからのバイクを考えてみようというわけです。
それを書いた当時、私はバイクに仕事として関わるようになって10年余り。若造が大それたことを書いたことに恥ずかしくもなりますが、はっきり言って間違ったことは書いていなかったと、今、胸を撫で下ろしているところでもあります。
その本には、バイクは単能化し多様化が進むとある
さて、写真はその本の表紙です。
80年代の後半期、日本は未曾有のバイクブームに沸き、日本の4メーカーからは次から次に新種が生まれ、人々はそれらの出現に胸をときめかしていました。
表紙の進化の流れを表したイラストにおいて、80年代の終盤期には枝葉の先端部分にあるモデルに多様化しておりました。枝葉の根元部分にあるのが60~70年代のものということになりましょうか。
私は、そうした流れを見据え、「人々が究極化されたバイクに胸を熱くしている以上、これからもバイクは多様化が進む。それに伴い、限られた用途しか許さない単能化も進むから、一方で万能化という流れも生まれるだろう」と書きました。
さらに、「サスペンションの高度なアジャスタブル化によって、車両姿勢までも含めて、多用途に適応させることも可能になろう」と言及しております。80年代の中盤期には四輪車に電子制御サスが採用され始めたことから、バイクでの可能性を推測したのですが、実際、近年は電子制御サスによってそうしたワイドレンジ化が実現されつつあります。
これからは統合化が進む
これからも、ワークスマシンレプリカとも言うべき公道走行可能競技車輌が注目されていくことに間違いはないでしょう。しかし、それをイメージリーダーとしながらも、マジョリティであるのは公道に適合させたモデルになるはずです。
ただ、32年には思いつかなかった進化が統合化です。これは、枝葉を増やすような進化だけでなく、枝葉と枝葉がくっ付くような流れです。
たとえば、レーシング直系のスーパースポーツをネイキッド化したものと、モタード系やデュアルパーパス系の長脚が組み合わさったものが、ワイドレンジツアラーに進化。また、ラリーモデルがデュアルパーパスに発展し、スポーツツアラーと組み合わさってもワイドレンジツアラー。一般的なストリートスポーツにモタードっぽい長脚がドッキングし、ワイドレンジなストリートスポーツとしてのシティスクランブラーとなるといった具合です。こうした統合化によるモデルはこれからもっと増えていくと思います。
ライダー自身が楽しみの世界を拡げていけることが大切
ここ30余年を振り返っても、いいバイクなのに短命に終わり、反対にデキが良くなかったのに、永きに渡りライダーに愛され続けてきたものもあります。また私は「理に適ったバイクが生き残り進化していく」と書いているのですが、そうであっても進化が閉ざされてしまったものもあります。この差は一体、何なんでしょうか。
かつてのバイク進化論では言及できなかったのですが、それはライダー自身が楽しみの世界を拡げていけることができるか否かということではないでしょうか。統合化によるモデルは、そのルーツに多くの要素が含んでいるため、その可能性も高いと思えてくるのです。
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