
鈴鹿サーキットは、11月16日(土)・17日(日)に「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」を開催する。このイベントにおいて、1970年代後半から1990年代前半にかけて、2輪の世界グランプリ(WGP)で活躍した、「ミスター100%」ことウェイン・レイニー氏、「ステディ・エディ」ことエディ・ローソン氏、そして「キング・ケニー」ことケニー・ロバーツ氏の登場が決定した。
3名のレジェンドライダーの出演イベントについては、決定次第アナウンスされる。
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「ウェイン・レイニー」&「エディ・ローソン」&「ケニー・ロバーツ」の登場が決定
ウェイン・レイニー
1977年にダートトラックでレースキャリアをスタートさせたウェイン・レイニー。1984年にロバーツからの誘いで世界グランプリの250ccクラスに参戦するが、その後AMAスーパーバイクに復帰、そこで1987年にHondaでチャンピオンを獲得。すると1988年からはチームロバーツの一員となり、世界グランプリの500ccクラスにフル参戦を開始する。
AMA時代からのライバル、SUZUKIのケビン・シュワンツとの戦いではいくつもの名勝負を残すが、先行逃げ切りの“レイニーパターン”は、この頃に確立された。また、どれだけ後続を引き離していてもまったくペースを落とさずに戦う姿勢は“ミスター100パーセント”とも呼ばれた。
1990年から1992年まで、世界グランプリの500ccクラスで3連覇を達成。V4が確実視された1993年、突然のアクシデントにより選手生活にピリオドを打った。
エディ・ローソン
ダートトラックで腕を磨くとその後にロードレースに転向。1980年にはKawasakiのライダーとして鈴鹿8耐に参戦。
そして1981年、1982年にはAMAスーパーバイクチャンピオンを獲得。翌1983年にYAMAHAに移籍するとケニー・ロバーツのチームメイトとして世界グランプリの500ccクラスに参戦。1984年、参戦2年目にして世界グランプリの500ccクラスでチャンピオンを獲得。攻めるとき、守るときを的確に捉えたそのライディングから“ステディ・エディ”と呼ばれた。
1986年、1988年に世界グランプリの500ccクラスでチャンピオンを獲得。
1989年にはHondaに電撃移籍するが、マシンメーカーを変更してもチャンピオンを獲得。1990年にYAMAHAに復帰し、平忠彦とのペアで鈴鹿8耐優勝。
1991年と1992年はCAGIVAで世界グランプリの500ccクラスに参戦し、現役から退いた。
ケニー・ロバーツ
現在においても、グランプリ界のみならずロードレース界でその名を轟かせているのが、“キング”ことケニー・ロバーツ。1965年、14歳でアマチュアレースにデビューすると順調にその才能を育み、1973年と1978年には2年連続でアメリカ国内レースのAMAグランドナショナルチャンピオンに輝いた。そして1978年から世界グランプリの500ccクラスに参戦を開始すると、いきなり3連覇を達成する。
ロバーツのキングたる由縁は好成績だけでない。リアタイヤを滑らせるスライド走法、そしてハングオンスタイルを確立させたのはロバーツだった。さらに現在では当たり前となっているが、世界グランプリに巨大なモーターホームを持ち込んだのはロバーツが初めてだ。また、1985年に平忠彦とのペアで鈴鹿8耐に参戦したが、その際にパーソナルトレーナーを同行させており、これも現在の先駆けとなった。
情報提供元 [ モビリティランド ]
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