【和歌山利宏コラム】私が25年に渡る欧州ショー取材を打ち切ったわけ

【和歌山利宏:モーターサイクルジャーナリスト】

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コロナパンデミックも理由の一つだけど

間もなく、2年ぶりにミラノショーEICMAが開幕します。でも私は、1996年以降、欠かさず続けてきたミラノ、パリ、ケルン、ミュンヘンでのモーターサイクルショー取材を、辞めることにしました。

25年に渡り、習慣のようになってきた取材活動です。今も偶数年はケルンでのINTERMOTとミラノが併催であるように、パリとミラノが併催されていた時期もあり、わずかの期間を置いて欧州通いを繰り返してきました。モーターサイクル業界の動向を肌身で感じることができ、ジャーナリストにとって有意義なものであったからです。

それに見切りを付けたことには、感染症のリスクや渡航に関しての煩わしさを避けたかったこともあります。ただ、それらは理由の一つであって、辞める決断を後押ししてくれたというのが正直なところです。

時代とともにジャーナリストの存在意義も変化した

かつてのアナログ時代、ショーの様子を伝えるのはジャーナリストの仕事でした。インターネットもない頃は、出版物が唯一の媒体だったのです。

今では、テキストや写真が入ったプレス資料はUSBメモリーもしくは、サイトからのダウンロードで入手できますが、アナログ時代は全て紙焼きで写真はポジマウントであるため、膨大な量になります。カメラ機材に加え、20kg近いそれらをバッグに詰めて広大な会場を歩き回るのですから、体力勝負でした。

また、1999年のパリショーでカワサキZX-12が発表されたとき、某誌がプレスキットを入手するために朝便でパリに到着、そのまま深夜便で帰国し、入稿に間に合わせたのは遠い昔の出来事のようです。
当然、そこにはジャーナリストの取材を前提とした場がありました。

2004年のINTERMOTで私がイタリア人カメラマンのマッティオ・カバディーニと並んでいる写真(トップ画像)は、どこかの発表会前です。ジャーナリストは撮影しやすい前方に陣取り、来賓や関係者は後方から見守っていたものです。

2006-INTERMOT-680x454.jpg▲2006 INTERMOT

2008-INTERMOT-680x454.jpg▲2008 INTERMOT

2019-EICMA.jpg▲2019 EICMA

また、2006年、2008年のINTERMOTでは、発表されたモデルにはカメラマンが群がり、他の招待客の視界を遮っても、それは一時的なもので、許されてきました。また、最初に前に出て撮影するのはプロフェッショナル機材を持ったカメラマンで、私たちは2番手という不文律もあったかと思います。
それが、2019年のEICMAでは、かつてのようなカメラマンの撮影合戦が行われていないことが分かると思います。

今やショーにおけるジャーナリズムは崩壊した

ところが2010年代に入りネットが充実し始めると、事態は変わってきました。発表会でメーカー側から様子を動画配信できるようになると、前を遮る我々が邪魔になってきたのです。

実際、2015年の日本の某メーカーの発表会では、カメラを携帯したジャーナリストが外野席に追いやられ、強面の黒人ガードマンに出入りを固められたときには、我々が取材をする時代は終わったと思ったものです。

プレス資料も発表会終了と同時にサイトにアップされますし、主催者からオフィシャル写真を入手すれば、あえて現地取材する必要がなくなります。そんなわけで、雑誌不況も加わって、取材ジャーナリストの数はめっきり減りました。

すると、一般の人たちはジャーナリストの存在に気付かず、発表会で写真撮影に有利な場所を譲らなくなります。スマホ撮影のため我々の前を平気で邪魔をし、ユーチューバーと思しき輩はスタンドにスマホやデジカメをセットし、発表車の前でレポーター気取りで延々としゃべり続けるのですから、こっちの撮影もままなりません。ショー取材が楽しくないばかりか、不愉快な気分にさせられることが多くなってしまったのです。

人権だの肖像権などと言われるようになったためか、一般の人々もカメラに映り込むのを嫌うようになった気もします。以前は笑顔で返してくれたのですが‥‥。2009年のEICMAで高校生のグループと楽しくやり取りできたのが、最後かもしれません。

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もう一つ、ぼやかせてください。かつてはハードな一日を過ごしても、夜は各都市の食事やお酒を楽しんだものです。なのに、比較的短時間での写真送信が可能になり、ネット公開が主流になってくると徹夜での仕事も余儀なくされ、それもままなりません。

かくして、ショー取材は打ち切りです。でも、欧州ショーでモーターサイクル業界の凝縮された世界を垣間見れることに変わりはなく、何年かしたら趣味として訪れたくなるのではないかと思う今日この頃です。

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和歌山利宏 モーターサイクルジャーナリスト

投稿者プロフィール

1975年にヤマハ発動機に入社。ロードスポーツの開発に携わる。
レーシングライダーとしても活躍し、鈴鹿8耐第4回大会では4位入賞。
85年からはヨコハマゴム契約となり、タイヤの開発テストを行うとともに、
ワイルドカード参戦した87年の日本GPでは、250ccクラスで11位に入る。
90年からはジャーナリストとしての活動を始め、現在に至る。

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