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スズキDR250SHで走るサハリン(1991年)第2回目

前回:スズキDR250SHで走るサハリン(1991年)第1回目

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

210624_kasori_6496-680x434.jpg▲オホーツク海の海岸を走る

オホーツクの海へ

サハリンの第2日目。トマトとキューリのサラダ、ソーセージ、ライスといったホテルの朝食を食べ、10時、出発。キセニアとサーシャが乗り、ブリースが運転する四駆を2台のスズキDR250SHでフォローする。目指すのはオホーツク海に面したオホーツコエ(旧富内)の町だ。

ユジノサハシンスクから港町コルサコフへの幹線道路を走り、その途中で左に折れ、オホーツコエに到着。そこまでの50キロは全線舗装。
「サハリンの道はひどいものだ。なにしろ、豊原(ユジノサハリンスク)を一歩出たら、もうガタガタ道の連続なのだから」日本を出る前にはそんな話も聞いていたが、これが海外ツーリングの情報と現実のギャップで、実際にはなかなかいい道なのである。
オホーツク海の砂浜に出ると、長い海岸線をDRで走る。潮風が、たまらなく気持ちいい。
「北海道につづいてるんだ、この海が!」と思うと、胸がジーンとしてくる。

210624_kasori_6497-680x511.jpg▲オホーツクの海に入るキセニア

ハマナスの咲く砂浜で昼食。キセニアは黒パンを切り、ソーセージを切り、サケの缶詰を開け、昼食の用意をしてくれる。リンゴジュースを飲みながら、黒パンにトマト、キューリ、ソーセージをのせて食べた。

昼食を食べ終わると、トナイチャ湖へ。日本だったらたちまち観光地になって、売店やレストランが建ち並ぶであろう絶景の湖畔には何もない。自然のままだ。風景の美しさだけでなく、ここではカラフトマスがよく釣れるという。

港町のコルサコフ

トナチャイ湖からは、幅広のダートを走って、港町のコルサコフへ。ときたますれ違うトラックが、土煙りを巻き上げて走り去っていく。
このダート区間では、立ち往生して、困った顔をしたライダーに出会った。我らライダー同士はバイクという共通語があるので、話が通じる。175ccのロシア製バイクに乗った青年は、プラグレンチを貸して欲しいといっている。すぐさまDRの車載工具のプラグレンチを貸してあげたが、残念ながらサイズが違う。
それでも「スパシーバ(ありがとう)」といって喜んでくれた。

コルサコフに着くと、高台に立ち、港を見下ろした。このコルサコフは戦前までは稚内へ連絡船の出る港。日本時代の大泊だ。稚内と大泊を結ぶ稚泊航路は、日本の北の海のゴールデンルートになっていた。稚内港の埠頭には稚泊航路の碑が建っている。

210624_kasori_6498-680x453.jpg▲コルサコフ港を見下ろす

北海道遺産にもなっている「稚内港北防波堤ドーム」は総延長427メートルの半アーチ式ドームで、古代ローマ風の美しい建造物。旧稚泊航路の岸壁を守る施設として造られ、強風と荒波を防ぐ防波堤の役目を果たした。その役割は今でも果たしつづけている。

210624_kasori_6499-680x454.jpg▲コルサコフの市場を歩く

キセニアの案内でコルサコフの町を歩いた。市場では「ターキー、どうぞ」といって、アイスクリームを買ってくれた。これが何ともいえないよい味で、トロッと、舌の上でとろける。ここでは市場で買ったクワスをみんなで飲んだ。小麦とライ麦からつくる、若干、発酵させた飲み物だ。

210624_kasori_6500-680x438.jpg▲コルサコフの市場で買ったクワスを飲む

サハリンの最南端はクリリオン岬

コルサコフから、アニワ(旧留多加)へ。ユジノサハリンスクへの道を左に折れ、ダートに入り、地平線までつづく直線路を走る。
アニワ湾の砂浜に出た。短い夏をおしむように日光浴し、泳ぐ人たち。ビキニ姿の女性も見られる。このアニワ湾の海岸線を南に行ったところがサハリン最南端のクリリオン岬になる。

210624_kasori_6494-680x498.jpg▲アニワへのダートを走る

クリリオン岬は北緯45度51分。日本時代の西能登呂岬で、日本海とアニワ湾を分けている。日本最北端の宗谷岬までは43キロ。岬突端までの自動車道はないとのことで、残念ながらクリリオン岬は諦め、アニワからユジノサハリンスクに戻った。

ユジノサハリンスクのレストランで夕食。キセニア、サーシャと一緒に食べる。
トマト風味のスープ「サリャンカ」とビートのサラダ、ポテトを添えたビーフステーキ。メインディッシュのポテトを添えたビーフステーキには、ロシア人の大好きな香辛料のオクロップ(ウイキョウ)が散りばめられている。
キセニアに教えてもらった「プリヤトノゴ アペチタ(いただきます)」を言ってから食べるのだった。
210624_kasori_6502-680x510.jpg▲ユジノサハリンスクでの夕食

210624_kasori_6503-680x510.jpg▲ユジノサハリンスクでの夕食

210624_kasori_6504-680x510.jpg▲ユジノサハリンスクでの夕食

キセニア、サーシャと分かれると、カメラマンの向後さんと夜のウジノサハリンスクを歩いた。町歩きの最後はユジノサハリンスク駅。待合室のベンチに座り、ロシア人や朝鮮人の話し声をそれとはなしに聞いている。駅舎地階のバーでロシア産ビールの「バルチカ」を飲み、夜行列車がホームを離れていくのを見届けると、「ツーリストホテル」に戻った。こうしてサハリンの第2日目は終わった。

210624_kasori_6505-680x510.jpg▲ユジノサハリンスク駅

210624_kasori_6506-680x510.jpg▲ユジノサハリンスク駅に展示されている蒸気機関車

210624_kasori_6507-680x510.jpg▲ユジノサハリンスク駅で売られているロシア産のビール

【東北道での事故】
このたびの東北道での事故では編集部の皆様をはじめとして、多くのライダーの皆様に大変なご心配をいただき、ほんとうにありがとうございます。
5月31日午前6時10分頃のことでした。東北道の佐野藤岡IC近くの下り車線をVストローム250で走行中、車線変更をしてきた車に激突され、吹っ飛ばされました。路面にたたきつけられ、10回転ぐらいして立ち上がりました。そのときは何が何だか、またっくわかりませんでしたが、「自分は生きている!」ということだけははっきりとわかりました。
すぐさま救急車で足利赤十字病院に収容されました。全身を強打しましたが、頭部に異常はありませんでした。頭さえしっかりしていれば大丈夫!
足も大丈夫。両手がひどくやられましたが、ラッキーなことに右手は動きます。
病院に駆けつけてくれた息子の車で、いったん神奈川県伊勢原市の自宅に戻ると、地元の伊勢原協同病院に入院。左手の手術を受け、無事に退院できました。左手の5本の指のうち4本が折れ、金属を入れて固定し、腱をつなぎ合わせたとのことですが、これからはリハビリに励みます。一日も早く元通りの体にし、もう一度、東北道で東北に向かっていきます。Vストローム250は16万キロ達成目前でしたので、16万キロを突破し、20万キロを目指します。
このたびの東北道の事故では、栃木県高速道路交通警察隊の隊員の皆様には大変お世話になりました。心よりお礼を申し上げます。

賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカと、バイクで世界の6大陸を駆けめぐる。
1975年の結婚後も旅をつづけ、赤ん坊連れでの「シベリア横断→サハラ砂漠縦断」を成しとげる。
1980年、鈴木忠男さん、風間深志さんとバイクでキリマンジャロ挑戦。1982年には風間深志さんと「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦を果たす。
1987年~1988年には「サハラ砂漠往復縦断」を成しとげる。
「30年代編日本一周」以降、10年ごとの「年代編日本一周」を繰り返し、2018年12月31日には1年4ヵ月に及ぶ「70代編日本一周」を終えた。
「年代編日本一周」とは別に、「島めぐり日本一周」、「温泉めぐり日本一周」、「林道日本一周」の「テーマ編日本一周」もおこなっている。2006年~2007年の「温泉めぐり日本一周」では1年間で3,063湯の温泉(温泉地)に入り、ギネスの世界記録に認定されている。『ツーリングマップル』の「東北」担当で、東北の道という道を精力的に走りまわっている。モットーは「生涯旅人!」

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