今なぜ「メグロK3」なのか!?その答えはカワサキ車のルーツにあった

【ケニー佐川:Webikeニュース編集長】

カワサキから往年の大型スポーツバイク「メグロ」の名を冠したモデルが来年2月に発売される。先日、新規オープンした「カワサキプラザ東京等々力」で開催された新型「MEGURO K3」発表会で明かされたストーリーからその狙いを探ってみた。

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日本初の大型スポーツバイクメーカーだった

日本最古級の大型スポーツバイクメーカーとして知られるメグロ。それが何故いま半世紀以上の時を経て復活したのか誰もが疑問に思うはず。その問いへの答えを見つけるためには、まず歴史を紐解く必要があるだろう。 

メグロはかつて目黒製作所が製造していたバイクブランドだ。創業は大正時代の1924年。現在の東京品川区の西五反田あたりに会社があったらしいが、今ではその痕跡は残っていない。
当初は英国製モーターサイクルを手本に2輪車製造を開始したが、ほどなくして日本初の大型スポーツバイクメーカーとして高性能モデルを次々にリリース。高品質で高級なメグロは当時のライダーの憧れの的だったとか。

戦前から警視庁が白バイとして導入、戦後も全日本ロードレース選手権の前身となる浅間火山レースで上位を独占するなど活躍。その性能と信頼性の高さを世に知らしめた。

W1をはじめとする今のカワサキ車のルーツ

隆盛を誇ったメグロも戦後不況の中で次第に業績が悪化。時代のニーズは小排気量の実用車へと移っていたのだ。余談だが、浜松を中心に50社以上もあったといわれる戦後誕生の小さな2輪メーカーの中から、その後世界を席巻することになる国産メーカーが育っていったのは有名な話だ。

こうした状況の中、目黒製作所に救いの手を差し伸べたのが川崎航空機工業だった。1960年にメグロと業務提携したカワサキは当時まだ航空機メーカー(大戦中の傑作戦闘機「飛燕」が有名)であり、戦後の事業転換を模索する中で2輪へ進出。
すでに国産大型スポーツバイクメーカーとして実績のあったメグロのフラッグシップ「K1」をベースに、最新の航空機テクノロジーを注いで全面改良を施した「カワサキ・メグロK2」を64年にリリース。
その後継モデルとして排気量を拡大しカワサキ一枚看板ブランドとして66年に投入したのが歴史に残る名車「カワサキ650W1(通称ダブワン)」だった。

つまり、今のカワサキの2輪車部門(川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニー)のルーツはメグロにあると言っても過言ではないのだ。
その後のZ1、GPZ900R、ZZR1100、そしてH2へと続く最速の系譜、そしてスーパーバイク世界選手権6連覇という最強の証はカワサキファンなら誰もが知るとおり。だが、そこへの道のりは、60年前に陸の王者だったメグロと大空を駆けたカワサキの奇跡的な出会いによって生まれたものなのだ。

今のカワサキの礎を築いた古豪ブランドへのリスペクト

発表会場でアンベールされた「MEGURO K3」の実車は、ひと口に表現するなら大人の品格を備えたレトロモダンなバイク。渋い光を放つ独特の銀鏡塗装や、熟練の職人が手作業で一つ一つ仕上げた立体エンブレムなど、高級感の中にしっとりとした人の温もりが感じられた。

何故今メグロなのか? 率直な疑問をあらためてカワサキ担当者に投げかけてみた。「かつて日本にはメグロという凄いバイクがあったことを多くの人、特に若い世代に知ってほしいし、伝えていってほしいですね」と語ってくれた。
年間販売目標台数200台という控えめな数字からも、カワサキがK3を作った意図が汲み取れるはず。
それは今のカワサキの礎を築いたレガシー(遺産)であり、日本初の大型スポーツバイクメーカーへのリスペクトの念なのだ。

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ケニー佐川

ケニー佐川 Webikeニュース編集長

投稿者プロフィール

早稲田大学教育学部卒業後、情報メディア企業グループ、マーケティング・コンサルタント会社などを経て独立。趣味で始めたロードレースを通じてモータージャーナルの世界へ。
雑誌編集者を経て現在はジャーナリストとして2輪専門誌やWEBメディアで活躍する傍ら「ライディングアカデミー東京」校長を務めるなど、セーフティライディングの普及にも注力。
株式会社モト・マニアックス代表。「Webikeバイクニュース」編集長。
日本交通心理学会員 交通心理士。MFJ認定インストラクター。

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