ZX-25Rに乗るなら、気分はジョナサン・レイで!?

【和歌山利宏:モーターサイクルジャーナリスト】

【写真1】一次旋回を終え二次旋回に移行していく瞬間

ジョナサン・レイはZX-25Rに乗っても見事なレイ乗りを見せた

ジョナサン・レイの走りは、舵角を入れる一次旋回とフルバンクに向かう二次旋回のメリハリが明確です。前回のコラムにあるように、彼の乗るZX-10Rは彼の走りに合ったハンドリングを備え、レイの強さは10Rとの相性によって高められています。

【前回コラム】
ZX-10Rに乗るジョナサン・レイの強さの理由とは

では彼がZX-25Rに乗ったら、どのように走るのでしょう。実は、PVや広報写真では手抜きのないレイ乗りを披露してくれたのです。お断りしておくと、レイ乗りというと特殊な乗り方かのようですが、決してそうではありません。基本に忠実という意味での究極形としていいでしょう。

走り写真1は、一次旋回を終え二次旋回に移行していく瞬間です。一次と二次の過渡期には、いわゆるタメが入りますが、これはまだタメの手前です。タメでは一瞬、内脚が内旋しますが、これはまだ外旋状態にあるからです。そして写真2は二次旋回でクリップを目指すところです。

【写真2】二次旋回でクリップを目指すところ

注目したいのは、写真1での舵角の付き方です。前後輪の向きの違いを見れば分かると思います。ここでこれだけ舵角が付くとはさすがレイです。付け加えると、二次旋回では舵角は限りなく小さくなっています。

巷では「バイクを寝かせばセルフステアで舵角が付き、それに任せればバイクは曲がる」と言われます。でも、それはバイクの性質を説いたに過ぎず、ライテクとしては不適当なのです。

ZX-25Rは10Rから車体設計思想を受け継いでいる

ただ、バイクにはこのような走りに合うものと合わないものがあります。バイクが一次から二次旋回に向かって素直に寝ていくだけだったら、ライダーはそれに合わせることに陥るからです。

25Rのハンドリングはレイ乗りに適しています。実際、25Rには10Rの車体設計思想が展開されているといいます。前回のコラムでは、10Rについて私なりの見解を述側面写真に重心位置やクランク位置などを書き込みましたが、今回は25Rにも同様の見方をしてみました。

▲ZX-25R

25Rは、クランク軸をほぼローリングセンター上の低い位置を置きながら、エンジン重心は高めで、やはり10Rに準じています。これにより、一次旋回ではクランク軸のジャイロ効果がリーンに抵抗を与え、二次旋回では高めの重心が倒れ込むのを生かし、タイヤへの荷重を高めての旋回性を引き出せるというわけです。

▲Ninja250

参考のためニンジャ250に注目すると、クランク軸、エンジン重心ともに低く、安定性重視のストリート向きと言えなくもありません。でも、スリムな2気筒ゆえの俊敏さがあり、低重心なことが低速コーナーでの運動性を高めていることも確かで、2気筒と4気筒を同じ基準で考えるのは無理があるかもしれません。

ZX-25Rはマシンがライダーに乗り方を教え、上達を楽しめるバイク

私はZX-25Rに乗り、心底スポーツライディングを楽しみました。スポーツするための資質が備わっているばかりか、試行錯誤する面白さに溢れているのです。

もし、コーナーで一次、二次旋回の区別なく、恐る恐る寝かし込んでいったとします。その場合、高重心傾向のネガによって、中間バンク角で心許なく感じるかもしれません。それは、マシンからの「腰がフワついているよ、しっかり腰を入れて」というメッセージでもあります。一次旋回で腰を入れ、タメを入れ、二次でコーナーにダイブしていくグーッ・ウッ・ギュイーッというリズムが生まれてきたらしめたものです。

二次旋回では、今日のレーシングスタイルよろしく、上体をしっかり前方イン側に入れてやるほどに、ニュートラルに高い旋回性を発揮してくれます。ただ、二次旋回に移行する際、しっかり荷重を後ろに戻さないと、いつまでもフロントに依存したままになりがちです。
これはバッティングやピッチングで最初に軸足(後足)から前足に荷重を移しても、インパクトの瞬間は後足に荷重を戻さないといけないことに通じます。さらに、サスの動きをシンクロさせることで、旋回性はさらに高まります。

スポーツライディングでは、こんなふうにあれやこれやと試すことが楽しいのです。10R直系の設計思想に加え、開発で走る面白さが追求されたことに、25Rの魅力を見出せるのです。

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和歌山利宏

和歌山利宏 モーターサイクルジャーナリスト

投稿者プロフィール

1975年にヤマハ発動機に入社。ロードスポーツの開発に携わる。
レーシングライダーとしても活躍し、鈴鹿8耐第4回大会では4位入賞。
85年からはヨコハマゴム契約となり、タイヤの開発テストを行うとともに、
ワイルドカード参戦した87年の日本GPでは、250ccクラスで11位に入る。
90年からはジャーナリストとしての活動を始め、現在に至る。

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