地球40周分走った男の「世界の峠越え」(その1)

【賀曽利隆:冒険家・ツーリングジャーナリスト】

ぼくが初めてバイクで世界に旅立ったのは1968年。カソリ20歳の時のことだった。その時は2年をかけてアフリカ大陸を一周したのだが、22歳になって日本に帰ってきたときに決心した。
「こんなにおもしろいことは、ほかにはない。よーし、これからはバイクでトコトン世界を駆けまわろう!」と。

その22歳の決心通りに世界を走りつづけ、世界の6大陸136ヵ国を駆けまわってきた。50余年をかけて世界を走ってきた中で、とくに心に残るのは「峠越え」だ。世界各地での峠越えのシーンが次々に目に浮かんでくる。

ということで、とくに印象深い峠越えを2回にわたって、年代順にみなさんにお伝えしよう。

1.カイバル峠(パキスタン・アフガニスタン国境1027m)西アジア横断1971年

「世界一周」の「アジア編」で越えた峠。パキスタン西部の町ペシャワールを過ぎると、前方に青く霞んだ山並みが見えてくる。ヒンズークッシュ山脈南部のサフェドコー山地だ。この山並みを越える峠がカイバル峠。

▲前方にカイバル峠が見えている

スズキハスラー250でサフェドコー山地に突入。曲がりくねった狭路の峠道を登りつめるとカイバル峠に到達。峠を越えたところが国境で、パキスタンからアフガニスタンに入った。山々の緑は急速に薄れ、砂漠の風景に変っていく。
アフガニスタン側を下っていくとカブール川の河谷に入る。峠を下ったジャコババードの町を過ぎ、アフガニスタンの首都カブールに到着だ。カイバル峠は古来、欧亜を結ぶ交通の要衝の地。アレキサンダー大王もこの峠を越えた。大乗仏教の伝播ルートでもある。

カイバル峠は一大交易路の峠で、絹や金細工、宝石、絨毯、茶、砂糖、果実などの産物がこの峠を越えた。

▲カブール川の流れに沿って下っていく

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2.カラン峠(ペルー4224m)南米一周1984年

「南米一周」で越えたアンデス山脈の峠。ペルーの太平洋岸からスズキDR250Sを走らせ、カラン峠を目指して登っていく。目のくらむような深い谷がパックリと口を開けている。背筋が冷たくなるような大峡谷。その垂直に切り立った壁をジグザグと稲妻型に登っていく。

▲カラン峠の峠道。際限のない登りがつづく

標高3000メートルを越えると、緑が急速に増えてくる。集落も見かける。畑ではジャガイモが栽培されている。このジャガイモを栽培しているあたりの高地が、アンデスでは人口の一番多い地帯になっている。標高4000メートルを越えると耕地は消え、農耕から牧畜の世界に変わる。

▲峠道で出会ったインディオの女性。赤ちゃんを背負っている

▲カラン峠に到達。空気が薄いので息苦しい

アンデス特有の家畜のリャマやアルパカを見るようになる。このようにアンデスの峠越えでは、高度の違いによる鮮やかな風景の変化が見られる。カラン峠の頂上に到達。身を切られるような冷たい風が吹きまくっている。空気が薄いので、息苦しくてハーハーゼーゼーいってしまう。

つづいてカウイッシュ峠(4178m)、コノチャ峠(4080m)と4000メートル級の峠を越えたが、「南米一周」ではカラン峠を皮切りにして、全部で25峠の4000メートル級の峠を越えた。

▲カウイッシュ峠。アンデスの雪山が目の前だ

▲コノチャ峠。峠上は平坦な地形

▲コノチャ峠を下ったところでは渓流釣りの釣り人に出会った

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3.バーソウッド峠(アメリカ3392m)アメリカ横断1990年

50ccバイク、スズキハスラー50での「世界一周」の「アメリカ編」で越えた峠。ソルトレイクシティーからUS40号でロッキー山脈に向かった。コロラド州に入り、ロッキー山麓のスチームボートスプリングスの町からバーソウッド峠へ。ロッキー山脈の峠越えは50ccバイクにとってはきついの一言。

▲US40号でロッキー山脈に向かっていく

▲ロッキー山脈を越えるバーソウッド峠の峠道

峠への途中では何度も、何度もハスラーを止め、エンジンを冷やした。全部で10回以上、ハスラー50を止めて、ついに標高1万1307フィート(3392メートル)の「コンチネンタル・ディバイド(大陸分水嶺)」碑の立つバーソウッド峠に到達した。

▲バーソウッド峠に到達!

ロサンゼルスを出発点にした「アメリカ横断」では、太平洋岸の海岸山脈にはじまり、シエラネバダ山脈、グレートベースン内の何本もの山脈、ソルトレークシティーのワサッチ山脈と、いくつもの峠を越えたが、アメリカ西部の一連の峠越えの最後がロッキー山脈の峠越えになる。ここからは際限のない下りがつづく。
コロラドの州都デンバーまで一気に駆け下ると、アメリカ中部の大平原を走り抜け、セントルイスでミシシピー川を渡った。アメリカ東部に入るとアパラチア山脈の峠を越え、首都ワシントンを通り、「アメリカ横断」のゴールのニューヨークに到着。
ロサンゼルスを出発してから21日目、7066キロを走ってのニューヨーク到着だ。

▲大平原を走り抜け、ミネアポリスでミシシッピー川を渡る

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4.アルベルグ峠(オーストリア1793m)ヨーロッパ横断1990年

50ccバイク、スズキハスラー50での「世界一周」の「ヨーロッパ編」で越えた峠。小国のリヒテンシュタインからオーストリアに入り、国境の町フェルトキルフィからチロルの中心地インスブルックに向かったが、その途中でアルベルグ峠を越えた。

▲オーストリアの国境の町フェルトキルフィ

▲アルベルグ峠の峠道を登っていく

季節は夏だったが、峠下はうだるような暑さ。それがハスラー50で峠道を登るにつれて気温が下がり、峠の頂上に到達すると、身を切られるような風の冷たさだ。たまらずに、峠のレストランに飛び込んだ。アルプスの山々を窓越しに眺めながら熱いスープをすすり、焼きたてのソーセージを食べた。
峠で一息入れて、生き返るような思いで、インスブルックへと下っていった。

▲アルベルグ峠に到達

アルベルグ峠のレストラン

5.クズル峠(トルコ2190m)西アジア横断1990年

50ccバイク、スズキハスラー50での「世界一周」の「アジア編」で越えた峠。イスタンブールからボスポラス海峡を渡ってアジアに入ると、アナトリア高原を行く。トルコの首都アンカラからシバースへ。シバースの町を過ぎると峠越えが始まる。

▲イスタンブールを出発。ボスポラス海峡を渡ってアジアに入る

▲クズル峠の峠道

最初の峠が標高2190メートルのクズル峠。ゆるやかな長い峠道を登っていく。まわりの山々にはまったく樹木はない。真っ赤な山肌をした山、青い山肌をした山と、カラフルな山を見る。峠道の最後のセクションはスリップ防止のためなのか、石畳になっていた。

▲クズル峠に到達

▲クズル峠からの眺め

クズル峠を越えるともうひとつの峠、標高2160メートルのサカルトゥタン峠を越える。峠上ではトラフィックポリスが検問をしていた。サカルトゥタン峠を越えると、エルジンジャン盆地に下っていく。
エルジンジャンからエルズルムを通り、標高2475メートルのタヒール峠を越えると、雪をかぶったアララト山(5165m)が見えてくる。感動のシーン。アララト山を見ながら走ると、イラン国境の町ドバヤジットに到着だ。

▲サカルトゥタン峠で出会ったトラフィックポリスのみなさん

▲アララト山をバックに記念撮影

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6.ホルムスク峠(ロシア)サハリン南部1991年

東京から稚内までスズキDR250SHで走り、稚内港からロシア船で日本海側のホルムスク港に渡った。ホルムスクは日本時代の真岡。ここには王子製紙の工場跡が残っている。ホルムスクから日本海沿岸の道を走ったあと、サハリンの中心都市ユジノサハリンスクに向かった。

▲稚内港でDR250SHを積み込み、ホルムスク港へ

▲ホルムスクの王子製紙の工場跡

すぐにホルムスク峠を越える。日本時代の熊笹峠だ。そこにはロシアの戦勝記念碑が立っている。峠の細道を登っていくと、日本時代の熊笹峠の名前通りの笹原が広がっている。熊笹峠は日本軍とソ連軍の激戦の地。昭和20年8月15日の終戦の後に、ソ連軍は真岡に上陸しようと攻めてきた。

▲ホルムスクから日本海の海岸線を走る

▲ホルムスク峠に立つソ連の戦勝記念碑

熊笹峠に陣地を構えていた日本軍は、ソ連軍に激しく高射砲を打ち込んだ。上陸したソ連軍は熊笹峠の日本軍を殲滅し、今でも残っている峠のトーチカには、日本兵の死体が折り重なり、足の踏み場もないほどだったという。

▲ホルムスク峠の熊笹の中を走る

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7.バイヤン峠(モンゴル)モンゴル一周1997年

「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」シリーズの第3弾目の「モンゴル一周」では、バイヤン峠を越えた。ウランバートルの旅行社ジュルチンが用意したヤマハのセローに乗って出発。

▲バイヤン峠への道

ウランバートルを出て50キロほど走ると、舗装路が途切れ、大草原の中に轍が延びるダートに突入。ここから先はただひたすらに、大草原の中につづくダートをフォローする。草原の緑が目にしみる。その中に点々と遊牧民のゲル(テント)を見る。ヒツジやヤギ、ラクダ、馬などの家畜の群れ。いかにもモンゴルらしい風景だ。

▲バイヤン峠に到達

バイヤン峠に到着。モンゴル語で峠は「ダワ」という。何と日本語と同じではなか。日本でも峠のことをタワとかダワというところは多い。バイヤン峠には石が積み上げられている。それを「オボウ」という。旅の安全を祈って、オボウのまわりを時計回りに3回まわる。

▲バイヤン峠のオボウ

ここで昼食。阿蘇の草千里をさらに雄大にしたような風景。山の斜面の草原にシートを広げ、チキン、ポテト、ピクルスつきのご飯を食べた。峠の空は抜けるような青さ。モンゴリアン・ブルーだ。草原の草の匂いがたまらない。何種ものハーブの香りが漂ってくる。

バイヤン峠を越えると、アジアの大河、黒龍江の源流地帯だ。

▲バイヤン峠からの眺め

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8.マユム峠(チベット5216m)聖山カイラスへ1999年

「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」シリーズの第4弾目の「目指せ、カイラス!」では、中国製のバイクでチベットの聖山カイラスへ。チベットの中心地ラサからヤルツァンポ川に沿って西へ、西へと走った。

▲チベット高原を行く

ヤルツァンポ川の流れに別れを告げ、マユム峠を目指して、山の斜面の草原を駆け登った。曲がりくねった峠道を想像していたが、かなり直線的な峠道。標高5000メートルをはるかに超えた高地でも、チベット人は家畜のヤクとともに生きている。それは人間の強さを思い知らせるような光景だ。
標高5216メートルのマユム峠に立ったときは、感動のあまり、思いっきり「万歳!」を叫んでやった。チベット語では峠は「ラ」なので、マユム峠は「マユム・ラ」になる。

▲ヤルツァンポ川の流れに沿って走る

▲マユム峠に到達!

標高4660メートルのホルッシュ峠に立ったときも大感動。まさに「絶景峠」で、右手には聖山カイラス(6656m)を遠望し、正面には神秘の湖、マナサロワール湖を見る。古来より、この湖こそ、アジアのすべての大河の源だと思われてきた。「自分は今、アジア大陸最奥の地にいる!」という思いにとらわれた。

▲マナサロワール湖畔の温泉

ホルッシュ峠を下り、カイラス巡礼の村、タルチェンに到着。カイラスは仏教徒、ヒンズー教徒、ジャイナ教徒らにとっての聖山なので、チベットはもとより、中国各地やネパール、インドなどから多くの巡礼者たちがこの地にやってくる。
南に目を向けると、標高7694メートルのナムナニ峰や、標高7816メートルのナンダデビ峰といったヒマラヤの7000メートル級の高峰が、まるでなだらかな丘のように見える。

▲聖山カイラスを見る

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賀曽利隆

賀曽利隆 冒険家・ツーリングジャーナリスト

投稿者プロフィール

1947年東京生まれ。
1968年から2年間をかけてアフリカを一周したのを皮切りに、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカと、バイクで世界の6大陸を駆けめぐる。
1975年の結婚後も旅をつづけ、赤ん坊連れでの「シベリア横断→サハラ砂漠縦断」を成しとげる。
1980年、鈴木忠男さん、風間深志さんとバイクでキリマンジャロ挑戦。1982年には風間深志さんと「パリ→ダカールラリー」に日本人ライダー初の参戦を果たす。
1987年~1988年には「サハラ砂漠往復縦断」を成しとげる。
「30年代編日本一周」以降、10年ごとの「年代編日本一周」を繰り返し、2018年12月31日には1年4ヵ月に及ぶ「70代編日本一周」を終えた。
「年代編日本一周」とは別に、「島めぐり日本一周」、「温泉めぐり日本一周」、「林道日本一周」の「テーマ編日本一周」もおこなっている。2006年~2007年の「温泉めぐり日本一周」では1年間で3,063湯の温泉(温泉地)に入り、ギネスの世界記録に認定されている。『ツーリングマップル』の「東北」担当で、東北の道という道を精力的に走りまわっている。モットーは「生涯旅人!」

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